第5話 羽籠鎖奈恵の思惑

 翌日。

 登校した春太はすることもなく、自分の席に座って携帯をいじっていた。

 いじりつつもある人物が来るのを待っていた。

 その人物の名は羽籠鎖奈恵。後ろの席に座るはずの人間だ。

 羽籠が何時ごろ、学校に来るかなんて気にもしていなかった。だから、何時に彼女が現れるのか分からない。そのため、いつもより早めに来て、話す時間を確保しようとしていたのだが……。

 来ない。

 時刻はもう、七時五十五分になろうとしていた。HRが始まるまで後五分。

(どうせ、向こうから話しかけてくるだろうし別にいいか……)

 いつもより、早めに来てしまって時間を無駄にした感じが否めない。が、今回は不問にしよう。行動に起こしただけでも偉い、よく頑張った。

 羽籠のことなんか考えずに、今は平穏な日々を過ごすことを考えようじゃないか。

 というのも、昨日起きた出来事がまるで嘘のように感じるほど、何も変化はなかったのだ。

 楓花も羽籠もまだ登校して来ていないからかもしれないが。

 一つだけ、変化があるとすれば自分の席に座ると心なしか視線を感じるくらいであろう。

(風見楓花に話しかけられたんだよな……、この俺が)

 視線の正体は、春太とは楓花が放課後に二人で消えていったことにある。

 気になっていた謎が多き転校生に、話しかけられたのだ。

 一日経った今でも、正直実感がない。

「おはようございます、梓弓さん」

「う、うわぁ……! お、おはよう……」

 その時、突如背後から声がしたのだ。

「なんですか。挨拶をしただけなのに、その反応は」

「ご、ごめん! 急に言われたからびっくりして……」

「挨拶をする前に、今から挨拶します。と確認とってから挨拶する人はいないと思いますが」

「ちょっと、考え事をしててさ。それで……」

「そうでしたか。なら、仕方ないですね」

 謎多き転校生――風見楓花が春太に挨拶をしてきた。

 おはようございます、と。

 挨拶をされるとは思わなかったし、楓花のことを考えていたため動揺を隠しきれない。

 ……わざわざ挨拶してきたのだから昨日起きた出来事は存在したという証明になるのだろう。夢ではなかったのだ。

「それと、今日は部活ありますからね。くれぐれも帰らないでくださいね」

「……わかった」

「はい。では、また放課後」

 部活も実在していたようだ。

 あんなふざけた名前の部活が存在しているようだった。

 校舎裏で部活に勧誘されたのは、現実。これから、風見楓花との関りが増えていくのだろう。


 教室内には妙な空気が流れていた。

 耳を澄まさなくとも、教室内がざわつき始めているのが分かる。そこまで人数もいなかったが、リア充グループに属する人間がもう登校していた。昨日、楓花が春太を呼び出したのを見た人間もいた……はずだ。

「お。おはよう~。楓花と……、春太クン」

 楓花が自分の席に戻る前に、羽籠が春太と楓花に挨拶をする。

 それに対し、楓花は振り返り「おはようございます」と羽籠に挨拶を返す。

 羽籠が登校してきた。

 目を瞑りながら、手で口を隠しながら欠伸をしている。寝坊でもしたのだろうか。

 学校に来るのが遅すぎる。ギリギリ遅刻ではないと思うけど。

「……おはよう、羽籠。昨日はありがとう」

 春太はすぐにお礼を言った。楓花に呼び出されてクラス中の注目の的となった時に助けてくれたことを、早く言っておきたかったからだ。

「いいって、いいって~。なんのことか分からないけど」

「き、昨日さ、風見に呼ばれた時に……」

 その時、異様な空気が更に重くなっていることを気づいた。妙な視線を感じてしまう。

 斜め後ろの席に座っている男子、遠くの席にいる女子の集団……おそらく香織と仲がいい人物たち、そして、その近くで固まっている男子。誰もが不自然に春太のことを注目していた。

 だが、誰も話しかけては来ない。昨日と、同じような展開にはならなそうであった。

 おそらくは、春太の口から「風見」という単語が出たから、羽籠との会話を盗み聞こうとしているのだろう。

 流石に羽籠も気づいているようで、言葉に詰まると、辺りを見渡してから春太の表情を見て、複雑な態度を示した。

 ちなみに、楓花はと言うと羽籠に一言挨拶したら自分の席に座り、本を読んでいた。

 共に部活を作るほど仲いいのだろうか。

「ええっと……さ。なんか言いたいことあるみたいだけど、どうしたの?」

 羽籠が小声で春太に話しかける。周りの反応を気にしているようだった。

「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……。これじゃ厳しいと思う」

 時刻はもう、八時を過ぎている。HRが始まっているはずの時間だ。

 だから、これから話すわけにもいかない。担任が来てしまうだろうし。

「……聞きたいこと? あたしに?」

「あぁ、かざ……」

 春太はここで口を閉じた。おそらく、この視線の正体は、風見楓花に関する情報を求めている。ここで風見楓花の名前を出すのは、非常にまずい気がしたのだ。

「かざ……? ……あ。納得」

「そう! それを聞きたいんだよ!」

 羽籠には何を伝えたいか伝わったようだった。伝わりはしたが……どうすればいいのだろう。

 敵はクラスのほとんど。こいつらに、春太と羽籠の会話を聞かれないのはまず不可能だ。

 時間を改めて話すしかないのか。

「じゃあ、ちょっとLINEで話そっか」

 驚くべき羽籠の頭の回転。

 ここでSNSを利用すれば、会話が聞かれないだなんて……天才の発想。

 これで聞きたいことも聞ける。そう思ったのだが――

 春太は、羽籠のLINEを持っていない。

「あれ? あたし、春太クンのLINE持ってなかったわ」

「そ……そうだよね。……ははは」

「席が前後なのに、持ってないとかウケるんだけど。じゃ、早く交換しとこっか」

 ナイス羽籠! 切り出しにくい会話を切り出してくれてありがとう、と春太は心の中で羽籠に賞賛を送る。

 羽籠鎖奈恵は天使から転生したギャルなのだろうか。天使が転生したら日本のギャルだった件。それほど、彼女は優しい。

「春太クン、早くLINE開いてよ」

「あぁ、悪い。でも俺はID覚えてるぞ? loseh……」

「え? ふるふるでよくない? ほら、早く振って」

 そう言いながら、羽籠は携帯を振り始めた。手の動きと振動して、大きな胸も揺れる。Dカップくらいはありそうな胸を揺らす。

 豊満な胸をふるふるしながら、春太の顔を見る。催促のつもりだろう。

 しかし、春太にはそれが通じなかった。

「あの、ふるふるってなに?」

 ふるふる。とはなんだろうか。携帯を上下に振っているけど、振るとどうなるんだ。

「友達を登録するときにさ携帯を……、もしかしてまじで知らない感じ……?」

 春太はコクコクッと頷く。まるで、赤ペコのように。

「うそ~……、まじ? え、えぇ……、じゃあ携帯貸して」

 羽籠は呆れながらも手を差し伸べてくる。この手の上に携帯を置けばいいのだろうか。

 言われた通りに、携帯を差し出す。

「はーい、ありがと。でも、梓弓クン、ふるふるぐらいは覚えた方がいいと思うよ? お節介かもしれないけど」

「……う、うん」

 二つ返事で応じたが、それどころではなかった。

 羽籠の右手には、猫耳のカバーがしてある携帯。おそらく羽籠自身のものだろう。そして、左手には、カバーがされていない地味な携帯。春太の所有物だ。

 その二つが、羽籠にふるふるされている。

 両手を同じ速度で、振り続けながら俺のことを見ているのだが、目が自然としてある場所へ向かってしまう。

 胸。

 おっぱいが揺れている。ふるふるされている。

 たゆんたゆんと揺れるそれは、風に揺らされる木々のように、自然で芸術的であった。流れるような自然な動作に、春太はいつしか興奮を覚えている……

「はい、できたよ。『さなえ』ってのが私ね」

「うん、わかった。ありがとう」

 顔を見れない。胸を凝視していたのを気づかれないように、自分の携帯を見つめる。

 そこには、『さなえ』という名前のアカウントが表示されていた。

「一応、確認のためにスタンプ送っとくね~」

 うん、と相槌を打ちながら、もう一度羽籠の顔……、ではなく胸を見る。

 やはり、でかい。楓花のがりんごサイズなら、こっちはメロンサイズだろ。プチトマトとメガトマトくらい差がある。

 その時、ピコっと通知音が鳴る。おそらく、春太の携帯に羽籠が何か送ったのだろう。

【さなえ:胸見るな、変態!!!!】

 そのメッセージの後には汚物を見るような目をしていた猫のスタンプが添えられていた。

 困惑しながら、羽籠の顔を見ると、胸を押さえて顔が赤くなっていた。

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