力士も聖母も涙する

 うちの地元には力士の銅像がある。

 別段珍しくもないだろうが、地域出身の力士を称えたものだ。

 ある日、不定期日課の夜散歩がてらその像の近くを通りがかったら、全身銅製の力士の両目から涙が流れていた。

 泣いている。

 そう思い、しかしすぐに理性が否定する。

 違う。夕立、あるいは水掃除の跡でたまたま目からこぼれた水の筋が見えているだけだ。

 生半可な知識や理性というやつは浪漫の欠片もないもので、怖がる前にそんな結論を導き出してQ.E.D.してしまった。

 だが、同時に納得と感心もした。

 なるほど、怪談というのはこうやって作り上げられていくものなのだなと。

 世にある二宮金次郎像や校長の銅像やらが泣いていた類の怪談の正体も、これと同じ枯れ尾花なのかもしれない。

 血の涙を流すマリア像もあったが、あれも確か錆か何かが流れてそう見えただけのようだと聞く。

 銅像や石造の顔面で水が一番溜まりやすい凹凸のある箇所といえば両目だ。理に適っている。

 立体像ではないが、ベートーベンの肖像画やモナ・リザの絵画が涙を流す噂も、眼球の塗料、あるいは目の下の絵の具が剥げ落ちた結果である可能性も否めないだろう。

 なんにせよ、ある程度の説明やこじつけくらいならいくらでも付け足せるものだ。

 では、オカルト的な視点で見てみよう。

 もし彼らが自身の意思、あるいは見えざる何者かの仕業によって本当に涙を流していると仮定する。

 ならばなぜ涙なのだるか。

 鼻水や鼻血ではだめか。だめだろうな。

 それでは怪談ではなくただの笑い話になってしまう。

 神秘性よりもユーモアが勝ってしまい、インパクトとしては同じでも語り継がれ方は真逆なものとなるだろう。

 だから人の形をしたものは泣かなければならない。

 たとえ埃まみれになっても、花粉症になっても。

 決して鼻から液体を垂れ流すわけにはいかないのだ。

 彼らの涙は、その必死の我慢の証なのかもしれない。

 力士も聖母もベートーベンも、みな意地で涙を流すことで堪えている。

 その涙だからこそ、見る者に鬼気迫る印象を与えるのだろう、たぶん。

 こんな話をしていると、誰も見ていないところで今ごろ力士像はくしゃみをしているかもしれない。

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