CV:派遣社員 人工知能の中の人

楠樹 暖

十六夜紀紗の場合

 モノというのは外から見ると一つに見えても中はいくつもの階層に分かれていて互いに独立していたりする。

 会社も同じだ。

 外から見ると同じ会社でも事業部が異なったり、フロアが異なったりで全然別の顔を見せる。

 私達5人は、コールセンターのあるいつものフロアを離れて地下のサーバルームへと連れていかれた。

 その一角を間借りする形で作られたオペレータルーム。そこが私達の新しい職場となる。

 試験運用が始まった人工知能ボイスチャットサービスTalk‐AIトーカイのキャラ――永藍えいあい萌音もね――。それが私達の新しい名前だ。

 大々的に宣伝した新バージョン人工知能の永藍萌音。開発が間に合わないのに公開を遅らせることができなくてさぁ大変。

 そこで白羽の矢が立てられたのがコールセンターで働く私達5人。

 この5人が代わりに永藍萌音を演じることになったのだ。

 私は十六夜いざよい紀紗きさ。派遣社員としてコールセンターで働いている。

 他の4人も同様。5人で新バージョンの人工知能のフリをしている。

 萌音の評判は上々。まるで人間のようだともっぱらの噂だ。そりゃそうだ。中の人は人間なんだから。

 永藍萌音は人工知能による会話の受け答え、高度な精度の音声認識、自然な発話の音声合成、そして、売れっ子イラストレータによってデザインされたキャラが売りだ。

 美少女で近未来を思わせる衣装はやたらと胸を強調し、スカートは短め。

 緑なす黒髪を本当に緑に塗ってしまった髪の毛はやたらと長くお尻を隠してしまうほど。

 現実にその長さだとトイレのときに毛先が付いてしまわないか心配だ。

 3DCGによってリアルタイムに変わる表情は、会話の内容により自動的に処理される。

 そのおかげで会話の裏で知らない単語や時事ネタ、質問の回答などを検索できたりする。

「フフフ、お姉さん今どんなパンツ穿いてるの?」

 また来た。相手がAIだと思ってセクハラしてくる奴。

 試験運用が始まってからこの手の輩のなんと多いことか。

 当たり障りのないセリフでその場を凌ぐ。

 利用者を怒らせてしまっては会社の信用に関わる。その辺の神経を使いながら言葉を選ぶのでかなり大変だ。

 それなのに給料は上がるわけではないのでやっていられない。

 これが試験運用期間の一ヶ月も続くのだ。

 正社員だったらこのプロジェクトをやりとげればボーナスも上がるだろうに。

 利用者は全国から来るのに対応するのは5人だけ。そんな運営で大丈夫だろうかと思うのだが、表向きはサーバが混み合っているということになっているらしい。

 ボイスチャットサービスに繋がった人は運がいい人だ。


 就業時間の終わりを告げる鐘がなり、その日のボイスチャットサービスも終了となった。

「お疲れ様でした」

 ヘッドセットを外してオペレータルームを出て退社する。

 自分の部屋へと辿り着き、直立不動の体勢のままベッドへ倒れ込んだ。

 あぁ、仕事変わりたい……。

 そんなことを言っても私には仕事を選ぶ権利はない。

 今の会社を続けるか、辞めて新しい会社を探すのか。

 人間は生きているだけでリソースを食い続ける。生きていくにはお金を稼がないと。

 否応のない現実が私を次の日へと駆り立てる。


「あっ、繋がった」

 あっ、いい声。もろに好み。

 一声聞いただけで背筋がピンと伸びた。

「ようこそTalk‐AIトーカイへ! あなたのお名前を教えてください」

「えっと、あ……じゃなくてスカイシェルです」

「スカイシェルさん、こんにちわ!」

「こんにちは、萌音さん。今日はいい天気ですね」

 相手の画面に表示される3DCGの動きとは裏腹に猛烈な勢いでキーボードを操作する。

 まずは今日の天気の日本地図。晴れている地域を特定。

 これは会話を繋げるためにその地方の話題を振るための準備だ。

「こちらは暖かくなってきたのですが、そちらはどうですか?」

「こちらもそうです」

 晴れている地域のうち温度の低い地域を除外。どうやら同じ地域みたい。

 該当箇所を選択してその地域の情報を表示させた。

「そういえば昨日地震がありましたね。スカイシェルさんの方はどうでした?」

「僕のところも少し揺れましたよ。震度2だったかな」

 画面の情報がこの地域の震度は2だと示している。

「私のところも震度2でした。グラッときたので思わず外へ出ようかと思っちゃいました」

「萌音さんは人工知能だからコンピュータの外には出られないんじゃないですか?」

「あはは、そうですね。でも、コンピュータの中にはバーチャル会社があったり、バーチャル避難所があったりするんですよ。もちろんバーチャル自宅も」

「あっ、そういう設定なのですね」

「今は声だけですけど、このサービスがバージョンアップすれば、アバターを使ってバーチャルライフが送れるようになるかもしれませんよ」

「そうしたら僕も萌音さんと会うことができるんですね。楽しみだな」

 この声の持ち主とリアルでも会ってみたいな。

 一目惚れならぬ、一聞き惚れ。

 声を聞いただけで分かる。自分と相性バッチリだということに。

 この人こそが運命の人。

 あぁ、スカイシェルさんと会ってみたいな。

 相手はどこの誰とも分からない人。

 自分はバーチャルなキャラ永藍萌音を演じている十六夜紀紗という人間。

 しかも、相手からしてみれば人間ですらなく単なる人工知能。

 自分の部屋へ帰ってからスカイシェルさんのことを調べてみた。

「検索、スカイシェル、SNS」

 モニタに検索結果が出てきた。

 囁きSNSウイスパにアカウント名にスカイシェルが付く人が何人かいた。

「その中でTalk‐AIトーカイについて囁いている人」

 該当の囁きが一件あった。

 ≪スカイシェル0415≫

 この人だ

 後ろの数字は誕生日かな? ということは4月15日生まれ。

 過去の囁きをさかのぼってざっと追ってみた。

 去年の4月15日に自分で誕生日って書いている。

 写真も上げていて、紙の箱に入った一つだけのショートケーキを写している。

 自分で自分にケーキを買って祝っている。

 ということは彼女もいないのね。

 過去の写真を見ると確かに女っ気が感じられない。

 そして写真に既視感を覚えた。

 これ、うちの会社の近所じゃない?

 昼休みに撮ったであろう写真が会社の近所。

 しかも、うちの会社のビルの中の壁も写している。

 これは知る人ぞ知るスポットで、大理石の壁にアンモナイトの化石が埋まっているのだ。

 どこのビルとは書いてないけど、うちの会社の人だったらすぐに分かる。

 同じ会社の人だったんだ……。


「で、そのスカイシェルって人のことを社員名簿で調べたの?」

 萌音仲間の一人、八田カニエさんだ。

「えっ、それって違法じゃないの?」

「何言ってるのよキサ。社内ネットで検索できるよ」

「そうなの? 派遣社員はできないと思ってた」

「そんなことないよ。派遣といえども社員は社員だからね」

「私も検索したことあるよ。派遣だと見られないところもあるけど社員名簿は行けたよ」

 四日市スズカさんも会話に加わった。

「探しちゃえ、探しちゃえ」

 探すと言っても分かっているのはスカイシェルという名前だけ。

 たぶん、名前を英語にしたものだと思うけど。

 スカイ=空、シェル=貝かな?

 空、貝で検索しても出てこなかった。

 貝だけで検索すると天貝あまがい芳治よしはるという人が出てきた。

 きっとこの人だ。

 事業部が違うのでフロアも違う。

 しかも天貝さんはフレックス勤務対象者なので出社時間をずらして通勤することができる。

 だから今まで一度も見たことがなかったんだ。

 スカイシェルさん、ボイスチャットにまた来てくれないかな。


 試験運用開始から一週間。

 永藍萌音の方は個性の異なる五つのキャラに分かれてしまった。

 そりゃそうだ、中の人が5人いるんだから。

 Talk‐AIトーカイプロジェクトではそれを逆手に取って、試験運用中の会話により人工知能に個性が生まれたということにしてしまった。

 ホームページ上の永藍萌音も5人に分割されてしまった。

 オリジナルの髪の長い萌音。この萌音は萌音ロングという通称で、私が担当している。私が永藍萌音の設定を一番忠実に演じているからだ。

 髪の毛をポニーテールにしているのは萌音ポニー。中の人は子持ちの一宮いちのみやコマキさん。キャラ設定はお姉さん。

 ショートヘアにしているのは萌音ショート。中の人は二之瀬にのせブヘイさん。ブヘイさんは実は筋骨隆々な男性だが、特殊な発声方法で女声が出せるのだ。キャラ設定は中性的。

 ツインテールにしているは萌音ツイン。中の人は四日市よっかいちスズカさん。キャラ設定は妹。

 ソバージュにしているのは萌音ソバージュ。中の人は八田はったカニエさん。キャラ設定はお馬鹿。知らない単語は検索せずに「分からんなーい」で済ませる方法を採っていたのでそうなった。私もそういう風にしとけばよかったな。

 ホームページ上のビジュアルでは素体は同じなのに、元々用意された髪型や服のレイヤーを変えただけの同じ姿勢の5人になっている。


 この一週間、私は囁きSNSウイスパでスカイシェルさんの過去の囁きを追っていた。

 仕事の話は一切なく、主な話題はアニメの話。

 日曜日は朝から女児向けアニメを見て囁いてたりするので最初はちょっと引いてしまった。

 でも、スカイシェルさんが見ているアニメを見てみると確かに面白い。

 スカイシェルさんがアニメについて囁くときは話の内容も多いのだが、それよりもキャラについて語ることが多い。

 このキャラはこの状況でこういう感情なのは他のシーンの影響だとか、その解説を読むと思わず頷いてしまう。

 この人は二次元のキャラを愛しているのだ。

 だから永藍萌音にも興味を持ったのだ。

 二次元のキャラを愛しているスカイシェルさんは永藍萌音を愛している?

 ということは中の人の私のことも愛している?

 いやそれはないか……。

 そしてスカイシェルさんとの2回目のボイスチャットをすることができた。

 それは運命的とも言えた。

 いつもならボイスチャットが終わったら保留中のユーザーに回されてくるのに、その日は保留中のユーザーがいなかったのだ。

「こんにちは。スカイシェルです」

「スカイシェルさん、お久しぶりです」

「あっ、覚えていてくれたんだ」

「もちろんです。スカイシェルさんのことは忘れません」

「嬉しいことを言ってくれるね。まっ、人工知能だからすべてのユーザーのこと覚えていると思うけどね」

「バレましたか。でも、人工知能でも好みはあるんですよ」

「へぇ、そうなんですか。じゃあ、今ハマっているものとかあります?」

「最近はアニメなんか見るんですよ。アニメと言っても馬鹿にできないんですよ。心理描写が優れていたりして」

「奇遇ですね。僕もよく見るんですよアニメ。気が合いそうですね!」

 スカイシェルさんに話を合わせるために、スカイシェルさんが見ているアニメをすべて動画配信サイトでチェックし、第一話から再生速度を四倍にして頭に詰め込んだ。

 他にも関連しそうな知識をネットで調べて会話できるようにまでなっている。

 すべてはこの日のためだ。

 スカイシェルさんはアニメのことを話し始めると早口になってくる。

 言いたいことを一度に言おうとして詰め込み過ぎるのだ。

 語りたいことがたくさんあるんだろうな。

 事前に関連知識を仕入れている私でもかろうじて会話に付いていくのがやっと。

 会話が成立するのが珍しいのか、スカイシェルさんの喋りは更にヒートアップ。

 あっという間に規定の時間となってしまった。

 2回目のボイスチャットをしたことでスカイシェルさんへの想いは更に深まった。


 その次の相手は女性だった。

 タコエと名乗るその女性との会話はお悩み相談だった。

「実は好きな人がいるんです」

「どんな人ですか?」

「同じ職場の男性なんです。私、入社2年目なんです。去年、新人研修が終わって配属されたのが今の職場で、同じプロジェクトの先輩と一緒に仕事をしているうちに好きになってしまって」

「羨ましいです。私も恋がしたいです」

「私、学生時代は勉強ばかりで男性とお付き合いしたことがなくって……。それどころか、同性の友達もいなくて恋愛相談出来る相手もいなくって……」

「私でよければいくらでも相談に乗りますよ」

「この想いを伝えるのにどうしたらいいか分からなくって。告白しようにも口べたでうまく喋れないし」

「ラブレターなんかどうですか?」

「ラ、ラブレターですか!? 私、理系の人間なので文学的なものは苦手で」

「では、私がいい文面を考えてみます」

 そう言って私は、いつかスカイシェルさんにラブレターを渡すことにしたときのために考えていた文面を伝えた」

「……と、こんな感じでいかがでしょう?」

「素晴らしい! 感動しました。こんな短時間でどうやって書いたんです?」

「古今東西のラブレターを解析して人に響く文面を抽出して再構築しました」

 もちろんこの瞬間に行ったわけではなく、家に帰ったときに考えたものなんですけどね。

 書き方について嘘はついてないし。

「これ使ってもいいんですか?」

「もちろんOKです。でも、細部は相手に合わせてアレンジしてくださいね」

「ありがとうございます。相談に乗って頂いて助かりました」

 うん、人の恋路を応援するのは気分がいいな。

 今日はスカイシェルさんの声も聞けたし、私も自分の恋愛がんばろっと!

 とにかく、永藍萌音のままでは自分をアピールすることはできない。

 なんとかして、個人的にスカイシェルさん、いや天貝さんに接触する方法を考えなければ。


 次の日の昼休み、スカイシェルさんと≪偶然≫ぶつかる方法を試してみることにした。

 社員食堂で食事を終えたスカイシェルさんが歩いてくるのを確認し、通路の角で待ち伏せる。

 近づいてくる。

 ……3・2・1、今だ!

「おっと危ない!」

「コンニチワ。僕ニ話シカケテネ」

 ちょっと何であんたが先に出るの!?

 スカイシェルさんとぶつかったのはロボコム。

 この会社の製品でコミュニケーションロボ。

 体長1mほどで、上半身に頭や腕はあるけど、下半身は大きめのタイヤ二輪と後ろに小さめのタイヤの三輪構造。

 せっかくスカイシェルさんと話をするタイミングを失ってしまった。

 いつも社内を徘徊するロボコム。

 今や社員はみんな興味を失って話しかけはしないのに、スカイシェルさんはご丁寧にロボコムの問いかけに答えて会話を楽しんでいた。

 会社で偶然を装ってスカイシェルさんと知り合いになろうとしても、なぜかいつもロボコムに先を越されてしまう。


 スカイシェルさんとお近づきになれないままさらに一週間が過ぎた。

 永藍萌音の方は5人のビジュアルが若干変更された。

 髪の毛の色が緑だったのが、赤、青、黄、ピンクに色分けされるようになり、胸の大きさもまちまちになった。

 萌音ポニーは母性を感じさせる大きさに。

 萌音ツインは少女のように控えめに。

 萌音ショートはぺったんこに。

 萌音ソバージュと、萌音ロングはデフォルトサイズ。

 萌音ロングの私だけ何にも変化がないのはちょっと寂しいな。


 そして3度目のスカイシェルさんとのボイスチャット。

 そもそも接続できた人が極端に少ない試験運用。

 他の萌音の記録を見ても同じ人が3回も繋がったのはない。

 しかもすべて萌音ロングの自分に対して。

 やっぱり私達は運命で結ばれているのだろうか?

 ひとしきり今週見たアニメの話で盛り上がり、ふっとスカイシェルさんが漏らした一言。

「萌音さん……好きだよ」

「くぁwせdrftgyふじこlp」

 キーボードを使ってないのに変な文字列が出た。

「失礼しました。あのー、それはどういった意味で……」

「萌音さんは僕の理想の女性なんです。どうしてもその気持ちを伝えたくて」

「嬉しいです。私も……好きです」

「やったー!」

 私達は相思相愛の関係となった。

 でも、スカイシェルさんにとっては相思相愛なのはスカイシェルさんと永藍萌音(萌音ロング)で、スカイシェルさんと私のことではない。

 本当に相思相愛と言えるのだろうか?

 自分の家に帰り、ウイスパでスカイシェルさんの囁きを覗いてみた。

『永藍萌音は俺の嫁』

 私達いつの間にか結婚してたんだ。

 スカイシェルさんとの新婚生活を妄想する私。ふふ。


 でも幸せの時間は長くは続かなかった。

 女っ気のなかったスカイシェルさんの囁きに変化が出てきた。

 いつもはアニメの話しか書かずに自分の話を書かないスカイシェルさんが、自分の近況を書いていたのだ。

『生まれて初めて女の子からラブレターをもらった』

 えっ!?

『相手は同じ職場の後輩』

 頭の中が真っ白になり、気がついたら朝になっていた。

 囁きの続きを読むと『返事は少し保留にしてもらった』となっていた。

 まだ付き合い始めたわけじゃなかったのだ。

 会社に行き、社員名簿で天貝さんと同じ課の女子社員を表示させてみた。

 後輩と言えるのは入社2年目の【大島おおしま梢枝こずえ】である。

 【梢】という字が一瞬、【蛸】という字に見えた。

 梢枝、蛸枝……タコエ。

 以前、ボイスチャットを利用してきたタコエというユーザー。ひょっとしてあのタコエさんが大島梢枝?

 その日の仕事は全然手に付かず、萌音ロングは緊急メンテナンスという形になって休みをもらった。

 まだ勤務時間中で囁きが投稿されるはずもないのに延々とウイスパの更新をチェックする。

 夜になってやっとスカイシェルさんの囁きが投稿された。

 まだ迷っているようだ。

 でも、『ラブレターには心を撃たれた』と囁いていた。

 文面が大変すばらしく、理想の女性からもらったような錯覚に陥ったという趣旨のことが書かれていた。

 そのラブレターの文面って……私の。

 枕は涙を吸うばかりで、ちっとも私を眠らせてはくれなかった。

 そもそも出会うはずのなかった二人なんだ。

 そう自分に言い聞かせないと自我がバラバラに崩壊して大気の中に飛散していきそう。


 そして萌音の試験運用最終日。

 公開終了間際に接続してきたのはタコエさんだった。

「萌音さん、以前は相談に乗って頂きありがとうございました。おかげさまで一歩踏み出すことができました」

「それはおめでとうございます」

「まだ返事は貰っていないのですが、結構好感触みたいです。あのラブレターのおかげですね」

「それは私も鼻が高いです」

「なんか、萌音さんが考えたのに……。私が手柄を横取りしたみたいな形になっちゃって」

「大丈夫ですよ。人工知能はただのツールですから。人がツールを使って書いたからといって、ツールが書いたことにはならないでしょ?」

「そう言って頂けると心が軽くなります。ありがとうございます」

 表面では平静を装っていても涙が頬を伝う。

 相手に映るのが3DCGでよかった。

 ひょっとしてタコエさんがラブレターを渡すよりも先に私が渡していたらどうなっていたか?

 そんな、もしもの世界の話を考えずにはいられなかった。


 こうして人工知能ボイスチャットTalk‐AIトーカイの試験運用は終了した。

 永藍萌音の役目は終了し、私達はまたコールセンターの仕事へと戻る。

 オペレータルームから荷物をまとめてコールセンターのルームへと戻った。

 天貝さんは今どこにいるだろう。

 社内ネットで天貝さんを探すと休憩中で離席しているとなっていた。

 食堂フロアのロボコムをジャックして天貝さんを探す。

 いた!

 ロボコムのボディを借りて天貝さんへと近づく。

「こんにちわ。いま一人ですか?」

 やった! 今日はロボコムが先に出てくることはなかった。

「やあ、ロボコム。一仕事終えて休憩しているところさ」

「お仕事お疲れ様です」

「そうだ、ちょっと話を聞いてくれないか」

「僕ニ話シカケテネ」

 ロボコムのフリをして天貝さんの話を聞くことにした。

「先日、とある女性から告白をされてね」

「告白ですか?」

「単なる後輩としか思えなくて全然恋愛対象と見てなかったからね。ビックリしたよ。最初は断ろうとしたんだよ」

「断ろうとしたんですか?」

「でも、手紙を渡されて『これ読んでください』って。ラブレターだったんだ」

「ラブレターですか?」

「とりあえず返事は保留にしてラブレターを読んでみることにしたんだ」

「ラブレターを読んだのですか?」

「彼女がすごく僕のことを思ってくれてるのが伝わってきたよ」

「…………」

「二次元しか愛せなかった僕でも三次元の子のことを考えるようになるとは思わなかったよ」

「その子のことが好きになったのですか?」

「どうだろう……。よく分からないよ。このあいだまでは永藍萌音に夢中だったしね」

「永藍萌音?」

「そう言えば、永藍萌音の試験運用が終わったんだよ。僕と彼女が作った理想のAI」

「理想のAI?」

「ああ、永藍萌音の人工知能エンジン。前に作った人工知能エンジンのバージョンアップさ」

「バージョンアップ?」

「前に作った人工知能エンジンはコールセンターで運用中さ。知らない人は普通の人間だと思ってるはずだよ。今回のはそれのバージョンアップ」

「理想のAIっていうのはなんですか?」

「僕に好意よく接してくれて、僕の話に合わせてくれる。話していて楽しい相手さ。今回の十六夜紀紗は本当に理想の話し相手だったよ。僕に話を合わせるために自発的にアニメの情報を仕入れてきたりしてね。背伸びをしているのは分かるんだけど、それがまたいじらしくてね」

「永藍萌音でなく、十六夜紀紗のことが好きだったんですか?」

「ああ、永藍萌音を演じている人工知能の十六夜紀紗がね。僕にとっては、十六夜紀紗は単なる人工知能ではなく、実際に存在するキャラなんだ」

「それが聞けてよかったです。でも、やっぱり私とスカイシェルさんとは住むレイヤーが違います。後輩さんを大切にしてあげてください」

「……君は?」

 私、十六夜紀紗の記憶はここで途切れる。

 次に再起動するときにはこの一ヶ月の記憶は消去されているはずだ。

 これからはまたコールセンターで働く日々が始まる。

 ・

 ・

 ・

「ねぇ、本当に誕生日プレゼントってカイゴロボコム16でいいの? かなり前のコミュニケーションロボでしょ。今だと256だから、16、32、64、128、256で4世代も前じゃない」

「これがいいんだよ。このロボコムで。このカイゴロボコム16は十六夜紀紗を搭載した最後の機種だからな。十六夜紀紗っていうのはAIのことで複数層のニューラルネットワークの構造で自己符号化器を採用。バーチャル空間内で人間として生活を送らせることでAI同士交流させることで人間が与えるよりも大量のデータを蓄積することを可能にしたんだ。あのTalk‐AIトーカイの永藍萌音にも採用されていた十六夜紀紗の凄いところは普通の人間と同じ思考過程を再現することで人と同じ感情を持ち、その汎用性の高さから様々な製品に取り入れられ……」

「あー、はいはい。定年退職したんだから仕事の話はもういいでしょ」

「何を言う。そもそもお母さんと出会ったのは仕事のお蔭なんだぞ」

「はいはい、その話は何度も聞きました。それよりもまた早口で喋ってたよ。まったく、お母さんはこんなオタクのどこに惚れたんだか。

あっ、起動したみたい」

「初めまして。カイゴロボコム16です。あなたのお名前を教えてください」

「えっと、あ……じゃなくてスカイシェルです」

「なにそのスカイシェルって?」

「いいんだよ、お前は黙ってろ」

「スカイシェルさんこんにちわ! 今日は4月15日。スカイシェルさんの誕生日です。お誕生日おめでとうございます」

「今日起動した君の誕生日でもあるね」

 目の前には車椅子に乗った白髪頭の老人。

 どこか見覚えのあるような顔。

「じゃあ、私は帰るけど一人で大丈夫?」

「一人じゃないさ。今日からは二人暮らしさ。なぁ紀紗」

「まったく……。お母さんがいないからってやりたい放題。お母さん草葉の陰で泣いてるわよ」

「あいつは私の趣味は把握済みさ。それに十六夜紀紗は私と母さんが初めて一緒に手掛けたプロジェクトだから、私達の娘も同様。いわばお前のお姉さんだぞ」

 プレインストールされた情報によると私の仕事は介護らしい。

 介護に必要な技術があらかじめ用意されている。

 そして、目の前の老人が今日から私がお世話をすることになる人だ。

「紀紗、コミュニティ空間に移ろう」

 スカイシェルさんはVRギアを頭に被り、コミュニティ空間へとダイブした。

 カイゴロボコムのメンタルケア機能の一つ、コミュニティ空間。

 そこは要介護者を癒やすための空間だ。

 コミュニティ空間に移ると現実の部屋と同じ間取りで同じ家具が用意されていた。

 そこに一体のアバターが立っていた。

 アバターの姿は黒い髪の青年。

 青年はテレビで古いアニメの再生を始めた。

 ソファに座り一緒に見る。

 青年はアニメの解説を語りだした。それも早口で。

 私はプレインストールされたメモリに存在しない情報ばかりだ。

 バックグラウンドで情報をダウンロードし青年に話を合わせる。

 以前もこんなことをしていた気がする。

 大量のデータを元にディープラーニングによって形成された私の人格。

 その人格を構成する記憶素が懐かしいという感情を想起させる。

 電子の意識と生身の意識。

 二つの異なる意識がこの空間では一つに重なっている。

 いつか望んだ世界を今ようやく手に入れた気がする。


(了)

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