スマモ

おちょぼ

スマモ

 魔法使い。

 高い魔力と叡智をもって世界に干渉し、事象をねじ曲げる者たち。

 そのわざは無から有を生み、不可能を可能にするとまで言われている。

 戦場に出れば一騎当千。

 大地に立てば土塊から数万にも及ぶゴーレムの軍勢を生み出し、海に出れば嵐を呼び出し数万の艦隊を海に沈めたという。

 まさに戦場の花形。

 騎士と並んで子供達の憧れの的である。


 ……そう言われていたのも今は昔。

 いまや戦争は終わり、平和な世の中になって久しい。

 もはや数万のゴーレムも、艦隊を沈める嵐も無用の長物となってしまったのだ。


 いや、平和が訪れたことは素直に喜ばしいことだ。

 もう魔王の軍勢に怯えたり、明日の命を心配したりする必要が無くなったのだから。

 その点は魔王を倒した勇者に感謝しなくてはなるまい。

 ……だがそうなると困るのは俺のような戦争を生業なりわいにする魔法使いだ。


 そもそも一口に魔法使いといってもその実力はピンキリである。

 先程挙げたような魔法を使える魔法使いは、それこそ歴史に名を残すような英雄のみだ。

 むしろ大部分の魔法使いは一度に使役できるゴーレムなんて一体が限度だし、嵐を呼び出すどころか雨を降らせることができるやつ自体が稀だ。


 そして俺はその『大部分の魔法使い』の中でも下から数えた方が早いくらいの実力しかない。

 それでも魔族との戦争が続いていた頃はよかったんだ。

 魔王の軍勢、魔獣の群れ、山賊の討伐――

 戦いの種はそこら中に転がっていて尽きることは無く。

 俺のような中の下程度の魔法使いでも食い扶持に困ることは無かった。


 だが時代は変わった。

 魔王が異界から現れた勇者によって討ち取られたという知らせが世界を駆け巡った『運命の日』から十年。たった十年で世界は見違えるほどに平和になった。なってしまった。


 それこそ、俺のような半端な魔法使いなんていらなくなるほどに。

 これで実力のある魔法使いなら、貴族や豪商に召し抱えられて食べるものにも困らなかっただろうが。残念ながら俺を雇ってくれるような場所はどこにもなかった。


 ○


「ったく、やってられん」


 俺は手にしていたエールのジョッキを呷ると、酒場のカウンターに荒々しく叩きつける。

 するとカウンターの中で店内を眺めていた、ムキムキで見ているだけでも暑苦しくなりそうな酒場の主人が話しかけてきた。


「おいおいスティーブ。今日はやけに荒れてんじゃあねぇか」

「バッカス。仕方ないだろう。せっかく新作の魔導書グリモアの原稿を書き上げたというのに、魔導院の奴らが『お前の魔導書は売れないから今後は取り扱わないことにする』とか寝ぼけたことを言い出したんだぞ。これが飲まずにいられるか」


 魔導書とは魔力が低く、魔法への知識も乏しい一般人でも、魔法を使えるようにするための道具のことだ。魔法使いが魔法を使うために必要なエッセンスを抽出し、特殊な処理をした紙とペンを使うことで作ることができる。もっとも、本物の魔法使いが使う魔法とは精度は比べるべくもないが、それでも一般人の暮らしは大分楽になるだろう。


 傭兵としての仕事が無くなった俺は、魔導書を書くことでなんとか食いつないできた。

 それもついさっきクビになったところだが。


「スティーブよぉ。お前さんの書く魔導書はなんつぅか、奇をてらい過ぎなんだよ。もうちょっと王道なとこを攻めてみてもよかったんじゃねぇか?」

「そう単純な話でもないんだよ、これは」


 魔導書というのは古くからある代物だ。

 だから『火種の魔法』や『水湧きの魔法』なんかの有名で便利な魔法は、とっくに魔導書用に効率化され量産化する体制が整えられている。


 要するに魔導書作りで稼ごうと思ったら王道な物を作っても意味が無いのだ。

 俺がそういうことを懇々とバッカスに説明してやると、バッカスはチラリと俺の脇に置いてある新作の魔道書の試作品に目をやり、


「そうは言ってもなあ。確かに俺は魔法に関しちゃ門外漢もいいとこだが、それでもスティーブの作る魔導書が変なのはわかるぞ。なんせそれ、本ってより板にしか見えないからな」

「うっ。まあ確かにコレは時代を先取りしすぎたかもしれない。だが使えばわかる筈だ。この魔導書と、それを作った俺の偉大さに!」

「はいはい。そりゃすごいな。偉大だな」


 こいつまったく信じていないな。酔っ払いの戯れ言だとでも思っているのか。

 まあ実際に使っているところを見せてやれば理解するだろう。

 俺は魔導書を起動させると表面をなぞって魔法を発動させ……。


 その時、ふとバッカスが思い出したように言った。


「そういえば最近アーノルドの姿を見ないんだが、何か知らないか?」


 その言葉にすっと頭が冷え、酔いが覚めるのを感じた。

 急速に現実に戻される感覚に思わず顔をしかめる。


「……アーノルドなら田舎に帰ったよ。実家の農業を継ぐんだと」

「……そうか」


 バッカスはそれだけで全てを悟ったのか、それ以上は何も言わなかった。

 アーノルドは俺の友人だ。

 同じくらいの実力の魔法使いで、年も近かったこともありよくつるんでいた。

 まだ駆け出しの魔法使いだったころから一緒にやってきた、いわゆる相棒という奴だった。


 だがそいつもつい一週間ほど前に魔法使いをやめて田舎に帰ってしまった。

 理由は一重に、魔法使いが金にならないからだ。


「……」


 勇者が魔王を倒して以降、俺に近しい実力の魔法使いは、先見の明がある奴からどんどんやめていった。今も売れないくせに魔法使いであることに固執しているような奴なんてこの街じゃ俺くらいのものじゃないか?


「なあスティーブよぉ。悪いことは言わねえ。この機会にお前さんも辞めたらどうだ?」

「どういうことだ」

「どうもこうもねぇよ。お前もわかってんだろ? もう魔法使いがもてはやされる時代は終わったんだ。お前だって三十路の半ばも過ぎてんだ。早いとこ見切りつけて新しい仕事見つけねぇと取り返しのつかないことになるぞ」

「……わかってるさ。そんなこと」


 俺はそれだけ言うとエールを飲み干し、次のエールをたのんだ。

 バッカスはいい顔をしなかったが、それでも何も言わずに運んできてくれた。


「……くそっ」


 どこで道を間違ったんだろうか。

 なにがいけなかったんだろうか。

 俺がガキの頃に憧れた魔法使いは決してこんな惨めな奴じゃなかったはずだ。

 エールを呷る。

 ぬるいアルコールが喉を焼き、カッと体が熱くなった。


「こうなったのも全部勇者のせいだ」


 ポロリと内に秘めていた本音がこぼれだした。

 ああ、くそ。

 これ以上惨めになりたくないのに。

 だがアルコールに侵された体は俺の意思に反し、黒いヘドロのような心情を垂れ流す。


「勇者が魔王を倒したりなんかしなかったら、まだ楽しくやれていたってのに」


 しん、と賑やかだった酒場が水を打ったように静まりかえる。

 はぁ。

 やっちまった。


「おい、スティーブ。てめぇ……」


 俺の呟きを聞いたバッカスが肩を怒らせて近づいてくる。

 ああ、これは殴られるか。

 あの筋肉で殴られたら痛いじゃ済まないだろうな。

 俺は頭の中のどこか冷静な部分でそんなことを考えながら、ぼうっと近づいてくるバッカスを眺め、


「ふざけないでっ!!」


 そんな声が酒場に響き渡った。

 見れば十二歳くらいのまだ年若い少女が立ち上がり、眉をつり上げてこちらを睨みつけている。


「アンタねぇ。さっきから聞いてれば好き勝手言ってくれんじゃない。勇者がどんな思いをして魔王を倒したかわかっていってんの?」

「なんだこのガキは。勇者でもないのにそんなことわかるわけないだろう」

「だったら謝りなさいよっ! 勇者の気持ちもわからないのに生意気なこと言ってごめんなさいって!」

「はあ? なんでそんなこと言わなきゃならないんだ。だいたいお前だって勇者でもないくせに」

「なんですってぇ」


 俺は少女を無視してエールを呷った。

 その態度に少女が今にも掴みかからんばかりに怒気を放つ。


「言っとくけどねぇ。アンタがさっきから言ってること、自分の実力が無いことを棚に上げて世間が悪いって言ってるだけにしか聞こえないから! ニートと一緒だわ。なっさけないたらありゃしない」

「……なんだと」


 少女の言葉に頭が沸騰するのを感じる。

 ニートという言葉に聞き覚えは無かったが、馬鹿にされているということはわかった。

 思わずジョッキを持つ手に力がこもり、


「おいスティーブ。そこまでにしておけ。今ならまだ酔っ払いの戯れ言として流してやれるが、それ以上やるっていうならお前を警吏に突き出すことになる」


 少女に手をあげそうになる寸前、バッカスの言葉に止められる。

 危ない危ない。

 俺は何をやっているんだ。

 子供相手に大人げない。

 バッカスは俺が冷静になったのを見て取ると少女に向き直り、


「悪いな嬢ちゃん。この酔っ払いには後で俺からお灸を据えておくことにする。だからここは許してくれねぇか」


 バッカスはそう言うと頭を下げた。

 大の大人が頭を下げたのを見て、少女も溜飲を下げ


「はあ? 許すわけないでしょ。お灸を据えるっていうんならこのアタシがじきじきにやってやるわ。それこそ、生まれてきたことを後悔するぐらいにねっ」


 ……そんなことはまったくなかった。

 むしろ邪魔が入ったとばかりに一層不機嫌になると、こちらに向き直り、


「そもそもこんな事言われて怒るってことは図星なんでしょ。プークスクス。こんな幼気いたいけな女の子に煽られて顔真っ赤にしちゃってるー」


 こいつ、マジで殴ってやろうか。

 額に青筋が浮かび上がるのを感じながらバッカスを見ると、少し困惑した顔をしながら顔を横に振った。

 どうやらまだ殴るのはNGらしい。


「な、なあ嬢ちゃん。嬢ちゃんの怒りももっともだ。でもこいつも反省しているわけだしな。ここは一つ、こいつに何か奢らせるってことで何とか気を鎮めてく」

「うっさい。子供扱いするな筋肉ハゲ」

「筋肉ハゲ……」


 筋肉ハゲが少女の心ない言葉のナイフに傷つくとともに、酒場のあちこちから押し殺した笑い声があがった。

 バッカスはああ見えて繊細な心の持ち主だというのに。

 少女は傷ついたバッカスを放置すると猛禽のごとき捕食者の目でこちらを向いた。


「そもそもアンタに実力がないことなんてわかりきったことだったわね。そうでもなきゃ仕事クビになったりしないもんねっ」


 少女はそう言うとあからさまに見下した目をした。

 ああ、そうか。わかったぞ。

 このガキ。さては貴族か豪商の娘だな。俺が煽りに負けて手を出した瞬間、こいつの護衛が出てきてしょっ引かれるに違いない。そうでも無い限り子供が大人に喧嘩売ったりしないだろう。気に食わない奴には自らは手を下さず、他人に任せるとは。まったく、最近の子供はずいぶんとずる賢くなったな。まあ狙いがわかってしまえばかわいいもんだ。ここは俺が大人の対応をしてこいつが飽きるまでつきあってやるとするか。 俺はそう結論づけると寛大な心で少女の言葉を


「そんなんだからそんな年になっても独り身なんだよ。この童貞」


 よし殺そう。

 俺は懐から愛用の杖を取り出し


「いや待てスティーブ。抑えろ抑えろ」


 すんでのところでバッカスに止められる。

 危なかった。

 もう少しでこの糞ガキの策略に嵌められるところだった。

 こいつ、なかなかの策士じゃないか。


「言ってくれるじゃないか糞ガ……お嬢ちゃん。そこまで言うなら見てみるか。俺の魔導書を」


 俺は怒りで震えそうになる体を抑えながら、笑顔を浮かべて魔導書を差し出す。

 少女は露骨に嫌そうな顔をしたが、一応見てみるつもりはあるのか素直にうけとった。


「はっ。なにこれ。こんなののどこが魔導書っていうの? そもそも本じゃなくて板にしか見えな……」


 その通り、俺が今回作ったのは『魔導書=本』という概念すら破壊する一品だ。

 確かに見た目こそ奇抜であるが、その機能はピカイチだ。

 従来の魔導書が持つ数々の問題点――重い、かさばる、火や水に弱いなどを克服した革命的な発明なのだ。


 まあ魔導院の連中は見た目の奇抜さとこれまでの経歴のせいで話しすら聞かずに門前払いにしやがったが。おそらくこの少女もこの魔導書の素晴らしさに気づくことはなく、けなしまくるのだろう。


「な、にこれ……。こんなん、まるでスマホ……」


 と思っていたが、なにやら様子がおかしい。

 ぶつぶつと時折何事か呟きながら無心で魔導書を操作している。

 

 ん?

 というかこの魔導書の使い方がわかるのか。

 確かに難しいものじゃないが、初めて見る人じゃわからないと思ったんだが。


「アンタ、これ、本当にアンタがつくったの?」

「ああ、そうだが?」


 少女は魔導書から顔を上げるとどこかキラキラとした瞳で言った。


「ねえアンタ、アタシと組まない? このスマホ……じゃなかった、魔導書は間違いなく世界を獲れる代物よ」

「……お前、この魔導書の素晴らしさがわかるのか?」

「当たり前! むしろコレの有用性に気づけないとか魔導院の連中は無能ばっかね!」

「だろう!? やっぱり悪いのは俺じゃなくて俺の価値に気づけない世間だよな!?」

「ああその通り! アンタは悪くない。全部世間が悪い」


 すっと少女が手を差し出してくる。

 俺もまたその手を強く、握り返した。


「なあ、兄弟。どうやらアタシ達には誤解があったようね」

「そのようだな。おいバッカス、この子に最高級のミルクを」

「おいおい兄弟。こう見えてアタシはもう成人してるの。余計な気遣いはよしてくれよ」

「おっとこいつは失敬。俺としたことがレディーの年を見誤るとはな。HAHAHA!!……おい、なに惚けているんだバッカス。エール二人前追加だよ。早くしろ」

「あ、ああ。すまん」


 なぜかポカーンとしていたバッカスにエールを注文すると俺は少女に向き直った。


「そう言えば自己紹介がまだだったな。俺の名はスティーブ。しがない魔導書作りの魔法使いさ」

「アタシはアキバエ=リンゴ。リンゴが名前よ。職業は……今は秘密にしておくかな」


 そう言ってリンゴは華の咲くような笑顔をうかべた。





 これが俺とリンゴの出会い。


 この二人がやがてリンゴ社を立ち上げ、次世代型魔導書――スマート魔導書グリモア、略してスマモの売り上げで巨万の富を築くことになるとは、今はまだ誰も想像していなかった。





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スマモ おちょぼ @otyobo

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