ぱねるのロマン

エスプライサー

ババアの罠

 田町駅を出て東京湾に向かう。

 ひたすらまっすぐ芝浦の町を歩く。次第に潮の匂いが強くなっていく。

 少し歩くだけで街並みがガラッと変わってくる。埠頭エリアに入り、レインボーブリッジを渡っていると、お台場が見える。

 古墳に見える離れ小島に船、海浜、そして印象的な銀の球体。

 ズズズっとその球体に向かう途中、ちょっと寄り道して階段を上り、デッキを進むと、果たしてそこに、その2体は鎮座している。

 お台場名物(仮)、ガンダムくんと女神パイセンである。



「……暇だな」

「……暇だね」

 今日も今日とて、顔嵌めパネルの二人は暇そうにしていた。平日の午前中、海側のデックスとアクアシティは非常に閑散としている。同じ時間帯でも、頭上をゆりかもめが行き来する国道482号線を東京テレポート駅がある方へ向かえば、お台場で働く人たちでそれなりに賑わっている。

 だがしかし、海側に人はいない。いるとすれば、暇をもて余して優雅な日課をこなす富裕層、はたまた自らの人生に迷う奴くらいなものである。あと、海外からの観光客とかね。


 今日みたいに曇天下な日には、固まる関節がないはずの彼らも、どこか節々が痛むような気がしないでもないような感じがして、仕事がない時間は自然、無口になってしまうことも多い。仕事と言えど、誰かが顔を嵌めてくるのを待つだけだろ、とか思った世の中をちょっと斜に構えて見てる系のそこの君。

 違うんだよなあ。これだから素人は。いいか? 写真に映るときはちゃんとキメ顔つくんなきゃ。大して変わんねえよ、とか思ってないでやってみる。最初は違いがわかんなくとも、次第に違いがわかってくる。あるいは顔の筋肉が成長して、違いが出てくるんだなーこれが。とは、女神先輩、略してメガセン(目が線とか言っちゃダメ)の言。


 いやお前ただの顔嵌めパネルだろ? って?

 いやいや、そりゃそうだけど……なに?

 筋肉もくそもないって、あのね、君。言ってみせ、やって見せ、やらせてみらねば、人は動かぬって言うでしょうが。こっちだって伝わらない悔しさとか乗り越えてやってんだからさ。

 ……なに? 台詞にはそれを言うべき人がいるって?

 何をしゃらくさいことを! この青二才め!

 いいか! お前にずっと立ちっぱで、誰にも褒められないこの仕事が勤まるのか? え? どうなんだい? ロクに自分で働いたことこともないくせして! 理屈ばっかりこねてないで……

「ねぇ、さっきから何ぶつぶつ言ってんの?」

「……人間批判」

「何それ?」

「あるいは、啓蒙活動」

「それは違うよ!」

「!! な、にっ」

「かっこつけなくていい。メガセンはメガセンなんだから。またいつもの愚痴を垂れ流してたんでしょ」

「わかってんなら、あえて聞かんといてーな。まったく、無機質な顔して悪いパネルやわぁ……ハッ!? さてはお前!」

「フッフッフ」

「嵌められたっ!」


 * * *


「なんだこのババア」

「しっ! 女神なのに口が悪いよ。せっかく僕たちのところに来てくれてるんだから」

 本日の記念すべき一人目のお客様は珍しくも、おばあちゃんである。

「さっきから俺、ずーっとじーっと見られてんだけど」

「いやいや、そんな改まって。結構僕たちずーっとじーっと見られるじゃん。何あれー?? とか、変なのーとか、うわっ、ガンダムの顔嵌めパネルじゃん! ちょー嵌めたい、けど恥ずかしい。どうしようかなー、嵌めようかなー、嵌めまいかなー。よし! 神様の言う通り、あっ、間違った。め・が・み様の、言う通り以下略とかさ」

「金とるぞ」

「こら!やめなさいよ」

 彼らは人の思考を読むことが出来る、こともある。それが論理的思考力と観察眼の賜物なのか、はたまた長らく人と向き合い、一心同体になることを続けてきたお陰かどうかは誰にもわからないが、とにかくわかる。わかるったらわかる。

 しかし天は二物を与えずと言うが、彼らが語りかけても、それが人間に届くことはない。

 基本的には。

「さっきからうるさいねえ」

「「!?」」

 二人は顔を見合わせた(風を装った)。

「ババアが喋った……」

「クララが立ったみたいに言わないでよ。喋るよ、普通のおばあちゃんなんだから。まあ言わんとすることはわかるけど」

 たまに、二人と会話が出来る人間がいる。バイトの彼とか店長とか。

 こんな風に、お客さんの中にも、ごくたまーに現れたりする。

「まあ、元気なのは、いいことだけどね。節度を持つことも、大事なことだよ」

「おっしゃる通りです。まったく、うちの駄女神がすいません。失礼なこと言って。あやまって! ほら早くあやまって! 女神先輩」

「それ俺の台詞! っぽいような! でも俺駄女神じゃねーけど! なんかすいません」

「二人とも青白いし、なんだか景気が悪いわねえ。栄養が足りてないのかしら。ちゃんとよく食べないと。一番いけないことは、お腹が空いていることと、一人でいることなんだからね」

 そう言いながら、おばあちゃんは背負っていたリュックをおろして中をごそごそし始める。

「なんだこの大家族の大おばあちゃん感は……さては、長野からはるばる来ましたね! 俺にはわかる! ご苦労様です!」

「急になんなの?」

「お前はサマーウォーズを知らんのか。長野にリスの友達がいるからその辺には詳しいんだ、俺」

「長野のパネルとどうやって知り合うのさ?」

「デジモンのとき、なんか来てたんだよ。本人も、「なんか連れてこられた」って言ってた」

 おばあちゃんはリュックから透明なプラスチックのパックを取り出した。

「ほら、遠慮せんと、お供えしてあげるから、たんとお食べ」

「「!?」」

 言うが早いか、二人が拒絶する間もなく、くりぬかれた顔部分のヘリに、大福を置かれてしまった。

「……どうしましょうね。ガンダムくん」

「……本当にね」

 さながら物干し竿にいい塩梅で干されている、くたびれたクッションみたいに、大福は二人の顔穴に鎮座している。

「大福といえば、昔、こんなことがあってね……」

 満足そうに人心地着いたおばあちゃんは、そう言って昔語りを始める。

 二人は時折相槌を打ちながら熱心に耳を傾ける。

 話が終わったら、ちゃんとこの大福を回収してくれることを、祈りながら。


 * * *


「なあ、なんか噛み合ってなくないか?」

 しばらくおばあちゃんの昔話に相槌を打っていると、メガセンはあることに気付いた。

「たまになんか聞き返してもさ、気にしてないというか、俺の話を邪魔するな感はないけど、本当に聞こえてないような」

 応答がないことに気付き、女神先輩がガンダムくんの様子を伺うと、どうやら冷や汗(偽)を流しながら、固まってるらしかった。

「おい。どうかした?」

「……だいふくが」

「え?」

 恐る恐るといった感じの返事に、女神先輩は一瞬キョトンとするも、すぐに事態を把握する。

 大福が、もう、もたねえ!

「うわ、落ちる!」

「しっ! 静かにして! おばあちゃ~ん、大福が落ちそうだから助けてえ~」

「ーーってことがあったんだけどね。まさかずったら、そのまま履こうとしてね。ふふふーー」

 小声が原因でか、おばあちゃんはガンダムくんの救援要請に応答しない。

「もう我慢ならねえ! おい! ババア! 大福が落ちそうなんだって!」

「ちょ!? 叫ばないで! 大福が落ちちゃうよ! ーーあっ」


 トゥルトゥルトゥルルリン!


 ダンジョン内の新しい部屋を開通させた時になる効果音みたいな感じで、大福はパネルに張り付きながら地面に落ちる。

 たっぷりぎっしり詰まっていた餡(つぶ餡)を残しなから。


「あああああっっ!!」

「うわあああっっ!!」

 異音同意の断末魔も、ババアの耳には届かず。

「ガンダムおまえ! ババア聞こえてねえぞ!」

「メガセンが言い出しっぺだよ!」

「はあ!? ……あ」

「いやいやいや!」

 そこではたと、おばあちゃんはようやくことの事態に気づく。

「あらあら、ふふふ。落ちちゃったわね。ふふふ」

「笑い事じゃねえぞババア」

 女神先輩すっかり怒髪天である。女神感は欠片もなく、不良感満載でいたいけなおばあちゃんを罵る。いつもはフォローに入るガンダムくんも、さすがに無言の圧をかけているらしかった。

 と、思いきや、どうやら様子がおかしい。

「おい。どうした? お前もなんか言ってやれよ」

「ねぇ、あれ見てよ……」

 ガンダムくんはこの世の終わりみたいな声で囁く。

「ん? あれ……」

 女神先輩が心眼でことの次第を把握しようとすると、二人をこれから待ち受ける絶望のカウントダウンに気付いた。

 重低音のベルが鳴る。

「ババ……おばあちゃん、悪いことは言わない。リュックの中に、使い捨てのおしぼりとか入ってるんでしょ? 溜め込んでるんでしょ? 俺知ってんだよ」

「メガセン。無駄だよ。おばあちゃんに僕たちの声は届いてない」

 おばあちゃんはポケットから取り出したハンカチを、口に含んでくちゅくちゅしていた。

「ほら、これできれいにしてあげるよ」

「「結構です!!」」


 二人の丁寧さを維持した節度ある拒絶も、年寄りのお節介は簡単にブレイクスルー。


「おいおいおいおい! ガンダムなんとかしろ!」

「いやいやいや! 最初に勘違いしたパイセンのせいでしょ! なんとかしてよ!」

「……わかった」

「ホッ」

「ガンダムくん。僕は悟りましたよ。僕らの勘違いでさえ、運命の前には無意味なことだったんだ。僕らの声が最初から届いてない以上、こうなることは、……グスン……泣きっ面に追い討ちをかけられることは、必然だったんだ……」

「……うわああああああっっーー!!」


「「嵌められたっ!」」



「……ああもううるさいねえ。大人しくしてたら、この大福持ってっていいから。そんなキャンキャン鳴かないの」

 大福に集まってきたカモメに向かって語りかけるおばあちゃんの背中を、二人はなま暖かく見つめた。


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