第48話 失恋

 校舎を走り回るなんて、初めてだ。

 廊下は走るなと指導され続けたせいで、廊下は走ってはいけないものだと思い込んでしまっている。それに、廊下を走ることなど、まずなかった。急ぐことはなかった。

 だが、今はどうだ。

 一分でも、一秒でもとにかく時間が欲しい。

 楓花が帰ってしまう前に、話がしたい。どうしても、楓花と話してちゃんと伝えたい。

 どう思っているか、どうしたいのか、楓花をどうしたいのか。

 全部全部、洗いざらい伝えたい。これが最後になってもいい。

 だから、どうか。

 間に合ってくれ――。

「楓花!」

「……春太? どうしてここに」

「騙して悪い。俺が羽籠に電話させて場所を教えてもらった」

「そう……ですか。最後の最期まで、鎖奈恵は……いえ、なんでもないです」

 楓花がいた場所。

 そこは校舎裏であった。

 そこに雨が降っているのにも関わらず、傘もささずに立ち尽くしている。

 まるで、滝に打たれるように。頬の涙なのか雨粒なのか分からないほどに。

 ここは、春太と楓花が初めて、まともに会話をした場所。

 始まりの場所。そして――。

 終わりになるかもしれない場所。

「楓花。単刀直入に言う。どうしても転校しないとダメなのか……?」

「今更何を言い出すのかと思えば……、もう後戻りはできませんよ」

「それでいいのか」

「いいも何も、最初――私が転校する前に戻っただけですよ」

 楓花は呆れたかのように見える。随分芝居がかった下手くそな演技だ。

「よくないだろ、どう考えても」

「……どうしてです?」

「本当に大丈夫なら、わざわざ校舎裏で泣いたりしない」

「――――え?」

 楓花の目からは涙が零れていく。ゆっくり、ゆっくりと。

 頬を滴り、地面へと落ちる。

 一滴、一滴と次第に涙は増えていき、気づけば楓花は。

 大量の涙を流していた。

「……あれ? どうして、涙が」

 疑問に思いながらも、自分の腕で強引に顔を拭く。

 腕には涙が付着し、べたついている。

 しかし、涙は人間の本性を現す。止まらない。止まってくれない。

 涙は楓花とは意志を無視して、流れ出す。

「本当は転校したくないんだろ……?」

 春太は寄り添う。

 このままでは楓花がいなくなってしまう。ちゃんと、ちゃんと自分の伝えたいこと。楓花が思っていること。全てをハッキリさせた上で――。

 絶対に連れて帰るんだ、と。

「やだなあ……。もう決まっちゃったことですよ……。今更、転校しないなんて、言えないですよ……」

「それでも、俺は。楓花にはいなくなって欲しくない……。もっと話したかった」

 思いの丈を全て伝える。

 伝われ、伝わってくれこの気持ち。

 梓弓春太が風見楓花をどう思っているのか、どうしたいのか。

 ――そばにいて欲しいってことだけはせめて。

 伝わって欲しい。

「……春太。私をこれ以上、期待させないでもらえますか」

 しかし、楓花の涙は止まらない。声も届かない。

「これ以上、春太と居たら私がおかしくなっちゃいそうです」

 春太は、楓花を止めることができなかった。

 伸ばした手――それが届くことはなかった。

 雨の日に校舎裏。

 涙なのか、雨なのか。自分の顔は濡れていた。

 視界もままならないこの現状で、春太にできることはもうなかった。

 校舎裏。

 雨が降りしきり、声を張らないと耳に届かないような空間。

 聞こえてくるのは、激しい雨音と微かに聞こえる生徒の喧騒。

 時折、聞こえるのはどこか遠くで鳴り響く雷鳴。それくらいだ。

 隔離されているのではないか、と思えるほど明らかに異質な空間。

 ――そんな校舎裏に男女の影が二つ。

 一人は、パッとしない目立たない男子、梓弓春太。

 もう一人は、青髪が特徴的な人形のように肌が白く、綺麗な少女――風見楓花がそこにいた。

 一人は背を向け。もう一人は立ち尽くすことしかできない。

 そんな二人がどうなるのか……当事者である二人にさえ分からない。

「失恋って、とても辛いんです……よ?」

 その一言で、春太は動けなくなってしまう。

 雨が降りしきる中、ただ時間がいたずらに過ぎるのみであった――。

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