第1話 向川 茂 90歳
ここは福岡県のある市内、ほどほどの都会の一軒家、そこで目覚ましの音が鳴り響く。
その音で目が覚め、スイッチを押しながら、ぼんやりした頭で天井を見上げた後、頭上の目覚まし時計を背の低い爺さんが眺めた。
遠くにかけてある猫のカレンダーに目線を移しゆっくりと起き上がる。髪をかき上げようにも生えている髪は少なく、すぐに地肌に届いてしまう。
思わず見た枕には数本の薄く白い色の髪の毛が……。髪の毛を拾い上げ、ごみ箱に捨て伸びをしながら再びカレンダーに目線を移す。
十月二十五日。向川 茂の誕生日。茂は本日九十歳になる。
窓の向こうから朝日が照らし、すがすがしい朝のように思えた。電気をつけ辺りを見渡す。
昔の夢を見るのはココ毎日の日課であった。
ある程度片付けられている部屋を前に茂の中に静寂が重くのしかかる。
タンスの上には気難しそうな爺さんと気が強そうな婆さん二人が並んだ写真立てが置かれている。
もちろん爺さんは茂、婆さんは十年前に先立たれた茂の妻、都だ。
お見合い結婚。親同士が決めた結婚だった。
写真立ての隣に置いてある携帯の音に茂は思わず細い身体がびくつき、ふらついた身体を何とか立て直し携帯を手に取る。
メールが来たようだ。
茂は皺くちゃになった手でタンスの小さな引き出しから虫眼鏡を取り出し、携帯電話画面に宛がう。
『じいさん、今、クルマで事故ったから金、頂戴!この口座番号に振り込んでくれたらいいから』
久しぶりに孫からのメールだとわくわくした気持ちで開いたとき書いてあった内容がそれであった。
銀行の口座番号まで載せてある。メルアドは何度見ても孫の物の様で振り込め詐欺ではないらしい。
重苦しいものが胸いっぱいに広がり茂は思わず咳き込む。
深呼吸をし、孫の顔を思い浮かべた。
子供や孫の連絡がある時は金関係ばかり、茂には子供等がどんな生活をしているのかも分からなかった。
金は困らない程度あるし、この年でも虫眼鏡を見たり文字を拡大したりして携帯も使え、茂はなんとか一人で生活できた。
足腰も弱ってはいるが年の割にはある程度歩けるぐらい不自由はないし、タクシーを使い病院にも行ける。
ただ、寂しさ虚しさはずっとついて回った。もう九十になる茂は運がいいのか悪いのか、持病も特になく何時死ねるのかも分からない。
虫眼鏡が有った所の横に置いてある小さなカギを取り出し机の三番目の引き出しを開ける。
中に入っている小さな箱を取り出すと中には真っ茶色の古い手紙が入っている。茂はそのうちの一枚を丁寧に取り出し読み始めた。
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