第49話 破壊力

雪子だけは母親として静香と連絡を取り合っているのだろう。離れて暮らす娘の最近の事情に詳しい。


「心配していた英語もペラペラになったし、暇だからって猛勉強をして成績上位になったし、積極的な性格になってチアまで始めたわ。おかげで痩せて綺麗になったもの」


兄二人の記憶を失う事により、静香のワガママな部分は消えた。あの優秀な兄達の妹なのだから、元々の能力は高かったとも考えられる。


「反省はしていたの。私達が築いた家庭がややこしくて、それが原因で子供達を深く傷つけてしまったから」


そもそも緑野家と赤坂家が普通の家庭ならば何も問題が起きなかったはずだ。事件が起きて、バラバラになった三人の子供の事を思うと親達は責任を感じている。


「とにかく今は子供達全員の幸せを考えないとね。そのためなら何だってするわ」


ふわふわとした少女のような雪子だが、子供に対しては母親らしい強さを見せた。


「緑野先輩……じゃなくて、勇一郎先輩は、静香さんと連絡を取ったりはしないんですか?」

「それがね、静香ちゃんの記憶は人間関係全てが消えてしまったみたいなの。でも実の兄なのに接触がないのも変だから、たまにメールやプレゼントを送らせているわ」


勇一郎と静香は完全に縁が途絶えた訳ではない。

それでも記憶がない訳だから、以前のような兄妹の関係は築けなくなってしまった事は、舞も同情する。

きっと勇一郎は真実を隠し、記憶のない妹を思いやりながら当たり障りのないメールを送っているのだろう。


「勇君と昴君は、どっちも自分から幸せになろうとしないのよね。ずっと静香ちゃんの事を気にしているから」

「悪いのは私達大人なのに、責任感が強いんだから。さっさと幸せになればいいのよ」


舞はふと思う。確かに二人は雪子と葉月の言う通り、静香の存在を気に病んで自分が幸せになろうとはしない。

自分の事よりも勇一郎は昴を、昴は勇一郎を気にしすぎている。


「どっちかが彼女でも作ればいいのに。そうしたらもう片方も釣られて気が楽になるでしょ」

「そうね。例えば一個下の女の子とか」

「捻挫したらかいがいしく世話焼いてくれる女の子とかね」


じっと二人から視線を向けられ、舞はいたたまれない気持ちになった。


「あ、赤坂先輩……じゃなくて昴先輩にお茶、持っていきますね」


舞はいたたまれなくなり、昴用に用意された茶を持って行く事にして逃げた。

舞が昴の恋人に見られなかったのは昴の普段の行動からだ。

別に舞が不釣り合いだと思われている訳ではない。ただ昴は自分が幸せになっていけないと考えているから、誰かと付き合う事はあり得ないのだった。


恐らく昴は恋人を作ろうとしない。

その事に舞はほっとする。しかし不謹慎さに自分を責めて、そして考える。『何故ほっとしたのか』と。

葉月達がいうように、昴がふっきれて恋人ができれば勇一郎も気が楽になり良い事づくめのはずなのに。


「先輩?」


茶と菓子を持ち、念の為部屋の扉を叩く。しかし返事はなく、扉は隙間が開いていたため扉を開いた。


昴はベッドの上で眠っていた。

パジャマに着替え終わって、楽になって眠気におそわれたのだろう。

とりあえず舞は掛け布団をかけ、脱ぎ散らかした制服をかけてやる。

そしてふと彼を名前で呼ぶ事を思いだし、眠っている本人を前に練習をしてみる事にした。


「昴先輩……」


すると呼び掛けに答えるように昴のまぶたはぱっちり開いた。


「えぇええ!? 起きていたんですか?」

「……いや、今起きたところだが、もしや舞は、今、俺の名を呼んだのか?」


顔だけを舞に向け、昴は質問する。その不思議そうな目を見ただけで途端に舞は恥ずかしくなった。


「あ、あのですね。葉月さんと雪子さんが、名字で呼ばれるとややこしいから、名前で呼んでみただけで、」


顔に熱が集まるのを感じながら舞は言い訳をする。

名前を呼ぶ理由はあるとしても、ここまで反応されると恥ずかしい。


「それでもいいから、ちゃんと名前を呼んでくれないか?」


昴は足に負担がないよう体を起こし、真剣な眼差しで舞を見て頼む。

そうする事になると舞は余計に恥ずかしい。しかしここまで真剣に言われれば断るのは面倒そうだ。


「……す、昴先輩」


面倒だからと舞が赤い顔を隠すように呼べば、昴はしばらく真顔になる。そして布団に顔をうずめた。


「……ちょ、ちょっと、なんで先輩が恥ずかしがっているんですか!」

「いや、予想以上の破壊力で……ダメだ、にやけが止まらない」

「……にやけって、最初に名前で呼ぶように言ったの先輩じゃないですか」

「呼んで欲しいと言ったのは『お兄ちゃん』であって、『先輩』というのが予想以上に良くて……」

「えっ、『先輩』呼びに萌えたんですか?」


恥ずかしさに悶えている昴の動きがぴたりと止まる。『昴お兄ちゃん』と呼ばれるより『昴先輩』と呼ばれる事にときめくのは妹好きらしからぬ反応だ。

それに気付き昴は焦る。

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