七姉妹会とバレンタイン

第60話 まずは筑紫

二月十三日の夜。

妹尾家の台所には甘い匂いが立ちこめる。

刻んだチョコレートとあたためた生クリームを混ぜるのも舞には一度経験した事であるため、慣れた手付きで混ぜた。


「いいなぁ、チョコだ」


ものほしそうな目でボールを見つめるのは、舞の兄、圭だった。

彼は風呂上がりの寒々しい姿で、台所まで何か飲みものを探しに来たのだろう。


「お兄ちゃんは千鶴先輩から貰えるでしょう?」

「でへへ」


だらしないゆるみきった笑みは、ノロケの一種なのだろう。仲が良好そうで何よりだ。

それにバレンタイン前に舞が千鶴とネットのやり取りした時、彼女はブラウニーを焼くと言っていた。今ごろ彼女もこのしまりのない顔をした彼氏のために菓子を作っている事だろう。


「それにしても多いね、義理チョコとか友チョコとか言うやつ?」

「……うん。七姉妹会にね、いつものお礼」


返答が遅れたのはチョコには本命が含まれているためだ。

しかし圭は怪しむようにチョコと舞を見る。その視線に舞はぎくりとした。


「舞、」

「……なに?」

「もしかして兄ちゃんも七姉妹会にチョコ持ってった方がいい?」

「……お兄ちゃんは男の子でしょ」


いつもの天然な兄に、冷静に妹は返した。





■■■





二月十四日。バレンタイン当日。


小さな袋に小分けにしたチョコは義理チョコ、深みのある赤い箱に入れる予定のものを本命チョコとして、舞は義理チョコのみを学校に持って来た。


これを七姉妹会の昴以外の人物に渡す。そうなれば放課後の美術室の皆のいる時に渡す事はできない。昴が見る前で彼以外にチョコを渡す姿は見せられなかった。


こうなっては学園内で一人ずつ呼び出して渡すしかない。この広大な七海学園ではそれは大変な事のように思え、舞はため息をつく。

しかし約束をしたし、皆一斉に渡せないのは舞の都合だ。

とりあえず昼休みに三人、放課後に三人で渡す目安を立てた。


しかし昼休みは限られた時間だ。なので話が早そうな、舞がチョコを渡すことを知っている三人から渡す事にする。

その際普通科に呼ぶ訳にはいかない。昴も普通科で、万が一目撃されるとややこしいからだ。


まず舞は、普通科の隣である国文科の筑紫に会いに行くのだった。

国文科はやはり女子が多い。しかし筑紫の教室は、異常なまでに女子でごった返していた。やはりというかその中心には筑紫がいる。


「ありがとう、うれしいよ。ところでお礼をしたいから、君の名前とクラスと出席番号をこの名簿に書いてね」


筑紫は女子生徒に笑顔でそう言ってからチョコレートを受け取り、紙を渡す。

何をしているのかと舞は思いしばらく見ていたが、そのやりとりを何度か見ていれば段々とわかってきた。


筑紫を取り囲む女子は皆筑紫のためにチョコレートを持ってきている。そのあまりの多さに一斉に受けとる事にしたらしい。更にマメな筑紫は後日確実に礼をしたいからと相手の名前と連絡先を聞いているのだろう。

誠実なのかそうでないのかよくわからない対応だ。


その筑紫も舞の視線に気付くと席を立つ。


「ごめんね、皆。僕ちょっとトイレ」


笑顔で皆にそう告げ立ち上がれば、誰も筑紫を追う事はなかった。

そして筑紫はトイレに行くと見せかけて、舞の手をとり素早く移動する。

人気の少ない階段裏に移動して、舞は気を使われたのだと感じた。皆の前で筑紫が舞に話しかければ、舞に嫉妬の視線が向けられただろう。それを防ぐためひと気のない場所に移動したらしい。


「すごい。先輩、アイドルみたいですね」

「アイドルって、やめてよ。橙堂じゃあるまいし」


アイドルでなければあれだけの本命らしきチョコを貰えると思わないのだが、と自分のチョコを思い出しながら舞は思う。


「なんだか義理なのにわざわざ呼びつけて、申し訳ないです」

「あ、本命じゃないんだ。残念。でも来年に期待、かな?」


筑紫の思わせ振りな言葉に自分を落ち着かせるように、舞は紙袋からチョコレートを丁寧に取り出した。


「おぉ、これが噂の生チョコ。嬉しいなぁ、ありがとう」

「いえ、あれだけチョコレートを貰ってる先輩には、きっとつまらないものですが」

「何を言ってるの、舞ちゃんなら特別だよ。一番最初に食べるね。ホワイトデーにはお返しもするから、期待してて」

「お返しなんていいですよ。先輩あれだけ本命チョコ貰ってて、さらにお返しなんて大変でしょう?」

「あぁ、お礼はするけど、カードだけだよ。全部にちゃんとしたお菓子とかのお返ししたら何万円にもなりそうだし」


モテる人は大変だと舞は思わざるをえない。

モテるというよりは、筑紫の女好きな性格の問題かもしれないが。


「それでもお返しするだけすごいですよ。マメなんですね。モテるのもわかります」

「マメっていうか……舞ちゃんがやめろって言うなら、お返しなんてしないよ」


舞の目を見て、試すように筑紫は言った。

その言葉に一瞬舞は考え込む。


「……先輩、いくら先輩がどMだからって、あまり人の言う事をほいほい聞くのはどうかと思いますよ」

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