お台場情熱大陸

 バイオリンが唄う。

 その旋律はさながらひとりの、いや、一体のパネルを祝福しつつ彩るかのようだった。


「僕が嵌められてるように見えるかい? だったら君は、まだまだだね。彼らは僕に嵌められてるんだ。自らのハマりたい欲求を刺激されていると自覚することなく、彼らは僕にハマってくる。それはもはや、帰巣本能と言ってもいいかもしれない。なに? よくわからないって? 勿論だとも。こういうのは、頭で考えてもわからない。さっきも言ったけど、それが意識にのぼってることはないんだ。ただ感じる。言葉には出来ないけど、それが理解できる。とりあえず、君も一度、僕にハマってみなよ。そうすればわかるはずさ」


 その男は、いや、そのパネルは吹き付ける強めの潮風にも、表情を変えない。

 爽やかな微笑を湛えて、多くのクライアントの要望に応える。

 女神先輩。年齢不詳。

 彼について、我々が知っていることは少ない。その存在の多くが謎に包まれている。しかし、いや、だからだろうか。

 多くの人々が、彼に惹き付けられる。


「「「キャー」」」


 今日も今日とて、彼は黄色い歓声を浴びている。うら若き乙女たちの、こちらに気を引きたい一心で投げ掛けられる矯声にも、彼は一切、反応を返さない。

 それは果たして、プロ意識の為せる技なのだろうか。我々はその疑問を、彼にぶつけてみた。

「いやあ、仕事中は、なんだか、緊張してしまって。「お前はいつも、表情が硬い」って、昔よく先輩に怒られましたが、僕もまだまだですね」

 彼は、朗らかにそう謙遜した。写真に映るその刹那に彼が我々に見せる表情は、実に様々である。それでもまだなお、高みを目指そうとするその姿勢はやはり、彼がプロだからこその姿勢なのだろうか。


 ふと彼の後ろを賑やかで華やかな一団が通過する。

 女子高生だ。

 彼女たちは彼の後ろを通りすぎたあと少しして、誰からともなく立ち止まり、肩を寄せ合いひそひそと何事かを話し合う。

 チラチラと、彼の方を見ながら。


 その間も彼は仕事を続ける。

 我々は、人気者であるが故のこういった事態に関して、彼がどう捉えているのか、尋ねる。


 ……気になりませんか?

「まあ、よくあることなので。もう慣れましたね」


 彼女たちは恐る恐るといった感じで、彼に近づく。

 しかし近くまで来ると、その足が止まる。

「ねえ、先行きなよ」

「え~」

「そんなこと言うなら、そっちが行きなよぉ」

「めぐみってば、そんなこと言って、実は自分が恥ずかしいんでしょ」

「違うよぉ。ねぇ、早くサキ行きなってえ」

 彼女たちの初々しい反応に、表情は凛々しいままだが、彼もどこかむず痒いような、こそばゆいような、どことなく嬉しそうである。

 やがて意を決したように、彼女たちのうちの一人がその足を進める。

「おっ」

「きたきた!」

 囃し立てる声に、その娘は恥ずかしそうにしながらも、彼の背後ではなく、正面に立つ。

 さすがの彼も、少し動揺したようだった。

 その娘は上目遣いで彼の顔に自らの顔をゆっくりと近付ける。

 こちらに鼓動が聞こえてきそうなほど、息が詰まる時間が経過して。

 やがて彼と彼女の顔が重なる。

「「「キャー!!」」」

 それを見ていた他の子たちはひときわ大きな歓声をあげる。

 パシャリ。パシャリ。

 迸るフラッシュ。祝福されるべき瞬間が、カメラに収められる。しかし彼女たちはそれをインスタにアップする気配はなく、代わる代わる彼女たちのツーショットを撮る。実際彼の裏側しか映ってないはずなので、それでいいのか甚だ疑問は残るのだが。


 やがて彼女たちは、上気した顔のまま、興奮冷めやらぬ様子でその場を去っていった。

 それぞれの、胸のうちに、彼との邂逅を秘めて。

 誰に見せるでもない、思い出にするのだろう。

 その甘酸っぱい気持ちを目の当たりにして、晴れやかなお台場にいながら、我々は少し切なくなった。


 * * *



 正午時。

 パタリと人がいなくなる瞬間があり、彼が休憩に入ったので、我々もそれに同行する。

 瞑目して、呼吸を落ち着ける。

 そうしたのも束の間、彼の顔はすぐに仕事の顔に戻った。


 ーーもう休憩は終わりですか?

「ええ。あまり休みすぎるとかえって、復帰が難しくなりますから」

 やはり彼はプロなのだ。きちんと仕事のことを考えた上で、仕事の質を維持するために、必要な分の休憩をとる。

 休憩でーす、と聞くやいなや、わーいと何も考えずおやつバクバク、ダラダラぐーすかぴーしてしまう我々とは天と地ほどの差があるのだと痛感する。

「それにほら、またすぐにクライアントは来てしまう」

 彼はやれやれといった感じを出しつつ、それでもどこか嬉しげにそう言った。

 見ると、ひとりの青年が興奮した面持ちで、彼を見ていた。

 高身長で清潔感もあり、顔立ちも凛々しい。しかし結構、いやかなり、挙動不審である。視線をキョロキョロと落ち着きなく、そこらにはわせている。顔色も少し赤くなっていて、震える身体をなだめるように、彼の回りをぐるぐる歩き回る。

 呼吸も荒く、何度も唾を飲み下しているようだ。

 率直に言って、あまり関わりたくない。

 嫌らしい質問とは思いつつも、我々は聞かずにはいられなかった。


ーーこういうクライアントは断らないのですか?

「そうですね。まあお気持ちはわかりますが、でもね、誰にだって、感情が昂ってしまって、冷静ではいられないこともあるでしょう? それくらい楽しんでもらえている証拠だと思えるので、僕は嬉しいんですよ」


 すごい。これはもはや、プロという枠組みでは収まらないのでは?

 我々はそう感じ始めた。人類愛に溢れた、そうそれは言うなれば神!

 そう、彼はやはり、神なのだ!


 周囲の人が再び捌けた瞬間、青年は意を決したよう悲痛な顔をして、彼をがっしりと両手で固定して、正面から向かい合う。

 ーーなぜ?

 我々の疑問はその辺に捨て置かれ、青年はじっとりと額に汗を浮かべたまま、彼の顔に自分の顔を近付ける。

 それはさながら、大願成就を目の当たりにしたような光景だった。

 青年の想いに応えるかのように、彼もじっと、その瞬間を待ち受ける。

 我々であれば、気持ち悪すぎて到底真似できない所業である。

 まさに神の御業!

 重なった瞬間、青年はまだ、ことの次第を理解できていないらしく無反応だった。

 しかし、じんわりとその顔に喜びが充満していくのが端から見ていてわかった。

 信じられないくらいに、にんまりと青年は微笑む。汗が滴る。恍惚とした表情で、自らの顔を少しすりすりと回転させて、彼の顔穴を味わっているかのようだった。

 青年は人心地ついたのか、ハッと我に返り、慌てた様子でポケットからスマホを取り出す。

自撮りをしようと、彼を抱き締めるようにして、スマホを構える。

 ……いやだからなんで裏側?

 逆光だったのか、左手にカメラを持ち変えた拍子ーー

 ダンッ!!

 勢い余って、我々(ガンダム)にその手が当たってしまう。

 先輩と平行に設置されていた我々(ガンダムくん)はやや左後ろずれてしまう。

 ーーハッ!!

 ……我々はある事実に気づいてしまう。


 堪能しきって、青年は帰っていった。律儀な性格なのか、ずらしてしまったガンダムくんを元に戻して。


 * * *


 昼下がり。

 傾きかけている太陽は、じわじわとガンダムくんを責め立てているようだった。

 言うべきか、否か。

 さっきまでノリノリで情熱大陸ごっこをしていたのに、急に黙りこんでしまったガンダムくんを不思議に思い、女神先輩は声をかける。

「どうかしましたか?」

 よほど気持ちがよかったのか、まだまだ情熱大陸ごっこを続けるつもりらしい。

 ガンダムくんはちらと上目遣いになって言いかける。

「あの……」

「なんでしょう?」

「あの……さ……」

「それちゃうやろ」

「え?」

「今俺たちは何をやっている?」

「……情熱大陸ごっこ」

「そうだ、情熱大陸ごっこだ。なのにだよ、インタビュアーがタメ口聞いちゃダメでしょ」

「あ……いや、ちがくて」

「なにが……あっ、いらっしゃいませー」

 ガンダムくんが続きを言いかけると、お散歩途中の幼稚園児らしき一群が通りかかる。

 「「わあーー!!」」

 「「きゃーー!!」」


 二人は絶大な人気を誇る。

「はぁーい! 順番に撮るからねー! みんなー、並んでねー」

 引率の保育士さんはにこやかにそう言って、二人の裏側に回る。

 ああ!!

 ガンダムくんは目を覆う。

 保育士さんは顔をひきつらせて固まってしまう。

「どうかしましたー?」

 他の保育士さんにそう問われて、フリーズから立ち直ったその保育士さんは駆け出す。

 女神先輩は、ん? どうかした? って顔をしているけども、情熱大陸ごっこの途中ということで、動揺を悟られないように、あるいは映像に無駄を残さないように、何事もないようかのようにしていた。


 やがて先生会議が終わった。

 ガンダムくんはてっきり帰っていくものだと思っていたが、どうやら撮影は続行するらしい。

 勝手にドギマギするも、杞憂に終わる。

 今回はちゃんと、表側から写真が撮られたからだ。

 園児たちは心底嬉しそうにはしゃぎ、オーソドックスな撮影にやっぱり嬉しそうな女神先輩。

 対して、顔が強張ったままの保育士たちと女神先輩に真実を告げるべきかどうか、懊悩するガンダムくん。

 そのコントラストはさながら、夕暮れ時の空みたいだった。

「ねー! これなんて書いてあるのー!?」

 ギクッ!!

 無邪気にも、園児から発せられたその問いに、何故だろう? 二つ分のギクッ!! がこだました。

「えっと……の……お、い、で……んー、わかんない。ねえ先生なんて読むのー?」

「……うーん。外国語だからねえ。先生も読めないや」

「先生も読めないのー? そんなのもあるのー?」

 危機は回避され、ガンダムくんがぐったりしとように全身から力を抜く。

 それを見ていた女神先輩は、薄々感づき始めた。


 * * *


 夜。

 すっかり日が沈み、あたりは恋人たちで賑わい出す。

 そんな中、女神先輩はぽつりと呟く。

「なぁ、ガンダム。正直に答えてくれ」

 唐突に言われて、ガンダムくんは思いっきり動揺してしまう。

 ガンダムくんが何も言わないでいると、女神先輩は続けた。

「本当は……気付いてんだよ」

 ギクリ、と関節がないはずの首が動いたような気がしてしまうガンダムくん。

 なんとか取り繕うことにする。

「えっと……なにに?」

 それを耳にして、フッと女神先輩はニヒルに笑う。

「とぼけるなよ。俺だってわかってんだ……本当は」

 ガンダムくんはなんと声をかけて良いのかわからなかった。女神先輩の顔穴、その裏側には、卑猥な言葉とともに、妙に立体的な絵が描かれていた。

 午前中の女子高生たち、興奮しきりの青年、ひきつった顔の保育士。

 みんなのリアクションはすべて、女神先輩のプロ意識とか人気とかはまったく全然これっぽっちも関係なく、その通り落書き魔の功績だった。

 よくもいけしゃあしゃあと、格好つけていたものだ、などとは決して、微塵も、ガンダムくんは思っていなかったが、それにしても、どうしたものかと頭を悩ませる。

 思いっきり笑いたい衝動と、慰め励まさなくては、という善き隣人としての振る舞いが、胸のうちでぶつかり合い、時折こらえこれず、「ブフォッ!!」と息を漏らしてしまっていた。

 そんな様子のガンダムくんを怪訝に思うでもなく、しんみりした様子の女神先輩は続ける。

「でもさ……だからって、それで落ち込んで、先を見ようともしなくなって……諦めてこのまま、じーっとしてたってしょうがないだろ?」

 そこでガンダムくんは、おろ? と思い始める。

 いつになくシリアスな説得モードの女神先輩を見て、おやや? と思う。

 なんかズレてないか?

「女神先輩。あの……すみません。僕には女神先輩が見ているものがわかりません」

 僕は女神先輩が絶対見れないものをバッチリ見ちまいましたがね!

「お前、俺たちパネルなのに、何が情熱大陸だって、途中から我に返ってただろ?」

「え? そんなことないよ」

「ほら、すごい喜んで帰っていった青年がいたじゃんか。その後くらいからお前、結構黙りがちになったからさ……」

「そそそそそそうかも、ね?」

 女神先輩は、気付いてない、ということにガンダムくんは気付いてしまった。

 滔々と再び、今日のクライアントの喜びようやら、ハッピースマイルについて語りだした女神先輩の傍ら、ガンダムくんはちょっと踏ん張ってみて、左後方にずれる。

 そうしてもう一度、女神先輩の裏側を見る。


 女神のア○ル。みなさん、こぞっておいでませ。


 女神先輩の顔穴の縁に沿うようにして、そんな文言が踊っていた。

 さらに目を引くのは、立体的で大変立派に描かれたお尻である。

 お尻の穴が、ちょうど、女神先輩の顔穴と一致している。

 そう、一致して畏怖ってやつだ。

 ちょっと何言ってるのかわからないだろうけど、ガンダムくんはもうなんだかひたすらに怖くなってきていた。

 ハッとして、自分の背後を見ようとするも、絶対に見ることはできない。

 時折相づちをちょっと打つだけで、つらつらとパネルとはかくあるべき、とか、仕事論について語っている女神先輩に言ってみて、確認してもらおうかとも思った。

 が。

 やめておくことにした。

 見ると、女神先輩は結構ヒートアップしているみたいで、今日の仕事の盛況ぶりも相まって、いつもより2倍くらい、高説に拍車がかかっている。

 いわばピーク。仕事の成功を味わい、次のステージへの野心を滾らせながら、その想いを熱く語っている。

 そこへこの真実を告げたとしたら。

 その後が大変になるのは明らかなので、言わないことにした。


 ガンダムくんは、早く火曜日にならないか、バイトくんに確認してほしいと願うばかりだった。

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