第38話 梓弓春太

「ただいま」

 それだけを言うと、すぐに自分の部屋へ戻っていく。

 楓花と遊園地に行ってしまった。

 そして、それがここ最近で一番楽しかった。

 辻香織という彼女が居ながら――春太は香織ではない異性と二人きりで出かけた。

 無理やり付き合うことになってしまい、それが演技だとしても、だ。

 やましくないのであれば、香織に楓花と出かけてくると一言は連絡を入れるだろう。なのに、春太は何も連絡していない。

 楓花と出かけている時にだって、香織から何度も連絡は来ていた。

 しかし、春太はそれに返信しないどころか、携帯の電源を消してしまっていた。

 嘘だったとしても……、筋を通すべき。それは春太でも分かっている。分かっているはずなのに……。


「……なんで、俺は楓花と出かけたんだ」


 なんで出かけてしまったのか。頭では理解している。そんなの考えなくても分かる。

 分かるのだが――。


「恋愛感情、か」


 恋とは思ったより単純で、答えのないもの。

 恋とは思ったより複雑で、明確な答えがあるもの。

 好きだから一緒にいたい。好きだから付き合いたい。好きだから知られたくない。好きだから知りたい。好きだから――。

 その時、春太の携帯が明かりを灯す。


【Kaori;春太くん……。連絡ないけど何かあった……?】


 ロック画面からでも見えるその通知を春太は目に焼きつける。

 メッセージのワイプが何重にも重なっている。送られてきたのは一体何通だったのだろうか……。

 億劫になりながらも覚悟を決める。

 今まで目を背けるように避け続けていたことに終止符を打つ――心構えで、ロックを解除していく。

 無音の空間で、キーパットを押す音が虚しくカチッ、カチッと何度か響く。

 解錠。

 それは何を意味するのか。

 携帯を操作できるようにするための必要動作。

 自分が動き出す決意を胸に刻み込んだ動作。

 どちらかが答えで、どちらかが答えじゃないのかもしれない。もしくは、その両方が答えなのかもしれない。

 踏ん切りをつけることは、思ったより単純で、だけど到達するまでは複雑で――。


「――どうしても、聞かなきゃいけないことがあるんだ」


 一度、言葉にしてからキーパットの音を再び響き渡らせる。


 負けヒロイン。

 この世で一番一途で美しく、魅力的で。純粋で。

 そして――。


 救いのない人間だ。

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