第7話 闇町

 ナルヤの中に入ると、臭いが大分和らいだ。それどころか、どこからか花の香りまで漂ってくる。泥壁どろかべに挟まれた薄暗い路地は、細く長くくねくねと折れ曲がり時折他の路地と合流し、複雑な迷路を作り出している。ワンロンは慣れた様子でスタスタと進んでいるが、大抵の者はここで迷ったら最後、二度と町の外に出られないだろう。ガンザンはふと、路地に面したあちこちの窓から明かりが吊るされているのに気付いた。


「どうして家の外まで照らすんだろう?」


 ガンザンが素朴な疑問を口に出した。と、大きな笑い声が降ってきた。ビクリとして上を見ると、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとした奥さんが大口を開けて笑っている。


「そんなんよう見えんからに決まっとろやがな!」


 ひときわ大きな笑い声が響く。ワンロンが立ち止まって奥さんを見た。


「ちょうど良かった。奥さん、ジュバルの宿を探してるんだが……。」


「ジュバルなら出ていきゃあったよ。今こっきゃにゃあ宿はサフルヌのしか無いやがな。」


 半分笑っているような声で奥さんが答える。


「そうか。じゃあその宿までの道を教えてもらいたい。」


「良いともさ。」


 奥さんは早口で込み入った道順をしゃべる。ワンロンはうんうんとうなずきながら聞いている。呪文のような道順はトゥバンとガンザンにはさっぱり分からない。


「……で、左に行ったらサフルヌのところさ。」


 ワンロンは大きく頷いた。


「うん、ありがたい。感謝する。……ところで奥さん、何か間違えてはいないか?」


 奥さんは肩をすくめて目をぐるりと回した。


「おやまああたいがなんが道間違ってかね?んなこっちゃあるまいな。なんも間違ってないやがな。」


 ワンロンはため息をついた。腰の大刀だいとうに手を掛ける。


?」


 空気が凍りつくような殺気がワンロンから静かに立ち上った。奥さんの顔からみるみるうちに血の気が引いた。


「私の記憶だと、その道順でいくと盗賊組合に着く気がするのだが?」


 ワンロンはわずかに大刀を抜く。銀色のきらめきが四人の目を射った。


「あんちゃあまさかセン・ワンロンやがね?」


 奥さんが弱々しい声で尋ねる。ワンロンは不敵な笑みを浮かべた。


「そう思うなら、あまりぐずぐずしない方が良いと思うがな。」


 大刀が更に少し鞘から滑りでる。


「わあっちゃわあっちゃ!教えりゃ良いんな!?教えりゃ!」


 奥さんが慌てて道順を唱え出した。その間もワンロンは臨戦態勢りんせんたいせいを崩さない。


「で、真っ直ぐいきゃあサフルヌんとこやがな。」


「何も間違いはないな?」


「ねえよ!ある訳ねえだろに!」


 ワンロンの問いに奥さんはブルブル首を振った。もう半分泣き顔になっている。


「……よし。」


 ワンロンが大刀を戻し、背筋を伸ばした。殺気がふっと消える。トゥバンは世界が突然色鮮やかになったように感じた。


「感謝する。」


 ワンロンはにこやかに言うと、馬を引いて歩き出した。トゥバンとガンザンもぎこちなく後に続く。


「ワンロン……何をやったらあんなに恐れられるんだ?」


 トゥバンが恐る恐る聞いた。


「まあ、昔少々いざこざがありまして……。」


 ワンロンはハハハ……と明るく笑った。どこか凄味が漂うその笑顔に、トゥバンは口を閉じた。


―――――――――――――――――――


 一時間後、身軽になった三人は、大通りを通って町で一番大きい酒場に向かっていた。荷物はサフルヌの宿に置いてきている。サフルヌはネズミのような顔をしたいかにも手癖てぐせが悪そうな男だったが、ワンロンが荷物や馬に手を出さないようにと散々おどすと最後は真っ白な頬に涙を流していた。

 もうすっかり日が落ちて空は暗いが、酒場までの道はあちこちの窓からぶら下がる明かりのお陰で歩きやすい。様々な人種が三人とすれ違っていく。古びた鎧を着た賞金稼ぎ、鋭い目をした盗人、ナイフをお手玉しているお尋ね者。彼らはすれ違うたびに盛んに罵詈雑言ばりぞうごんを飛ばしあい、殴り合いながら思い思いの方向に進んでいく。が、彼らは決してワンロン達に絡んでこない。


 見慣れない草原の格好をしている青二才と、正義感が強そうな顔をした大男というこの町で最も喧嘩を売られそうな風体に関わらず、散々喧嘩を吹っかけまくっていた荒くれ者が、ワンロンの顔を見た途端に顔色を変え、道を変える。喧嘩を吹っかけられていた怪しげな露天商ろてんしょう達も同じくワンロンから逃げていく。


その結果、人がぎっしりと歩いている道の中でワンロン達三人の周りだけにぽっかりと不自然な空白ができていた。と、人ごみの中から一人の若者がふらふらと空白に飛び出してきた。泥酔しているらしく、足元がおぼつかない。ふらりふらりとよろけて、ドスンとワンロンにぶつかった。通行人たちが一斉にぎょっとした目で若者を見る。


「おお、すまないな。大丈夫か?」


「おお?」


 ワンロンの言葉に若者が上を向いた。ワンロンと目が合う。若者の目は真っ赤に充血している。


「なんらてめえ。おめえの知ったこっちゃねえらろうよ!!」


 若者がワンロンに殴りかかろうとした瞬間、近くにいた人たちが一斉に若者に飛び掛かった。若者の悲鳴が上がる。てめえ死にてえのか、と怒声があがる。トゥバンとガンザンは尊敬にちょっと畏怖を添えた目でワンロンの背中を眺めた。ワンロンは困惑した顔で再び歩き出した。


 三人は酒場のドアをくぐり、隅の方の席に座った。寄ってきた店員にワンロンが適当に注文する。土ネズミの丸焼きという言葉が耳に入って、ガンザンがびくりとした。


「それ……旨い?」


「ええ。なかなかに美味です。ここに来たら毎回頼むのですよ。」


 ワンロンが答えると、ガンザンは首をかしげて、土ネズミねぇ……と呟いた。トゥバンは笑みを浮かべてぐるりと酒場を見回した。円形の酒場の壁には、ぐるりと窓口らしきものが埋め込まれている。その中でガラの悪そうな輩が退屈そうにタバコを吹かしていて、それぞれの窓の上に盗賊組合だの商人組合だの書かれている。


トゥバンはその内「討伐会」と書かれている窓口に目を止めた。その両脇だけが窓口のない壁になっていて、ところ狭しと張り紙が貼られている。張り紙には人の顔や動物などが描かれていて、その上に「討伐対象」、「重要手配」、「駆除対象」などと色とりどりの文字が踊っていた。無数の張り紙の真ん中に、見覚えのある顔があった。ワンロンの顔だ。その下に書かれている報酬金に、トゥバンは目を疑った。


 生け捕り三千万両

 殺害六千万両


 思わずワンロンの方に振り向き、また手配書を見た。千万両あれば城が建つ。三千万両あれば一生遊んで暮らせる。六千万両あれば……もう想像もつかない。ワンロンはいったいどれだけの修羅場をくぐってきたのか……。その時、店員が料理と酒を持ってきた。トゥバンは無意識にジョッキを取り、傾ける。少しピリリとした独特の味が舌を打った。目線をワンロンの手配書から下にずらす。と、トゥバンは盛大に酒を吹き出した。ワンロンの手配書の真下から、浅黒い肌の青年がこちらを見つめている。


「ほうした?」


 ガンザンのモゴモゴした声を無視してトゥバンは視線を横に走らせる。と、ガンザンの申し訳なさそうな顔が目に入った。口の中に痺れを感じた。バッと机に振り向く。何かを咀嚼そしゃくするガンザン、大きくかじりとられたネズミ、その上にたっぷりとかけられた紫のソース。


「だめらガンザン!」


 ガンザンの驚いた顔。ごくりと彼の喉が鳴った。トゥバンは声にならない悪態を抑える。


「どうなさいました?」


 ワンロンが訝しげな顔をトゥバンに向けた。強いしびれで回らない舌を必死に動かし、トゥバンはゆっくり囁いた。


「わ、な、だ。ど、く……に、げ、る。」


 ワンロンの表情が一瞬にして目まぐるしく変わり、鋭い刃物のような表情に落ち着いた。ガタリ、と音がした。二人が見ると、ガンザンが蒼白な顔で机に突っ伏している。額を一筋の汗が伝った。ワンロンがおもむろにジョッキを掴み、後ろに放り投げる。怒声が上がった。


「誰だバカ野郎!」


 すかさずワンロンが適当な奴を指差す。


「あいつだ!」


 あっという間に乱闘が始まった。酒場にいた人間がことごとく席を立って見物を始める。トゥバンの目配せを受けて、ワンロンが立ち上がりガンザンをひょいと抱えあげた。二人は足早に戸口に向かった。と、


「待て。」


 屈強な大男が扉の前に立ちはだかった。卵のような頭をしている。


「お前らを通すわけにはーーーー」


 トゥバンが男に足払いをかけ、ワンロンが軽く蹴った。男は正確に乱闘現場に突っ込んでいった。また怒声が上がる。トゥバンとワンロンはタコ殴りにされている卵頭を横目に、町へ駆け出していった。右へ左へ何回となく曲がりくねりようやっと宿に駆け込む。バタバタと奥へ走り、トゥバンが部屋の扉を勢い良く押した。


 ゴツリ。


 鈍い音を無視して扉を開ききると、部屋の真ん中にサフルヌが倒れていた。右手で頭を抑え、半泣きの顔でトゥバンを見ている。その左手には三人の手配書と鋭いドスが。トゥバンはサフルヌに飛びかかった。サフルヌが悲鳴をあげてドスをやたらめったら振り回すが、トゥバンにはかすり傷一つ付かない。トゥバンが首を締め上げると、サフルヌはすぐにおとなしくなった。トゥバンは荷物から縄を取り出しサフルヌを縛り上げる。荷物は無事だった。厩舎きゅうしゃまで走り、素早く出発の準備をする。馬の手綱を引いて道に出ると、数名の荒くれ者が道を塞いでいた。首領格しゅりょうかくらしき眼帯を着けた男が不敵な笑みを浮かべた。


「『虎食い』のワンロンも運が尽きたなぁ。ここは通しやせんぜ。」


 ワンロンは無言で、汗まみれでガタガタ震えているガンザンを巨馬に乗せ、その後ろにまたがった。馬に乗るようにとトゥバンに手を振る。トゥバンはそれに従った。眼帯男はやれやれと首を振る。


「突撃なんて無駄だぜぇワン――ぐぁあっ!!」


 眼帯男が絶叫する。眼帯男の足が、地面に矢でい付けられていた。トゥバンが弓をしまって馬を駆る。恐怖に歪んだ顔の眼帯男を飛び越えて、三頭の馬は明るい小路を疾駆する。ワンロンを先頭に、一行は右へ左へナルヤの出口を目指した。怒声がそれを追いかけてくる。トゥバンがちらりと後ろを見ると、あちこちの窓から住人が顔を出し、怒声をあげ、追っ手にトゥバン達の位置を叫んでいる。

 ふと、トゥバンはひどいなまりの奥さんの言葉を思い出した。


 「よう見えんから」家の外まで照らしているのか?


 寒気がぞわりと背筋を襲う。トゥバンは恐怖にぎゅっと目をつむって駆け続けた。だんだんと悪臭が近づいてくる。入る時には悪臭にしか感じなかった臭いが、今や甘美な匂いに感じられる。そして、ふわり、と冷たい夜風がトゥバンの頬を優しく撫でた。怒声が遠ざかっていく。トゥバンが目を開けると、街明かりに照らされて、ほのかに赤い大地が浮かび上がっていた。


――――――――――――――――――――


 ナルヤの人々は駆け去っていく三つの影を気味の悪い笑みを浮かべて見つめていた。


「可哀想になあ。俺達に捕まってた方が良い目を見れたろうに。」


 唇をひくつかせながら若い男が言う。


 クククッ……


 どこからか笑い声があがった。


 ククッ……クックック……ククククク……カァッ……ハハ……ハハハハハ……アッハハ……アッハッハッハハ……ハァアアッハッハッハハッハ!


 わらい声の大合唱は夜を埋め、赤い大地のどこまでも響き渡っていった。

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