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ガラス張りの建物の中二階が店の入り口だ。数段の階段を登り、真ん中にはめ込まれた黒塗の扉をあけると、澄んだ水の匂いと瑞々しい花の香りが吹き込んできた。香りは胸に広がったあと、後に残ることのなくすっときえていく。


いきなりの依頼にも関わらず快く迎えてくれた花屋の主人は、必要な色をきいたあと、少し待っとってね、と白の色の花を一輪ずつ集めた花瓶を見せてくれた。ちいさな星が集まったエルダーフラワー、下からドレスのように広がったロカイ。おおきく開いたアザレアに、そっと空白を埋めるカスミソウ。白薔薇は、蕾のものから大輪にほころんでいるものまでの4本。淡い緑のレースのようなカーネーションに、中心の濃緑から白へと色彩がうつりかわるラナンキュラス。白緑と黄金のオオムギはすべての花にそっと寄り添っている。

その花束に映えるように、交じりあうように他の色の花を選んだ。ほんのりと橙に色づいたアザミに陽の光を閉じ込めたベロニカ。蜂蜜色のクンシランはできるだけ花弁がひらいたものを。彼に選んでもらった大輪のダリアは白と柑子の二色染で、ひとりぼっちにならないように、こちらには淡黄のカスミソウを添えて。白薔薇は4本の中から開ききったものを。


「もかちゃん、おくすり、今日はどないしよか」


こちらが花弁の開き具合も含めて1本ずつ手渡していき、一本ずつ水の中で長さを揃えてもらう作業を続けながらの問いには、首を振って応えた。今日渡されたメモには多くの白の花とほんの少しの春の花で、花の開いたものを、と記してあったので。


「そっか、…じゃあ持ち歩く間だけでも、おくすりとかした水にさしておくね」


お祝いの式だと、席や教壇を飾るために使った花たちはそのままちいさな花束にして参列される方に渡して、そのときの幸せの気持ちを家に連れて帰ってもらえるようにする。選ぶ花は、蕾のものを中心に、真ん中で咲き誇る大輪はほころびはじめたものを、できるかぎりながく咲き誇り、次の幸せが寄ってくるように。だれかを想い偲ぶ式のときは、同じように花を渡すけれど、花はほこびだしたものから開いたばかりのものを選ぶ。数日間ゆっくりと想いを馳せながら、いつもどおりの日常に戻る手伝いとなるように。

どちらにも、綺麗に咲き誇りますように、と、参列の方々に渡すために、たくさんの小分けの栄養剤をもらうのだけれど。


今日の依頼が哀しみに因るもので、だれかとの急な別れを悼み、送り出す式ということは、メモをみればすぐにわかった。この街では、大切な人との別れの式には、すべて開いた、開ききった花を選ぶから。黒棺のなか、満開の中で最後の華を添えられるように。花の布団で少なくとも冷え切ることのないように。蓋を閉じてしまったあとには総ての花を黒を覆い隠すほどに乗せて、天に一緒に連れて行ってもらうのだ。花が灯となって、長い旅路に迷うことのないように。総て燃やしてしまうから、栄養剤は必要なかった。


持ちにくいやろうから、と、すべての花を籐の籠にいれてもらえることになって、ほんの少し不安だったことが解消されたことにほっとしつつ頭を下げた。店の奥からもってきてくれた大きな籠の中に、ちょうど底をさらうような大きさの半透明のうつわが入れられて、栄養剤を溶かされた水がうすく張られたあとに花が差し込まれていく。包んでもらっているあいだ、水気で少し冷えるだろうから、とカウンターに案内され、大判のショールと、熱々のハーブティを淹れたマグカップを渡された。ハーブティの匂いが気になったのか、膝の上から彼がたしたし、と、机の上を叩いてみたり太腿に肉球を押し付けてきたりする。彼が飲んでもいいものかどうかがわからなくて困っていると、主人はすこし声音に微笑みをのせながら、そのこが飲んでも大丈夫よ、と教えてくれた。ひとの言葉がある程度わかることもあって、もらえそうだとわかったのか、たしたしと打ち付けてくる速度が増えたが、彼が飲むにはまだまだ熱いので、腕の中にその体をくるりと巻き込んでしまう。背中をとんとん、と叩くと、ちいさな声で鳴いてから落ち着きを見せた。


ハーブティを飲みながら店内を見渡すと、店の奥にもうひとつの木製の扉にかけられたリースが目につく。店の入り口にかけてあったそれと似ているが、根元の編み方が異なっているから、違うひとがつくったのかも知れない。表のリースと同じ配色でつくられているようだが、あまりみたことのない花が編み込まれている。茶色の枝に雪が積もっているように、白の小花が敷き詰められ、そのしたから、ちらりと春の色がのぞいている。万人受けするものではないけれど、素朴なあたたかみをたたえた不思議な作品だ。入り口ではなく店の奥、今在る場所にあるのがいちばんしっくりくるもの、ということがわかる。在るべき場所をひとに伝えられるほどのそれをつくるのは難しいから、きっととても花を扱うことに慣れたひとによる作品なのだろう。


包みおわったよ、と、主人が籠をもって来てくれた頃には、マグカップの中身は少なくなっていて、それでも彼にお裾わけするにはまだ少し熱かった。中身を口に運んでいくにつれて、地味に尻尾を腕に巻きつけてきたりほんのちょっとだけ爪をたててみたり、主張をしていた様子にはもちろん気付いていた一方、火傷はあとに響くからなあ、と躊躇って背中をその度に叩くしかなかったのだけれど。籠を隣の椅子の上に置いて、カウンターの中に入ってきたそのひとは、一連のやりとりをみて、くすり、と笑った。


「ちょっとマグ借りてもええかな」


どうぞ、という意味を込めて頷くと、彼女はちいさな容器にふた匙のハーブティを選り分けた。その瞬間に彼の尻尾がぴーん、と立って、思わずふたりして笑ってしまう。それだけ興味津々だったのだろうけれど、あまりにもわかりやすい。

そのあと、マグには琥珀色の蜂蜜をひと匙。彼の分には大匙3つの冷たいミルクを、どちらも木製のスプーンでくるくるりと混ぜられてから、どうぞ、と、もう一度手元に渡された。さきほどまでのやさしくはなやかな香りは、ちがう種類のまろかやさをそれぞれ含んでいる。

彼は、ちいさなうつわへと慎重に顔を近付けて白くまあるい匂いを嗅いだあと、ちいさな口蓋からざらざらの舌をおそるおそるとのばした。ちょうどいいぬくもりだったようで、ひとくちめ、ふたくちめ、とつづけてから、一度瞳を煌めかせて、勢いよく飲みはじめる。どうやらとても気に入ったらしい、口元が汚れるのも気にすることなく一生懸命になっている姿はとても微笑ましくて、そっと背中を撫でる。いつもなら尻尾で返事をしてくるのにそれもないから、よほど夢中になっているのだろう。

同じように様子を見守っている彼女と目があったので、一度頭を下げてマグに口をつけると、途端にやさしい甘みが広がった。はじめに広がる花の香り。そのあとにじんわりと蜂蜜のとろりとした甘みが広がって、そっとすべてを包み込んで身体にしみわたっていく。こくこく、と飲みつづけることのできるおいしさだった。


まだ少し物足りなさそうな彼の口元を拭いて綺麗にしたり、お代を払ったりして、籐の籠を受け取った。と同時にちいさな小包を渡される。真四角のその箱に鼻を近づけて匂いを探ってみると、包装紙の匂いと、それに混じって控えめに先ほどのハーブティの香りがする。どうやら箱の中身はティーバックらしい。


「気に入ってくれたみたいやし、おすそわけ」


どうしよう、と、目を瞬かせていると、そのひとは、個人で買うててお店の品やないから気にせんと、ね、と笑ってくれたので、ありがたく受け取ることにして(決して肩へと場所を移動した彼の爪が痛かったとか、尻尾でぱたんぱたんと叩かれる背中がくすぐったかったとかが理由というわけではない、と思う)、小包は失くしてしまうことのないように、鞄の奥にそっといれた。


たくさんやから気いつけてね、またおまちしています、という声に頭を下げる。大きな音を立てることのないように、身体で支えて扉を閉めたあと、階段を降りて数歩。振り返ると、黒い扉に飾られたリースは、店の奥のそれよりも華やかに、冬風の中でちいさな春を胸に秘めてその場に在った。



鞄から時計を出して確認すると、今から教会まで戻れば準備には充分な時間があるだろうけれど、寄り道するほどの余裕はない、そんな時間になっていた。今までよりもこころもち足を早めて帰途を辿りながら、頭の中は、もらったハーブティのことでいっぱいにまっている。ストレートで飲むときは、どんなお茶請けがいいだろうか。ミルクをいれるなら、蜂蜜も一緒に溶かすのならその割合はどうなるのだろう。彼にとってのいっとうお気に入りになるのはどの組合せになるだろうか、健康のことを考えると、さすがにとても甘くはできないのだけれど。


そういえば、まずそもそも紅茶とおなじ淹れ方でいいのかどうかも知らないことに気が付いて。もう少し、注意事項というか、こつのようなものをきいておけばよかったな、なんて思っていたときに、ふと、街の喧騒にまぎれて耳に入ってきた歌声は、足を止めるには充分な驚きを孕んでいた。


旋律は誰が知っていてもおかしくはないけれど

(約束どおり、毎日弾いているのだから)

それでも、誰も知らないはずなのだ。そのうたは、

(どうしてその歌詞を知っているの、)


母がつくったもので、それでもそれを、母は旋律しか歌わなくて。

(もかのこえに一番あうことばだもの、と、軽やかにわらっていたのはもうあまりにも遠い日々で)

幼い頃よく強請られて歌ってはいたけれど、それは、家の中での父と母か。迎えに来る父を待つ教会の中で母しか、聴いていないはずで。

(子守唄なんだったらとうさまとかかあさまがうたってよ、といってもふたりとも笑うだけだったっけ)



あの日、声を失ってから。歌えるひとはいないはずなのだから。


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