第46話 分岐点

「……そんなの本人に聞いて。あたしの口からは言えない」

「ここまで、問題を大きくしたのにか」

「だって、あたしにはこうするしかなかった。楓花も香織も大好きだから……どっちかなんて選べない」

「その結果、二人とも……そして俺までもが傷ついてる。おまけに、羽籠。お前が――」

「そうよ! あたしは最低だよ! 二人の恋愛を応援して勝手に色々やるだけやって、周りに迷惑かけて……」

 泣きながら怒鳴る。雨音も相まって、羽籠の怒号はより純度の高いものへと昇華されていく。

 涙。怒り。怒鳴り。本心。解決。

 声、行動、感情……全てから何を伝えたいのかがわかってしまう。

 わかってしまうから、梓弓春太は羽籠鎖奈恵を嫌いになれない。

「話を聞け!」

 羽籠よりも大きな声で怒鳴る。怒号、雨音、それどころか雷鳴さえも掻き消すような大声で。

「なんで、俺らの仲を取り持ってくれたお前が……羽籠が傷ついてるんだよ、おかしいだろ!」


「――え?」


「俺と楓花と、羽籠と。部員じゃないけど、時々いた香織との日常は楽しかった。楽しくて……壊したくないくらい楽しかった」

 春太は夢見ていた。学園ラブコメを。

 その願いを叶えたのは一人の転校生――風見楓花の存在のおかげでも、春太と嘘だったとしても付き合った辻香織でもない。

 羽籠鎖奈恵、彼女のおかげだったんだ。

 転入してきた楓花に、話しかけて部活を作ろうと言い、春太のことを好きだった香織を春太と接触させ恋路を応援した。

 レジ部――恋愛成就部に春太を勧誘した理由。


『香織が、春太のことを好きだからです。今現在で思いを寄せられている男子の存在が必要でした』


 おかしいとは思った。

 どうして、クラスでも目立たないような男子を輪の中に入れようとしたのかがずっと分からなかった。

 理由は単純で、男子の意見、モテる人間、勧誘すれば入部してくれそう、全ての条件をたまたま満たしただけ。

 それを、提案してくれたのは、他でもない。羽籠だった。

 羽籠がいなければ、梓弓春太の物語は動き出さなかった。

 主人公みたいになれなかった。

 そんな、少女を嫌いになれるわけがない。

「羽籠のおかげで今、俺は悩めている。人を――楓花を救いたいと思えている。だから――」

「俺に力を貸してくれ。頼む」

 頭を下げる。

 謝罪なんかではない、懇願。協力を要請している。

 この問題を収束させるには事の発端である羽籠に協力してもらわないと埒が明かない。

「……怒らないの?」

「怒るも何も……、怒れないだろ。お前が悪いわけじゃないんだから」

「……は……はは、ははは…………ははははははは!」

 突如、笑いが込み上げたのか愉快な声が響き渡る。

 涙を零しながら笑い、腹を抑え、さっきまで緊迫した空気が嘘だったかのように。

 羽籠は春太に笑顔を見せた。

「さすがは、香織と付き合った男だわ……。敵わないなあ……」

「……複雑な気持ちだけど、そのなんだ。……ありがとう」

「今のは、あたしもいじわるだったね……。あのさ、春太クン」

「? どうした?」

 目はまだ赤く腫れているが、真剣な眼差しだった。

「……頼ってもいいの? あたしが悪いのに」

「こんな時くらい俺を頼ってくれよ。羽籠に何も恩返しできてないし」

「……恩返し?」

「色々助けてくれたじゃないか」

「ごめん、どれだか分かんないや……」

「……とにかく、だ。楓花には悪いと思う。思うけど……。知ってること、全部教えてくれ」

「……頼む」

 楓花は羽籠を頼っていた。

 頼っていたからこそ、共に部活を立ち上げたのだろう。

 決して、気が合わそうな、重なり合いそうにない二人。

 一人は恋愛を求め、もう一人は人の恋愛成就を求めた。

 恋愛成就部。この部活名は――。

 間違ってなかったんだ。

「……でも、あたしも知っていることはあんまりない。だって、春太クン大体わかってるでしょ?」

「転校理由……とか、か」

「うん。ハッキリ言うけど、これはどうしようもない……と思う。楓花には時間が与えられて、条件を達成できなかったんだから」

「それって、あれだよな……? 許嫁と結婚させられるって」

「そう。楓花がそれを回避するには、許嫁以外の人を好きにならないといけなかった」

 羽籠は、下唇を噛みながら不服そうに言葉を並べる。

 楓花には時間があった。期限がどれくらい定められていたかは分からない。ただ、許嫁との結婚を避けるには恋愛をすること、これが条件であった。

 しかし、その条件を達成できなかった。自分が好きになった春太には、香織という存在があったからだ。

 友達の恋愛を邪魔することは出来ない。香織と春太はデートをする仲。そんな中で、自分が恋をしてしまったのだ。

 立ち去ることしか選べなかったのだろう。

「それで、俺と色々あって……」

「そうね。春太クンを責める訳じゃないけど、救えるのは春太クンしかいなかった……と思うけど、あたしが邪魔をしちゃった」

 空気はたちまち重くなる。

 踏み込めない家庭事情。そんな巨大なものに、ただの高校生がどう立ち向かうんだろうか?

 相手は、お嬢様。財閥とまで言われるほどの大豪邸に住む箱入り娘。

(楓花に、なんて話せばいいんだよ……)

 春太にできることなど残されていなかった。

 楓花の親と話す? 楓花と付き合う? 楓花と何をすればいい?

 答えは出なかった。どれも解決策に成り得るとは思いづらかった。

「羽籠」

「? なに?」

 ならば、と。春太は懸けに出る。やらない善よりやる偽善。やらずに後悔よりやって後悔。

 立ち止まるのは、それからでもいい気がした。

「楓花って今どこにいるか分かるか?」

「どこって……。あたしには連絡来てないから、分からないよ」

「……電話。電話したら、出たりしないか? 羽籠の携帯なら」

 電話をする。

 どこにいるか確認するなら、一番手っ取り早い方法であるだろう。

 相手が通話に応じれば、どこにいるかなどすぐに分かる。

 電話に出れば、の話だが。

「……分からない。もう帰ってるかもしれない」

「でも、一応……頼む。俺は楓花と……話がしたい」

 今度は、話があると俺が言う番だと、春太は羽籠に主張する。

 やってみないと分からない。電話してみないと分からない。

「……どうして、春太クンの携帯で掛けたらダメなの……?」

 その通りだった。

 春太の携帯から楓花に電話をし、出たらそのまま話せばいいのだ。

 何もわざわざ羽籠の携帯で掛ける必要はない。

「……多分、羽籠が掛けた方が出ると思うから、さ……」

 避けられている自分が連絡を取るより、仲のいい羽籠が連絡をした方が、電話に出てくる確率が高いと思ったのだろう。

 確かに、そうかもしれない。親友の電話となれば、出るに決まっている。転校する前に声を聞いておきたいだろう。

 理にかなっている。しかし、それは。

 羽籠鎖奈恵を介して、風見楓花を騙すことを意味していた。

「言いたいことは分かる。けど、あたし楓花を騙すことなんて……」

 どちらの言い分も正しい。二人とも正しい。正しいが、正しいだけでは問題を解決へと向かわせることは出来ない。

 誰かが嘘を吐き、誰かが救われる。世界はそうやって歯車を回している。

「頼む、羽籠。……どうか、この通り」

 この日、梓弓春太は初めて涙を流した。

 一人の女子に頭を下げながら、嘘をついてくれとお願いするために。

 雷が鳴ることはない。ただ、虚しく雨音が二人を包み込むだけだった。

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