第6話 狼

 トゥバン達は小さな森の中で一時の休息をとっていた。土が赤いだけあって森の木も葉から幹からすべて赤い。まるで違う世界に迷い込んだような気分になる。


 この森は関所からはさほど遠くない。森の南東からは小さいながらもはっきりと、茶色い崖に挟まれた関所を見ることができる。赤い大地を走る茶色い道に従って目を北東に移せば、赤い大地からにょきにょきと真っ白い建物が生えている。草原に入る前の最後の町、「シャガルグ」だ。反対側からはまた茶色い道が伸びて、どこまでも続いていくのだろう。


「……そろそろ物資を補給したいな。」


 ガンザンがカチカチの干し肉を歯で削りながら言う。小さな清水から水を汲みながらトゥバンもうなずく。ワンロンは小さくなった荷物に目をやってふぅむと唸った。トンクルの夏営地かえいちから旅立ってから十日。物資はほとんど尽きかけている。本来ならシャガルグに寄って補給をしたいところなのだが、関所破りをした手前、関所と目と鼻の先にある町に寄る訳にはいかない。ワンロンは地図を取り出して熱心に眺めだした。しばらく木の葉がれる音が空間を埋める。


「シャガルグに寄らないとなると、ナルヤという町が――」


 突然ワンロンの声が途切れた。トゥバンが見ると、ワンロンは顔を上げかけたまま固まっていた。何かを凝視ぎょうししている。ワンロンの目線をたどると、灰色の毛皮が目に入った。何となく嫌な予感がして左を向く。ガンザンと目が合った。彼の口が小さく動く。


お・お・か・み。


トゥバンはこくりと首を振った。トゥバンとガンザンは再び目線を狼に戻す。狼はワンロンと目を合わせたまま固まっている。奇妙な沈黙がしばらく続いた。そして


「クゥン……」


 狼が甘えるような声を出した。そのまま恐る恐るといった感じで一歩前に出る。予想外なことに、子供らしき小さな狼が現れた。ワンロンとじっと目を合わせている。


「クゥゥン……」


 狼は思いきったようにトトトとワンロンに駆けよった。ワンロンはびくりとして身構える。と、狼は甘え声を出しながらワンロンの足に顔を擦り付け始めた。ワンロンは予想外の展開に目をオヨオヨさせている。ガンザンが立ち上がって狼のところに近付いた。狼がワンロンから離れ、警戒するような目付きでガンザンを見る。ガンザンはしゃがんで狼に優しい声で話しかけた。


「どうした?はぐれたのかい?」


「クゥゥン……」


 狼は言葉が分かっているかのようにうつむいた。


「そうか……。」


 ガンザンはちょっとごそごそすると、さっきのカチカチの干し肉を取り出した。狼に差し出す。


「いるかい?」


 狼は背筋をピンと伸ばすと目を輝かせ、尻尾をブンブン振り始めた。開いた口からは舌が垂れ、よだれをだらだら垂らしている。ガンザンはにこりと微笑むと、干し肉を軽く放った。狼はそれに素早く飛び付いて地面に転がると、干し肉と格闘を始める。ガンザンは満面の笑みを浮かべてそれを見ている。他の二人は呆気にとられた顔でガンザンと狼を交互に見やった。


 狼は干し肉を食べ終わり、満足して眠ってしまった。その気持ち良さそうな寝顔を見ながらワンロンは呟く。


「もしかしたら私を追いかけていた狼かもしれませんな。」


 ガンザンがうなずく。


「多分ね。見覚えがある。僕達が関所を抜けるときに着いて来たんじゃないかな。」


「……凄いなガンザンは。」


 トゥバンがしみじみと言った。ガンザンが笑って頭に手をやる。


「さて。」


 ワンロンが言う。二人がワンロンの方を向くと、ワンロンはいつの間にか地図を広げていた。言葉を続ける。


「シャガルグに寄れないとなれば、街道を伝って別の町にいくしか無いでしょうが、あいにくシャガルグに一番近い町はラムライン山地のふもと、ここからだと三百里近くあります。」


 トゥバンが目を見張る。


「何だってそんなに町が少ないんだ?草原じゃあるまいし。」


「この辺りは農業に向きませんし、猛獣や盗賊も多いので人が住みたがらないんですよ。シャガルグだって先帝の命があってやっと作られた都市なんです。」


「へぇ……先帝が。」


 トゥバンは感嘆の顔をした。ワンロンがかすかに笑う。


「じゃあ、今日町に着くことは無理なのか。でも野宿する訳にもいかないよね?馬達のこともあるし。どうする?」


 ガンザンが聞いた。ワンロンが咳払いをして二人に目配せする。二人はワンロンの方に近付くと、身を屈めてワンロンの小さい声に耳を澄ました。


「地図を見る限りでは町はありません。が、それはあくまでも地図を見る限りではです。」


 トゥバンとガンザンは一瞬考えを巡らした。先に答えを導きだしたのはトゥバンだった。


「地図にない町があると?」


 ワンロンはトゥバンと目を合わせてうなずいた。更に声を落とす。


「人はそれを『闇町やみまち』と呼びます。」


「闇町……」


 ガンザンが呟く。不穏な言葉だ。


「闇町は殺人犯から賞金稼ぎまでおよそありとあらゆる闇の人間が集まっています。……ただ、身の危険はありません。」


 トゥバンとガンザンは首をかしげた。ワンロンは一瞬溜めを作って言葉を吐き出す。


「….…金が払えるのなら、ですが。」


「ワンロンは闇町を知ってるのか?」


 トゥバンの問いに、ワンロンはこくりと頷いた。


「賞金首になってからしばらくは闇町を転々としていましたので、帝国内の闇町は七割がた知っています。その内の一つがここから北西百里にあります。名はナルヤ。」


「ナルヤ……」


 トゥバンが呟いて空を見る。太陽は大分傾いていた。あと二時間ほどで日没だろう。


「百里なら間に合うな。行こう。」


 トゥバンはすっくり立ち上がって馬の居る方に向かった。ガンザンも続く。数分後には出発の準備が整っていた。


「では、行きましょうぞ。」


 ワンロンが馬にまたがって言う。


「ちょっと待って。」


 ガンザンがぐっすり寝ている子狼に駆け寄った。軽くポンポンと体を叩く。と、狼は目を覚まして大きく伸びをした。清水しみずに飛び込みちょっとバシャバシャすると陸に上がってブルブルと水を振るい飛ばす。それから笑顔のガンザンのところに駆け寄っていった。


「……連れて行くので?」


 ワンロンが若干ひきつった顔で言う。ガンザンは子狼を軽く撫でながら


「肉を与えたからには責任を取らなきゃ。」


 彼の横顔は引き締まっていた。


「……そうですな。」


 ワンロンが顔を伏せて馬を回す。ガンザンは子狼から離れると馬にまたがり、ワンロンに続いた。そのあとを子狼が追い、殿はトゥバンだ。馬達は新入りに若干緊張しているようだが、拒否する様子は見せなかった。一行は三人と三頭に半頭を加え、赤い森を出ていった。


―――――――――――――――――――


 しばらくして、一行は西日に真っ向から照らされながら赤い大地を進んでいた。空以外に赤くないところなどないのに、空まで赤く染まってしまってはもはやこの世にいるとは思えない。ぼんやりとした熱に浮かされながら、トゥバンが先頭のワンロンに叫んだ。


「まだか~!?」


 ワンロンも叫び返す。


「あと少しです!」


 ワンロンが黙る。トゥバンも黙る。そのまましばらく静かに進んでいたが、次第にトゥバンの体がゆらゆらし始めた。振り子のようにだんだん大きく揺れていく。そして揺れが最高潮に達したとき、トゥバンがまた叫んだ。


「まだか~!?」


 すかさずワンロンも叫び返す。


「もう少しです!」


 また静かになる。二人はかれこれ十回以上はこのやり取りを続けていた。またトゥバンが揺れ始める。そして揺れが最高潮になった時


「まだ――」


「バウッ」


「もう少しで……ん?」


 ワンロンが首をかしげて手綱を引く。トゥバンは馬を止め、口を開けたまま、馬の足元にいる子狼に目を向けた。子狼は耳をピンとたて、盛んに鼻をひくつかせている。


「どうした?なんか見つけたか?」


 トゥバンの声に子狼はなんら反応を見せない。必死に上を向き、鼻を動かしてにおいを探っている。三人が見守るなか、子狼が動きを止めた。ゆっくりと顔を下ろし、東の一点を見つめる。そして


「バウッババウッ!」


 いきなり一直線に走り出した。三人は慌てて馬を駆る。前に長く延びる影を追ってしばらく進むと、突然子狼が立ち止まった。三人は馬の速度を緩め、子狼に近づく。子狼が三人を見上げて尻尾を振る。


「ありがとな。」


 ガンザンが笑顔で言って、顔を上げた。目の前の光景をじっと見つめる。


「これがナルヤか……」


 感嘆と困惑とが混ざりあったような声でトゥバンが呟く。その視線の先には小屋を箒で掃いて集めてきてそれをぶちまけたような町があった。


建て増しに建て増しを重ねた奇妙奇天烈きみょうきてれつな形の建物とあっちこっちが歪んで傾いでいる建物が折り混ざり、怪しさと禍々まがまがしさを強烈に主張している。普通の旅人ならば町が目に入った時点で回れ右して千里先まで逃げ出すだろう。が、三人にその選択肢はない。トゥバンはごくりと唾を飲み込んだ。と、


「行きましょうか。」


 ワンロンが軽くそう言ってさっさとナルヤに進みだした。ガンザンも笑顔のままワンロンに付いていく。


「え?ちょ、まっ……」


 トゥバンは慌てて馬を走らせる。子狼が楽しそうにキャンキャン吠えた。

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