メロン味、到来

二石臼杵

メロンからの卒業

「メロンだ」


 僕の口から出たその一言に、新太の手が止まった。


「なんだって?」


「メロンだよ」


 聞き返す新太にもう一度言う。今度ははっきりと発音してやった。


「それがか?」


 新太は眉をひそめて僕の手を指差す。

 僕の手には、蜂蜜を塗りたくったキュウリが握られていた。

 キュウリに蜂蜜でメロンの味。誰でも知っているうさん臭い食べ合わせの味だが、実際に食べてみようと踏み出す人は少ない。

 かく言う僕も、その大多数の一人に埋もれていた。だけどさっきキュウリをかじった瞬間、僕は数の土の中から発掘されたのだ。口の中に広がる新しい景色は、食べたことのあるメロンの味そのものだった。


「お前な、そんな冗談を言って面白いのは子どものうちだけだろ」


「僕も新太もまだ中学生じゃないか」


「明日卒業するけどな」


 新太はため息をついた。

 僕と新太は中学に入ってから知り合った。気は合わないけど不思議と話は合う仲で、気づいたら遊ぶようになっていた。どっちから声をかけたのかなんてもうお互いに覚えちゃいない。

 卒業式を明日に控え、一足早く卒業祝いでもしようかと声をかけたら暇だったのは新太だけだった。

 卒業祝いと言っても本当にささやかなもので、親は二人とも出かけていて家の中には僕と新太しかいない。弟は普通通り学校に行っている。卒業シーズンで一番時間を持て余しているのは当の卒業生自身だったりする。

 料理は母さんに用意してもらったもので、特別なメニューじゃない。今、テーブルの上にあるおかずは麻婆豆腐とポテトサラダ。それに合わせて出てきたのはあろうことかご飯ではなくトーストだった。

 そしてさらに信じられないことに、新太はパンに関しては甘党だった。まさか初めてやってきた人んちで蜂蜜を要求するとは思わなかった。

 そう、蜂蜜と、サラダに使われた残りのキュウリ。かくして役者は揃ったのだ。


 もう一口、蜂蜜を垂らしてキュウリをしゃくっとかじってみる。蜂が育てた甘味とキュウリのみずみずしさが合わさると、もはや完全にメロンを食べているとしか思えなかった。そのくせ食感はキュウリのものだから、舌と脳がすれ違って混乱する。

 けれども僕はいたって冷静だった。これは間違いなくメロンだ。なんなら本物のメロンよりもずっとメロンらしかった。


「新太も食べてみなって。ほんとにメロンの味だから」


「ふざけんな」


 新太は顔をしかめて笑った。頑なに信じないつもりだ。


「だいたい、キュウリに蜂蜜塗っただけでメロンになるんなら、みんな安く済むキュウリしか買わなくなってメロン農家は廃業だ」


「それはみんな知らないからだよ」


「だからおかしいんだろ」


 新太はオレンジジュースをラッパ飲みして、柑橘系臭いげっぷをしたあとに続けた。


「もしお前の言っている通り、本当にメロンの味になるとすれば、もっと広まってていいはずだ。そうならないのは、事実じゃないってことだろ」


 食べもしないくせに言葉にはやたら説得力があったのがなんか悔しかった。こいつを言い負かさない限り、食べようとはしないに違いない。

 僕はただ、この発見を共有したいだけなんだが。


「じゃあさ」


 ここからは単なる負け惜しみだ。根拠もなにもない。


「条件があるんじゃないの?」


「条件?」


 僕の口から出まかせに新太は反応した。


「例えば、昔の好物でも成長するとそうでもなくなるとか、その逆とかさ、あるじゃん」


「まあ、あるな。俺も子どもの頃はウニが好きだったんだけど、今は普通」


「普通ってなに」


 贅沢な舌だ。そんなに食べるもんじゃないだろう、ウニ。


「で、なにが言いたいんだよ?」


 新太は頬杖をついて話を戻してきた。


「うん、つまりさ、大人の味覚になったら、キュウリで蜂蜜がメロンに感じられるってことじゃないの?」


「はあ?」


 新太の眉間にしわが寄る。そら、乗ってきたぞ。


「明日卒業おめでとう、お子様舌くん」


「ばかにしてんのか」


「式で在校生が歌うらしいよ、大人の階段のーぼるー、君はまだ、シンデレラさーって」


「意味わからんけどばかにしてんだろ」


 僕は握っていたキュウリを蜂蜜の瓶に突っ込んで、マイクに見立てて新太に向ける。


「この味がわからないシンデレラ、今の気分は?」


「なんかむかついてきた。そこまで言っておいて、嘘だったら覚悟しとけよお前」


 そう言って、新太はキュウリの先を荒々しくかじった。よし、食いついた。

 これで僕の感動をわかってもらえる。そのはずだった。

 けれども、いたずらが成功したときのようなわくわく感はまるでやってこなかった。

 なにかが僕の中から出て行ったのは確かだった。


 キュウリを頬張った新太の目の色が変わっていく。僕はそれを半眼で眺めているだけだ。

 新太は目を見開いて、興奮して口も開く。


「なんだこれ!」


 メロンだろ? でも、僕はもうそれを味わうことはない。

 なぜだろう、ふとわかったんだ。目に見えない誰かが教えてくれた。

 さっきその場しのぎで言った条件ってのは、実在していたんだ。


「ほんとだ! キュウリに蜂蜜でメロンの味がする! 寸分変わらぬメロン味! すげえ! 疑ってごめん!」


 おおはしゃぎする新太を見ていると、僕の中の熱がどんどん冷めていく。新太の中に移動したんだろう。いや、引っ越しかな。

 僕は最後の一欠片になったキュウリを口に放り込んで噛み砕く。蜂蜜を塗っただけのキュウリの味しかしなかった。有り体に言って不味かった。


 新太の言い分も間違ってなかった。

 道理で誰も騒がないわけだ。あのメロンの味は、常に誰か一人だけしか感じられないんだ。一度食べた人のところへは戻らず、もっとも新しい探究者の舌にだけ宿る味。

 もう一度食べても味わえることはなく、気のせいだったとしか思えなくなる。


「なあ、なんでこんなにメロンの味がするんだろうな!」


 無邪気に喜ぶ新太にさっきまでの自分が重なる。それがひどく滑稽に見える。僕は過去に笑いかけた。


「なに言ってるんだ。ただの蜂蜜とキュウリの味だよ」


 僕は安っぽい幻のメロンから卒業した。

 新太もすぐに気づくだろう。なんせ明日は卒業式なのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メロン味、到来 二石臼杵 @Zeck

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ