011
教会まで迎えにきてくれた青年と、彼と。三人と一匹で歩いた道のりでは、他愛もない話をたくさんした。
おもにふたりが話す内容に相槌をうったり、時々問いかけられる質問にこたえたり。はいといいえでこたえられるようにさりげなくたずねかたを変えてくれていることに途中から気付いて、その心遣いが、とてもありがたかった。
青年の名前が、夏樹―夏生まれだからね、といって彼は微笑んだ―ということ。
夏樹は薬屋を営んでいるということ。璃々は遠いところから旅をしてきたのだけれど、この街の手前で少し怪我をして、夏樹の店にお世話になり、治ったあともそのまま住み込みで手伝いながら、時々教会で謳っているということ。
食べ物の話になったとき、ミルクティが好きだと告げると、ふたりから、それは飲みものだ、と咎められたりして。ちゃんと食べているの、と璃々から質問責めされたりもした。
そんな自己紹介のような項目から、日常のさりげないことまで、話しながら。石畳の上、璃々の靴が、から、ころん、と音を奏でるのを聴きながら。森の入り口から少し進んだところにあるというふたりの家まで、ゆっくりと進んだ。
夏樹は薬を作るのは器用なのに料理は下手で、璃々が療養しているときに一度オーブンを爆発させたのだと溜息をつきながら教えてくれた。それをみてなんだか放っておけなくて、という彼女の横で、ほんの少しばつの悪そうな顔をしていた青年は、仕返しのつもりなのか、璃々は寝癖がそれはもうひどくて、寝癖直しのために朝、お風呂に入るのだ、と、悪戯っ子のように瞳をきらきらとさせながら教えてくれた。その言葉に思わず彼女の髪を腕に抱えて、こんなに長くたっぷりとしているのにどうやったらそんな癖がつくのか疑問に思っていると、璃々はすこしふくれながら、何故かついているから毎朝格闘しているのよ、なんて呟くものだから、申し訳ないのだけれどわらってしまった。
森の入り口が近付いてくると、それまで青年の懐でぬくぬくと丸まっていた彼がもぞり、と出てきてこちらに視線を送ってくるものだから、手を伸ばして抱き上げて。小さく鳴いたあとにほんの少し爪を立てながらよじのぼり、いつもどおり肩の上で落ち着いた重みは、あたたくて愛おしかった。街灯もない森の中はとても暗かったけれど、大きな満月が空に昇りはじめていて、そしてなにより璃々がそっと手を繋いでくれたから、こわくはなかった。
ふたりの住まいは小さな二階建ての建物で、玄関先に小さなランタンが置いてあった。懐からマッチを取り出して、火をつける夏樹の横で、璃々が扉の鍵を開ける。そのまま扉を自分の手で押さえてどうぞ、と笑ってくれる彼女に、お邪魔します、と呟いて、中へと足を踏み入れると、生薬の香りが胸いっぱいに立ち込めた。家そのものに染みついているのだろうか、きつすぎることはなく心地良い。
部屋を右奥から左手前まで、斜めに区切るようにカウンターが設置されており、その奥には作業台と思われる大きな石の机があった。壁沿いには小さな扉がひとつある以外は天井まで薬品棚が連なっているが、白木のように淡い色合いの木材で作られているからか圧迫感はない。カウンターにはいくつか黒色の椅子が設けられていて、一番扉に近いところには、小さな透明の花瓶に名前の知らない小花たちが生けられていた。よく花屋には訪れるから花の名前には詳しい方だとは思うけれど、綺麗に咲き誇る彼らの名前はわからなかった。このあたりの森にだけ咲く花々なのかもしれない。
部屋の明かりをつけたあと、扉の奥へと姿を消していた夏樹は、おおきな鉄瓶と裁縫箱を抱えて戻ってきた。裁縫箱をカウンターの上に無造作においてから、部屋の片隅に置いてあったストーブの上に鉄瓶を載せて、火をつける。隅からじんわりと伝わってくる熱に気付いたのか、肩の上でくつろいでいた彼は身軽に飛び降りて、ストーブの前でころり、と横になった。その様子を見て、くすり、と小さく笑った璃々が、おきゃくさまようだから気にしないで、といいながら、床にふわふわのブランケットを一枚おいてくれる。ふみふみ、とそれを踏みしめて、気に入ったのだろう、彼はもう一度横になり、今回は後ろ足をぐんと伸ばしてお腹もちらりと見える姿勢をとる。とてもお気に召した様子がありありと伝わってきて、少し苦笑しながらありがとう、と告げると、璃々も夏樹もどういたしまして、とわらってくれた。
「さてと、ばんごはんの準備をしようかしら、」
「あ。てきとうに買い出しはしといた」
「ありがとう」
そう言葉を交わす二人に向かって、何か手伝えるだろうか、と近付こうとすると、夏樹に、君はこっち、と木箱に近い椅子を一つ引かれる。頭の上に疑問符を浮かべているのがわかったのだろう、二人そろってカウンターの中に戻りながらこちらを見遣る。
「あのね、なぎは診察もするのよ。ばんごはんができるまでの間、手を診てもらうといいわ」
「診せてもらえるのなら、合わせて薬もつくれるだろうから。…どうかな」
そういって夏樹が机の上の裁縫箱の留め具を指先でつまみ、くるりと半回転させれば、裁縫箱の蓋がひらいた。大小さまざまな仕切りに区切られた段それぞれにぎっしりと道具が詰まっている。ちいさな鋏から、おそらく診療でつかうのだろう鉗子や攝子、一番下の段には小さく丸い透明の容器ひとつひとつに、少しずつ色の異なる軟膏がはいっている。
よければ、と提案してくれるその声がとてもやさしかったこと。そしてなによりも、璃々の瞳がまだほんのりと翳っていることには気付いていたから、おねがいします、と頭を下げた。この腕が痛いままだと、彼女が傷つきつづけるのだということは理解していて、一度ついてしまったその傷が少しでも早く癒えるのであれば、それ以上によろこばしいことはない。
青年も彼女の様子には気付いていたようで、そしてこちらの考えも見通していたようで。彼女には見えないように、ほんの少し苦笑を交えながら、ありがとう、と小さな声で告げた。
扉の向こうに璃々が消えるのを二人で見送ってから、カウンターを挟んで夏樹と向き合う。訊きたいこともあるけれど、まずは触診させてもらいたいという彼の掌の上に両手をのせた。文字に不慣れな璃々とは違って、思ったままに書いてしまっても彼は読み取ってくれるだろうから、おもうまま、そっと指先を滑らせる。こちらの意図をすぐに読み取って、彼は腕から指先へと視線をずらしてくれたのが分かった。
「(よろしくおねがいします)」
「こちらこそ。これから関節とかいろいろと動かすけれど、少しでも違和感があったら机をたたいてもらっていいかな。我慢は絶対にしないで、現状どうなっているのかがわからなくなってしまうから」
「(わかりました。…あの、ええと)」
「ん?どうしたの」
「(…腕に傷があるのですが、少し目立つので。気分を害してしまったらすみません)」
先に伝えておいた方がよいかと思い、そう告げると、彼は一瞬驚いた顔をした後に、ほんのすこし切なげにその瞳を歪めてみせた、気がした。すぐにゆるりと微笑みを浮かべて、口を開く。
「……傷口であれ、傷跡であれ。それは、それをもつひとが、そのからだが生きている証拠で。生きるために踏ん張っている瞬間で、踏ん張って、治して、生き抜いた証だから、いとおしく思いこそすれ、忌み嫌うことなどないよ」
――受け売りだけどね、と前置きをしてから。
応えになったかな、という透きとおったその声には、頷きを返すだけで、精一杯だった。
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