私の右手は頭が高い

 物心ついたときからの癖というものは誰しもあるだろう。

 私の場合のそれは、自分の右手のひらを見つめることだった。

 何がきっかけとなったのかはもう思い出せないが、気づいたときにはその癖がすっかり染み付いてしまっていた。

 自分の手を見て思うのはいつもだいたいおんなじことだ。

 私の手には五本の指があり、それは自分の意思で曲げ伸ばしができる。

 指の存在は私はドラえもんではないということを表し、同時に私が今立っているこの世界は漫画やアニメなどの空想の物語ではなく、現実なのだといやでも突きつけてくる。

 もちろん笑い話だと思ってくれて構わない。

 だが、初めてそのことに気づいてしまった幼い私は非常に大きなショックを受けた。

 自分はフィクションの住人に非ず、ひみつ道具も何一つ実在しない現実を生きてゆかなねばならない証に他ならなかったからだ。

 現実の厳しさを知るのはそれからまだ先の話になるが、少なくともドラえもんのいる世界よりはいくらか厳しいであろう現実を生きる羽目になることを覚悟させられるには充分だった。

 要するに、逆現実逃避というか、自分がここにいることの再確認のようなものだ。

 私の手の実在が現実を教えてくれる。

 しげしげと眺める五本の指は人より少し長めで、そこがちょっとだけ誇らしい。

 この手で私は幾冊もの本のページを捲り、いくつかの小説を書いてきた。

 すべてこの手のおかげだ。

 だからもし自分の体に牛肉のような部位ごとの価値を付けるならば、間違いなく一番お高いのは右手、次いで左手になるだろう。

 パソコンで文章を打っているときも、脳ではなく指先が勝手に文章を考えたかのように文字が出力されていく感覚を何度も味わったこともある。

 食用向けではないが、私にとってこの手にはA5ランク以上の価値が確かに宿っている。

 私の体の頂点に君臨する支配者は手であり、その手は私の思いに忠実に従うかけがえのないしもべでもある。

 私の手は高くつく。しかし、それはプライスレスということであり、他人から見ればやはり0円の置き物に過ぎないのだろう。

 だから他の人から見ればタダ同然のツールを使って小説を書いているように見えているのかもしれないが、私にしてみれば選びに選び抜いたオーダーメイドの超高級な弘法の筆を使っているつもりだ。

 それにわずかばかりでも見合うような話が書けるようにただ祈るばかりの日々をこれからも送り続けるのだろう。

 両の手を合わせて、祈る日々を。

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