第5話 強行突破

 昼下がりの関所内では酒宴が催されていた。食堂の大机の上には酒瓶が転がり、騒がしい笑い声が空間を埋める。べろんべろんに酔っ払った兵士たちは、面白くもなんともない冗談を言っては笑い転げている。一人の兵士が机に立ち上がって叫んだ。


「クド・ラクガル!あいつぁあその名の通りクドクド言いやがるがこの宴さえ止めれん臆病者のへっぴり腰だぁ!」


 そうだそうだと声が上がる。


「禁酒禁煙なんてクソ食らえ!」


 そうだそうだと大合唱。


「名門だからって調子に乗りやがって!早く辞めて地獄に落ちろ!」


 割れんばかりの大歓声。叫んだ兵士は万雷ばんらいの拍手を受けて英雄のように手を振っている。と、ドンドンドンと門が叩かれる音が響いた。一瞬食堂が静まり返る。


「クドか?」


 誰かが言った。机の上の兵士が食堂の隅っこにいる兵士にあごをしゃくる。その兵士は慌てて食堂から出ていった。彼が向かう先は大門。草原からの出口だ。彼は、なんで一番若いからってだのぶつくさ言いながら大門の小窓を開けた。砂漠の民とおぼしき浅黒い肌の青年と目が合う。兵士はその利口そうな顔に若干イラついた。


「……何の用だ。」


 青年が一瞬顔をしかめる。それもそのはず、半日飲み続けた兵士の口はとんでもないことになっている。


「ケホッ……。ここを通りたくて。」


 青年はケホケホと咳き込む。それを見て兵士は気分を損ねた。


「他を当たるんだな!」


「ちょっ」


 小窓が大きな音を立てて閉まる。外から慌てたような声が聞こえるが兵士は気にしない。ずんずんと食堂に戻ると、机の上兵士は酒をラッパ飲みしていた。若い兵士に気付いて酒瓶を下ろす。


「おう、どうだった。」


「クドじゃ無いです。旅人でした。」


 歓声が上がった。机の上兵士が怒鳴る。


「旅人だぁ!久々に賄賂をふんだくれるぞ!クドの命令なんて気にするこたあ無い!」


 その声に弾かれるように食堂中の兵士たちが雄叫びを上げ、大門へ走る。よってたかってかんぬきを外す。机の上兵士が無理やり先頭に出て、門扉もんぴ鉄輪かなわに手を掛けた。


「せーの!」


 掛け声と共に机の上兵士を全員で引っ張る。と、ゆっくりと門が動きだし、日差しが門扉の隙間から差し込んだ。その光の向こうにはカモが居るはずだ。期待を胸に机の上兵士が光を覗き込んだ。と、ベチャリと音を立てて、赤い何かが彼の顔に直撃した。


「うえっ。なんだこりゃ!」


 ペッぺと吐き出し、顔をぬぐい、目を上げる。その時目に入ったのは、灰色の毛皮と真っ赤な大きな口だった。バウバウとけたたましい鳴き声と共に、机の上兵士が関所の床に倒れ込む。巨大な草原狼は容赦なく彼の体に牙を突き立てた。鮮血が飛び散る。机の上兵士が絶叫する。草原狼が顔を上げた。口元から血を滴らせながら、恐怖に凍る兵士達を血走った目でぐるりと睨み付ける。そして素早く頭を仰け反らせると、ァォオオオン……。遠吠えが響いた。その瞬間、開ききった門から一斉に狼達が兵士に飛びかかっていった。関所内はすぐに阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄となった。最後の一匹が関所に飛び込んでいったところで、ガンザンが外からひょっこり顔を出す。十分な戦果が得られていることを確認すると、うんうんと頷いて顔を引っ込める。


「トゥバン、そろそろ大丈夫そうだよ。」


 当のトゥバンは馬に何やら塗りたくっていた手を止めて振り向いた。やけに顔がテカテカしている。


「分かった、ワンロンはどんな感じだ?」


 言われてガンザンがキョロキョロする。ワンロンはちょっと離れたところで一匹の狼とおいかけっこをしていた。


「ちょっと取り込んでる。」


「え?」


 トゥバンが振り向いて目を細めた。


「……ありゃまずいな。おーいワンロン!こっちこい!」


 ワンロンが百八十度向きを変え、必死に馬を駆って向かってくる。それを、まだ子供だろうか、少し小さめの狼が追ってくる。彼らはみるみるうちにトゥバンに近づいてくる。もう少しでワンロンがトゥバンにぶつかるというところで、トゥバンが馬に塗っていた何かを思いっきり投げつけた。ワンロンが面食らって慌てて馬を止める。ドロドロした油のようなものがワンロンの肌を伝った。


「なんですかこれは……。」


 ワンロンはしかめ面だがトゥバンはにこにこしている。


「狼避けだよ。人間や馬には害がない。ほら。」


 トゥバンは子狼を指差した。ワンロンが見ると、子狼は嫌そうな顔をしてこちらを見つめている。未練がましくワンと一声吠えると、関所の中に飛び込んでいった。また一つ悲鳴があがる。ワンロンは感嘆を顔に浮かべた。


「ほお……霊験あらたかですな。」


「じゃ、行こう。」


 ガンザンが言う。トゥバンは頷いて馬に飛び乗った。ワンロンも馬を関所に向ける。全員準備が整ったところで、トゥバンが声を張った。


「行くぞ!」


 一斉に馬が走り出す。三人は悲鳴が飛び交う関所に突っ込んでいった。関所の奥行きは約1里。その向こうにもう一つの大門がある。三人は真っ直ぐに大門へ駆けていく。薬の効果か、狼が三人に興味を向けることは無い。だが、人間は三人に興味を向けた。闖入者ちんにゅうしゃに気付いた誰かの怒号が飛ぶ。


「あいつらだ!あいつらが俺たちに狼をけしかけやがったんだ!」


 狼に追われて逃げ惑っていた兵士達が一斉に駆け去る三人を見る。ぞわり、と殺意が立ち上った。


「てめえら待てえ!ぶっ殺してやる!」


 誰かの叫びを皮切りに、今まで追われる者だった兵士達が追う者に転じた。大門に向かわせまいと大量の兵士が狼を振り払い、三人に飛びかかる。先頭を走っていたトゥバンがちらりと後ろを見ると、兵士達が盛んにワンロンに飛びついていた。おおかた、でかいのから倒そうという寸法だろう。視線を戻すと、大門の近くで狼に追われていた兵士達が先回りしているのが見えた。トゥバンは素早く背中の弓に手を掛ける。が、トゥバンが弓を抜く前に、兵士達の首に矢が生えた。兵士達が喉をかきむしりながら倒れる。トゥバンは振り向いて叫ぶ。


「助かった!」


 ガンザンは弓をしまいながら頷いた。二人は大門の前に着く。大門には巨大な閂が填まっていて、大門が開くことを拒んでいた。二人は顔を見合わせてうなずきあい、馬から降りて左右に別れて閂に手を置く。


「せーの!」


 二人とも渾身の力を込める。たが、閂はピクリとも動かない。


「ッハァッハアッハァッ……無理か。」


 そもそも本来なら六人で外す閂である。二人で外すなど無理に決まっている。が、二人はそんなことを知らない。また腕に力を込めようとしたその時


「退いて下され!」


 大音声だいおんじょうに振り向くと、ワンロンが兵士達を振り切り、一直線に爆走してきている。その手は腰の大刀だいとうに掛かっていた。二人は慌てて道を開ける。なんとなく嫌な予感がして、ガンザンは馬に飛び乗った。


「トゥバンも馬に乗った方が良い!」


 トゥバンも面食らいながらも馬にまたがる。ワンロンは瞬く間に二人に近づいていき、もうあと数秒で大門に衝突するというところで、


「ーーーー!!」


 大音声、そして爆音。文字通りの爆音が関所を揺らした。ビリビリと空気が震える。トゥバンが耳を押さえながら大門を見上げる。



「嘘……だろ?」


 トゥバンは目を疑った。閂が、真っ二つにへし折られて宙に浮いている。あれほど力を込めても全く動かなかった閂が、である。トゥバンもガンザンも兵士達も狼も、呆気にとられて口を開け、閂を目で追っている。閂はゆっくりと関所の天井近くまで上昇すると、勢いよく下降を始めた。視線もそれを追う。……ズゥゥウン。と閂だった二本の棒が床に着く。その中間で、ワンロンが大刀を鞘ごと天に突き上げている。トゥバンは彼の背中から凄まじい気が立ち上っているかのような錯覚を覚えた。彼はゆっくりと大刀を腰に戻し、かちりと鞘を金具にはめこんだ。くるりと振り向く。


「何をしておられる?早く行きますぞ。」


 ワンロンは門扉の鉄輪を掴み、ぐいと引っ張った。門扉がいとも簡単に左右に割れ、坂道が姿を現す。トゥバンは冷たい汗が首筋を走るのを感じた。


「お、おう。そうだな……うん。」


 しどろもどろに答え、馬を回す。その時、ようやく兵士達が我に返った。


「おい!に、逃がすなあ!」


 誰かが叫ぶ。兵士達が弾けるように三人に向かってきた。そこへ再び狼達が飛びかかった。慌ててトゥバンが馬を走らせる。ガンザンとワンロンも後に続いた。門を飛び出てその先の坂道を駆け降りて行く。後ろからは怒声と、狼の鳴き声が聞こえてくる。坂道の両脇を固める岩壁は関所から離れるにつれて次第に低くなり、最後には赤い大地に吸い込まれて消えていた。その先には赤い土の土地、「赤帯原せきたいげん」が広がっている。トゥバンは関所を振り向いて叫んだ。


「サラバ!」


 再び前を向く。一人の精悍な騎手と目が合った。トゥバンはニヤリと笑って通り過ぎ、赤い大地に駆け出していった。


――――――――――――――――――――


 クド・ラクガルは関所の有り様を見て顔を紅潮させていた。書類を握る手はわなわなと震えている。あちこちに鮮血が飛び散り、死体が転がり、酒瓶が割れている。目の前には数名の兵士が小さくなっていた。


「お前ら……これはどういうことだ。」


 クドの正面に座っている兵士が上目遣いに言う。


「関所破りです。」


「そういうことが聞きたいんじゃない!なぜこういうことになったのかを聞きたいんだ!」


 数名の兵士が怒号にびくりと震える。クドの正面の兵士がまた上目遣いに言う。


「奴ら狼をけしかけてきまして、数十頭の草原狼に我々では分が悪く……。」


 クドの顔が更に赤くなり、兵士達は怒号に身構えた。が、クドはなんとか抑え、少し冷静な口調で聞く。


「奴らというのはどういう一行だった?」


「砂漠の民と大男と……あと……」


 兵士は首を捻った。クドは手を握ったり開いたりする。


「……まあいいや。三人です。」


「三人か……なるほど。」


 クドは右手の書類を眺める。そこには、「厳重手配」の赤文字の下に、浅黒い顔をした青年、いかつい顔をした男、そして端正たんせいなわりにどうも冴えない青年の顔が描かれていた。

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