優しくなれない

「いつもありがとう、〇〇は優しいね」

放課後、教室を離れていく彼女が言った


僕はいつもこうだ。周りの人の仕事を自分から進んで行う

そのためか周りの人からはいつも「ありがとう」、「優しいね」などという言葉を言われる


でも、そうではない


逆なんだ



僕は幼い頃から人の顔を見ながら生きてきた。

どんな顔の時喜んでいるのか、どんな顔の時悲しんでいるのか、いつもそんなことばかり見てきた


いつしか僕は人の悲しむ顔や、怒った顔を見るのが嫌いになった。では、そんな顔を見ないようにするためにはどうすれば良いのか?


答えは簡単である




僕が人に尽くせば良い


人が嫌がる事を自分から進んで行えば良い


僕だけがこの世の全ての苦痛を受け入れれば良い




そんなことできる訳がない。だが、その行動を行えば、僕の「目の前の世界」だけはそんな苦痛の無い世界にすることができる


ただ、僕はふと思った


それは「人間として正しい生き方」なのだろうか?


人は生きるためには「苦労」、「苦痛」、「困難」などを繰り返していかなくては、成熟した精神を持った「人間」にはなれない


僕の行っている行動はそんな人間を産み出すことを止めようとしていることに等しい


また、全てを受け入れ、「優しさ」しか持ち合わせていない僕もそんな人間では無いのだろうか?


もはやこの行動は「優しい」と言う行動ですらない、ただの「自己犠牲」なだけなのではないのだろうか?


ただ分かることと言えば、この行動は「偽善」ではないと言うことだ

自分は本当に周りの人の為を思い行動している


だが、この行動が…………


おっと、無限ループになってきた


気づいたときには作業は終わっていた

考えることに夢中になると、自分の動きすら分からなくなるのは僕の悪い癖だ


僕はいつも使う学生鞄を持ち、教室を出た


おそらくこの悩みが解決することは一切無いだろう


ただ私が思うことは


「優しく『しか』なれない」

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