第49話 くろろ
「俺はどうしたら、いいんだ……」
春太は、楓花を止めることができなかった。
楓花に立ち去られた後、春太は数分間その場に立ち尽くし続けた。
雨に打たれ、体中が濡れ、涙か、雨かそれさえも判断がつかなくなるくらい、泣いていた。
しばらくして、我に返り状況を少しずつ整理できてくると、それさえも情けなくなってしまう。
何もできなかった。
その答えだけが春太に付き纏う。
とりあえず帰宅はしたが、できることは何もなかった。
楓花に電話を掛ける勇気もない。
羽籠にはもう頼れない。香織をこれ以上傷つけたくない。
万事休すか。何をすれば、何をするべきなのか春太には思いつかない。
このまま、あの時と同じように。
子供の頃の記憶が思い出されてしまう。
やめろ、嫌だ、思い出したくない。
ベッドで横になりながら、現実逃避をしていると、そのまま意識は飛んでしまった――。
春太が眠りについてから数時間後、電話が鳴った。
重い瞼を擦りながら、春太は携帯を手に取ろうと起き上がる。
楓花か? 羽籠か? はたまた……香織だったりするのか?
バイブレーションは鳴りやまない。
これはおそらく、メッセージではない。
「電話……? 誰から」
慌てて携帯を手に取ると、そこには懐かしいもう関わることはないと思っていた友人の名前が刻まれていた。
「くろろ?」
※
「もしもし、あずさ?」
『久しぶり。急に電話なんてどうしたんだよ』
後から、香織は羽籠に聞いた。
自分の過去を春太には一切話していないと。
幼少期の頃から好きだった。わざわざSNSを特定するほど好きで、わざわざ同じ高校を受験し同じ高校になり、同じクラスになれたのに関わろうとはせず、自分は春太の友人である『くろろ』を演じ続けたことを春太には伝わっていないと。
それならば、と思い香織は電話を掛ける。
香織名義で電話を掛けても、春太は出ない。
それなら、『くろろ』ならどうだろうか。
もう自分の正体など、どうでもいい。
元々、バレていると思って立ち回って、昔のことを覚えていると思って、羽籠に協力までしてもらって無理やり付き合ったのに――。
自分は春太とは結ばれなかった。自分は選ばれなかった。
なら、せめて春太を好きなままでこの恋を終わらせたい。
「うん。最近どうかなって……」
『それより、お前は何してたんだよ! 恋人ができたとか言って、連絡も全然くれなくて』
「ごめん、ごめん。でも、もう別れちゃったからいいんだ」
『別れた……?』
「うん。それも、小学生の時から片思いで、やっと付き合えた人だったんだよ」
声など加工していない。
しかし、電波は悪かった。そのため、声が聞きづらい。
だけど、春太なら。何か月か、嘘だったとはいえ付き合ってくれた春太なら――。
香織の声だと気づけるだろう。
「笑っちゃうだろう? 友達に散々協力してもらったのに、振られたんだよ。ぼくは、その子を好きだっただけで、その子の気持ちには全然気づけなかったんだ」
電話越しから声は聞こえてこない。
春太は無言となってしまい、何かを言ってくるわけではない。
もしかしたら、香織を『くろろ』だと気づいてしまって困惑している最中かもしれない。
嫌われる。
香織は確実に嫌われると思った。
でも、嫌われてもいい。
自分が好きな人の手助けになるのなら、人を救えるのなら――。
自分は嫌われてしまって構わない。
『……くろろなら気づけてるよ』
『お前がどれだけいい奴か、俺は知っている。それに、それは俺も同じなんだ』
「同じって?」
『俺は、俺のことを好きになってくれたことを最近傷つけた。傷つけたどころじゃない。苦しめた。無理やり付き合わされて、それが最初は優しさだと思っていた。けど違った』
『中途半端な優しさは人を苦しめるだけだった』
「……じゃあさ、春太くん。春太くんは今どうしたい?」
『どうしたい……か』
「中途半端じゃない優しさを与えたい人、いるんでしょ?」
『…………』
「行ってきなよ。それでもしも、ぼくが必要だったらいつでも頼って」
「ぼくは、春太くんのことがずっと好きだから――」
最後の言葉は、電話を切ってから部屋の中で香織が呟いた言葉だ。
春太の耳には届いてない。
「まだ、好きだなんてクッソ迷惑だなあ、ぼく。メンヘラかよ」
香織はベッドに倒れる。
今までの荷が下りたかのように、軽かった。
あぁ、羽が生えていればよかったのに。そうしたら家に籠るなどなく、春太を応援できたのに。
「楓花ちゃん。絶対、あずさを……春太くんを幸せにしてね。しないと許さないから」
この言葉は誰に対して言ったのだろうか。
自分か、楓花か。はたまた独り言か。
ベッドに投げられるように置かれた携帯と。机の上で光る携帯。
こうして、また負けヒロインは生まれていく。
灰色の世界に誘われた少女は、視界がどんどん霞んでいく。
いつしか、天井が見えなくなり、光っていた携帯の電源は落ちる。
だが、この少女の声も一人の少年に届くことはないだろう。
彼女もまた立派な負けヒロインだったのだから――。
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