第50話 寂しさ
「……いや、それは比べようにも比べられない事だろう。それとも舞は今から『昴お兄ちゃん』と呼んでくれるのか?」
昴は焦った割りにはよい誤魔化しが浮かんだ。呼ばれていないのならばどう呼ばれるのがいいかを比べる事はできない。
「……それは、呼びませんけど」
「うむ。名前で呼ばれるというのは一歩進展だからな。それ故にときめいたのだろう」
そう言われれば簡単に舞は納得をし、持ってきた茶を指差す。
「あ、先にお茶をいただきました。これは先輩の分です」
「ありがとう。母さん達二人の相手をするのは大変だっただろう」
「えぇまぁ。二人ともお若くてパワーがありますから」
母二人と話した内容は舞も昴には言えるはずがない。昴もわかっているのか、それ以上に踏み込む事はなかった。
「……じゃあ、私はそろそろ帰らせてもらいますね」
「もう帰ってしまうのか?」
「勇一郎先輩が用意してくれた車に待ってもらってますから」
本人がいない時であっても名前呼びを貫く舞。それに昴は焦りを感じた。
「……本当に勇の事まで名前で呼ぶのだな」
「あ、はい。さすがに雪子さんがいない時にまで呼ぶ必要はないと思いますけど」
舞と勇一郎とは出会って間もない。それに雪子と勇一郎が二人居る場面はないだろうと考える。
「……いや、呼んでやるといい。きっと喜ぶ」
「そうですね、嫌がったりはしないとは思います。じゃあ失礼しますね」
昴は勇一郎と会うな、とは言えない。寧ろ弟は舞と仲良くなるべきではないかと思う。
コートとカバンを持ち、舞は部屋を出ていく。見送りは雪子が行くのだろう。足を怪我した昴の出る幕はなく、誰もいない物だらけの部屋に寂しさを覚えた。
■■■
翌日に勇一郎からメールでの誘いを受け、舞は昼休みに特進科に向かう。
勇一郎と出会ってすぐにした『昼食を一緒にしよう』という約束を彼はしっかり覚えていたらしい。
初めて来た特進科は皆、きびきびと歩いているように舞には見えた。やはりどこか冷たい雰囲気がある。
「妹尾さん、来てくれたんですね」
廊下で満面の笑顔で勇一郎は舞を迎えた。
純粋なその笑顔は不安に思っていた舞には眩しいほどだ。
「こんにちわ。昨日は送っていただいて、ありがとうございました」
昨日の帰り運転手にもきっちり礼を言った舞だが、勇一郎にも改めて礼を言う。
「いえ、こちらこそ彼を送るよう押し付けてしまい、申し訳ありません。母とも会ったと聞いています」
「あ、はい。緑野先輩のお母さんにも会えました。すごく若くて可愛らしい人ですね」
「……昨日、僕の事を名前で呼んでくれたと聞きました。もう呼んでくれないのですか?」
昨日にあった事は全て雪子が伝えたのだろう。なのに名前で呼ばれなかった事に、勇一郎はしゅんと瞳を伏せる。舞はその子犬のような表情に罪悪感を抱いた。
「えっと、勇一郎先輩……でいいですか?」
「はい。じゃあ僕も舞さんと呼ばせてもらいますね」
やはり舞の予想通り、勇一郎ははにかみながらも名前呼びを受け入れる。
そんなあまずっぱいやり取りをしたため、勇一郎からの好意があるように舞は感じた。
しかしその好意は本物かを、少し考える。
昴と勇一郎は不仲だ。昴への当て付けのために舞に親しくなろうと考えているのかもしれない。そう考えると素直に好意は受けとれない。
「どうしたんですか、舞さん。難しい顔をして」
「えっ、いえ、別になんでもないです。それよりどこでお弁当を食べます?」
「使っていない教室の鍵をお借りしました。そこで食べましょう」
勇一郎は鍵を鳴らして取り出す。この昼食のためにわざわざ用意したらしい。
それから二人は空き教室に入り、机に弁当を広げた。
舞はごく普通な弁当で、勇一郎はウサギをかたどったおにぎりなどが入った華やかなキャラ弁だった。
「……先輩のお弁当、見事なキャラ弁ですね」
「見事といえば見事なのですが、きっと母の仕業です」
「雪子さんの?」
「はい。たまにこんな事をするので。多分、いたずらのつもりなのでしょう」
確かに男子高校生のお弁当がこんな可愛らしいものならば、本人も周囲も驚くはずだ。
しかし雪子の見た目と性格を知っていれば、ただの趣味だとも思える。
「この間橙堂君とお昼を食べた時には写真をいっぱいとられて、SNSにアップされてしまいました」
「ふふっ、今度その投稿見てみたいです」
孤独と聞いている勇一郎だが、母親や友人には恵まれている。その事に舞は少しだけほっとした。少し寂しげに笑う。
「……多分、母も妹を構えない分、僕を構おうとしているのでしょう」
「え、」
「あの人と母から聞きました。舞さんに静香の事を教えたと」
『あの人』と他人行儀に勇一郎は昴の事を呼ぶ。それはぎこちない二人の関係を表していた。
「僕も舞さんには知っていて欲しかったです。いつか板挟みにしてしまいそうだから、被害をこうむりそうなら離れて下さいね」
「……私の心配をしているんですね。二人とも」
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