第1話 どうして、俺のクラスにはラノベ主人公がいないんだ。

「いまからね! こくはくしてくるの!」

 随分昔のことだ。

 思い出したくない、忘れたい。けど、忘れてはいけない。

 そんな、歯がゆい記憶。どうしても、心の底にしまっておかないといけない記憶。

 春太には、昔好きだった女の子がいた。

 名前も知らなければ、どこに住んでいるのかも分からない麦わら帽子を被った女の子。

 知らなくても仲は良くて、お互い男子だとか女子だとか関係なしに遊んでいた。

 友達なんて、この子がいればよかった。

 恋愛感情を抱くなんて発想は、この時春太にはなかった。

 当時の春太に恋愛など分かるはずがなく、告白の意味さえ分からなかった。

 分からなかったはずなのに、告白をしてくると言われたら胸が締め付けられるように痛くなる。

 止めなきゃ。少年であった春太は少女の告白を止めようとしてしまう。

「ダメ、こくはくしないで」

 と、口から言葉が漏れだし涙は溢れる。

 自然と涙が溢れてしまう。喜びか悲しみか、どちらにせよ感情が動かされたから泣いているのだろう。

 止まらない涙は、少女の告白を止める理由になると思い込んでしまっていたのか。

「どうして?」

 疑問で返されたら答えられるわけがない。

 結局、好きだった女子の告白を止められなかった。

 止められずに、その女子は――。

 玉砕した。

「……ひっ、ぐすっ……んええ、ひっ……ひっく……」

 振られただけでその女子は泣いていた。

 そして、あろうことか春太に泣きついてきたのだ。

 そう、これが……春太が負けヒロインに目覚めてしまった一因となってしまう。

 だからだろう。

 春太はこの女子を好きになってしまった。

 時は流れて、何か月か。

 その子の傷が癒えたころに、春太は口走っていた。

「すきです、つきあってください」

 覚悟を決めて、告白してしまっていた。

 胸が締め付けられるように痛い。気づけば、その子のことばかり考えている。

 それを恋だとは、この時はまだ知らなかった。

「……ごめんね。はるたくんとはつきあえないの」

 これが春太の初恋にして、最後の恋愛。

 甘酸っぱくて切なくて、今でも思い出すと胸が痛い。

 その子は、その日以来遊ぶことはなくなった。

 きっと、好きになられては困る理由でもあったのだろう。

 だから、この日の出来事は戒めなのだ。

 春太の心に深く刻み込まれている。

 ――振られた女を好きになるな。

 今の春太が言い換えるならば、

 ――負けヒロインを好きになるな。

 仮に女子と仲良くなっても、その子は自分に恋をしない。

 この日を境にそう思ってしまっているのだ。

 風が見計らったように木々を揺らしていく。まるで、風が花に語りかけているように。

 禁断の果実が、羽の生えた鳥が、鳥籠――檻の中で動かず、鎖に繋がれ、希望を失うように。

 春太は恋愛をしないことを誓った。

 

 ※


 梓弓春太は負けヒロインが好きである。

 属性として、好きというよりかは概念として好きなのである。

 告白して振られる、優しくしてくれていた男子が自分のことをすきではない、物語が進むにつれて影が薄くなり気づけば負けヒロイン……。

 様々な種類がいるが、幼馴染負けヒロインに一番そそられる。

 だが、負ければいいってものでもない。

 振られると分かっていて、告白してこそ意味があるのだ。

 負け戦――花々と散る女戦士よ。遠からんものは、聞くな。近くば寄って目にも見るな。

 負けヒロインは一人で泣いてこそ、その真価を発揮する。

 隠れて一人で泣いている行為、そのものが芸術作品であるのだ。

 そのような女性が春太の好みではあるが、付き合いたくはない。

 理由は単純で、負けヒロインが付き合ったら……もうそれはただのヒロインだからだ。

 負けヒロインは難しい生物なのだ。定義も難しい。

 その一、好きな人がいないとは言っているが主人公のことが好き。

 その二、青髪。

 その三、裏と表のギャップが存在する。

 その四、幼馴染。

 その五、僕っ娘。

 など、いずれかに当てはまれば負けヒロインと呼べるだろう。

 ……あげると、キリがない。大体、負けヒロインの定義が広すぎる。妹なら、妹であるかないかで完結するし、幼馴染なら、幼馴染かそうでないかで完結する。

 他の属性は大体が、そうであるか――そうでないか。で、片付けられるのに、負けヒロインはどうして……。

 不遇。

 物語でも幸せになれず、作品に触れた消費者にさえ不遇と言われるのか。

 お気の毒に。負けヒロイン。

 負けヒロインの定義は難しくとも、イベントを起こすのは簡単なのである。

 転校生だ。

 転校生が来ると、物語は動き出す。

 別に付き合いたいわけではない。ただ、負けヒロインの登場を今か今かと待ち続けているだけだ。

 梓弓春太は、日常に飽きていた。

 楽しいことがない。

 友達がいないわけではない。少しは話す人間もいる。

 授業も普通だ。苦痛ではない。ただ、楽しくはない。

 そう、楽しくないのだ。

 高校生になったのに楽しいことが何もない。

 基本的に、ライトノベルやアニメのラブコメは主人公である男が高校二年生の時に始まる。春太も今は高校二年生。始まってもおかしくない。

 そして、主に四月~六月くらいに物語は動き出す。今は五月。ゴールデンウィークも終わり、物語が動き出すには絶好の期間。

 なのに、だ。

 イベントが起こらない。

 何かしら起こってもいいじゃないか。と、春太は未だに思い続けている。

(俺、高二まで待ったんだけどな……)

 いきなり、学校に隕石が墜落した影響で能力を発現して戦いに身を投じることになったり、転校生が現れて衝撃的な自己紹介を行ったり、異世界に転生して魔王を倒しに行ったり……。

 妄想は何度も行った。

 小学生の頃、教師が決まり文句のように言っていた台詞がある。見直しはちゃんとしようと。春太はそれを今でも実践している。自分の妄想など何回も見直しているのだ。模範的な学生だろう。

 なのに、だ。

(どうして、隕石も転校生も異世界転生も起きないんだよ!)

 春太の日常は、あまりにも平凡であった。退屈な日常を壊してくれるイベントがない。

「………………転校生の一人くらいいいじゃんか、現実的だし」

 春太の口からは本音が駄々洩れしていた。情報の漏洩。水を止められないダムこと、口。慌てて修繕作業に入ろうと、お口をチャックする。

「今なんか、言った?」

 HRが始まるまでの虚無な時間。チャイムが鳴ったせいで、誰もが着席するが担任が来るのはいつも遅い。

 大体、五分ほど遅れて入ってくるのがデフォルトなのだ。なんでも、化粧に時間がかかっているとか、かかってないとか。

 だから、HRの時間になっても教室は騒がしい。教師が来ないのだ。

 私語が絶えず教室で飛び交うのも不思議ではない。

 だから、独り言など言うと話しかけられてしまうのだろう。

「……あ、いや別に」

「うそだ~。なんか言ってたじゃん。転校生がどうとか」

「言ったかもな」

「そんなに楓花が気になるの?」

 そう言われ、廊下側の前から三列目の席に目を向ける。

 春太の席は真ん中の後ろから二列目の席。そのため、見づらさもなく違和感なく見れる席だ。

 その席には、ぽつんと孤独に読書に耽る少女が座っている。

 名を風見楓花。先週転校生として、このクラスの新たなメンバーとなった少女。

「別にそこまで……」

「え~、なんで!? 転校生って言ってたじゃん」

 そう、転校生がこのクラスに来たのだ。しかも、春太のクラスに。

 だから、春太は期待したのだ。

 ラブコメの波動を感じる! って言いながら、鼻息を立てたりもした。

 していたが、今となってはどうでもいい。

 転校初日には「かわいい! お人形さんみたい!」「風見さんって彼氏いるの?」「どこから来たの?」なんて質問攻めに遭い、クラス全体の興味の対象ではあった。

 あったのだが……。

 風見楓花には問題があったのだ。

「私は人形ではなく、人間ですが」「彼氏……ですか。いたらいいですね」「どこからと言われても、家から来たとしか」などと、冷静に淡々と答えるのみだったのだ。

 まるで、感情のこもっていない絵本の読み聞かせ。

 とにかく、クラス全体からは面白くないものと判断されたようだ。

 実際そうだろう。どんな質問を投げかけても、会話が広がらない。

 無口で、人形のように肌が白い美少女、風見楓花。学園ラブコメとしては申し分ないが、とてもイベントを引き起こすとは思えない。

「……転校生が来たらいいなーって」

「だから、来たじゃん」

「……そうじゃなくてだな」

 確かに転校生は来た。来たけど、そうではない。

 もっと、なんかクラス全員の人気者になっちゃったり、いきなり変わった部活を設立したり、異世界に連れて行ってくれたり……などを想――妄想していたのだ。

 風見楓花は、どれにも当てはまらない。

(それに、いつも思うけど負けヒロインがいるなら正ヒロインももちろんいるはずだよな……)

 教室中を見渡す。不自然にならないように、自然体で。

 そして、行きついた先は窓側の一番後ろの席。

 今日も飽きずに、リア充グループが会話に花を咲かしている。

 リア充グループというのも、彼らは輝いている。教室の喧騒を、そのグループが八割ほど構成していると言っても過言ではない。

 現に春太は、耳を澄ませてはいない。座っているだけで嫌でも会話が流れてくるのだ。

 ただ、うるさいだけかもしれないが……

 聞こえてくる単語は、「スタバ」「スニーカー」「美容室」「ファッション誌」と、キラキラ系の模範的な趣味の数々。キラキラ系の義務教育とでも呼ばれそうな、品ぞろえだ。

 その中でも、一際輝いている女子がそこにはいる。

 腕まくりをしたブラウスに、ニ、三回折られて短くされたスカート。腕を飾るのはピンク色の時計とシュシュと言われる髪を結ぶもの。そして、当たり前のことのように顔は整っており、赤髪のセミロングが印象的な女子。

 彼女こそが、そのグループの中心人物だ。

「香織~、今度カラオケ行こうよ~。どーしても歌いたいのがあって~」

「それって、さーちゃんも来るの?」

「えー! 香織たちカラオケ行くの? 混ぜてよ」

「いいよ……。みんなで行こっか」

「よっしゃあ! 香織とカラオケとかアドすぎるでしょ」

 名を辻香織と言う。女子だろうと男子だろうとお構いなしに呼び寄せるカリスマ系女子。……磁石か何かだろうか?

 女子どころか男子をも呼び寄せてしまうカリスマ系女子、辻香織。

 彼女なら、正ヒロインと成り得る。……そんな気がする。

「おーい。聞こえてる~? もしもし?」

 そして、後ろで語り続けてくるは、羽籠鎖奈恵。

 春太はこの女子が好きではない。

 怖いのだ。

 羽籠鎖奈恵。金髪が特徴的な派手な女子。

 大胆に校則を破った制服の着こなし。首にリボンを巻く場合は、制服の第一ボタンは閉めないといけないが、開いている。スカートの短さは膝より上。学校指定のものではないピンク色のカーディガンを羽織り、耳を見ればピアスまで空いている。

 今どきのカリスマJKみたいな。読書モデルをやっていると言えば、誰もが信じそうな女子。

(こいつ、誰にでも話しかけるから怖いんだよ……)

 羽籠鎖奈恵は、誰にでも話しかける。春太みたいな陰気な人間にも話しかけるし、辻香織が居るようなグループにでも平気で話しかけに行く。

 席替えで、前後の席になったが運の尽き。一度興味を持てば話しかけられ続ける。

「……聞こえてるけど」

「じゃあ、無視しないで欲しいなあ。まったく」

 とにかく、だ。

 春太はこの女子が苦手である。正ヒロインにも負けヒロインにもなれないこの女が苦手だ。

 気づけば、彼氏が出来て別れて、彼氏が出来て別れて……永久機関か。エターナルビッチ羽籠。そんな、名前がお似合いだろう。

「そんなに話したいなら別のやつに話しかけろよ」

「えー? だって、春太クンとあんまり喋ったことないからさ」

「……ッ。口説こうとしてるのか……?」

「……たはは。あたしってば、気づかぬうちにナンパしちゃってたのか~」

 別に仲は悪くないと思う。

 ……そうであって欲しい。

 悪いやつではないのは分かるが、ただ単に苦手なのだ。

 そのリア充拒否反応というか、関わると何かを吸われているような気分になる。

 もし、風見楓花が転校してきたのが物語開始の合図だとしたら負けヒロインになるのは、辻香織か羽籠鎖奈恵だろう。

 二人とも、群を抜いて美少女だし。なんでも学校内にはファンクラブがあるだとかないとか……

 きっと、風見楓花が主人公に値する人間が仲良くなっていって、それを見守ることしかできず――――あれ?

 肝心なことを忘れていた。

 その場合、主人公は誰になるんだ……?

 もう一度、教室を確認する。

 風見楓花、話し相手――本。

 辻香織、話し相手――女子数名、口を挟むモブ男子数名。

 羽籠鎖奈恵、話し相手――梓弓春太。

 主人公と成り得る人間がいない。

 これって、つまりは……主人公がいないから風見楓花の転校がイベントにならなかったのか?

 十分にあり得る。美少女や、クラスの気の合う連中と話している最中に、担任が乱入して転校生が現れるのだ。そこで初めて、物語が始まる。

 なるほど。だから、なにもないのか。

 春太は一人で納得する。と同時に絶望する。

 見たかった。目の前で負けヒロインと正ヒロインが誕生する瞬間を。

(どうして、俺のクラスにはラノベ主人公がいないんだ。……普通いないか)

 今思えば考え事をしていたのが原因だろう。

 だから、春太はこの時気づけなかったのだ。

 羽籠鎖奈恵が「どうしたの?」って問いかける声に。

 周囲の人間から向けられていた視線に。

 一歩、また一歩。上履きが床と触れ、音を醸し出す。

 ここで、春太は初めて気が付く。

 足音が自分の方へ向かってきていることに。

「ちょっと、いいですか」

 足音は止み、代わりに少女の声が聞こえてきた。

「梓弓さん。あなたに用件があります」

 あろうことか、春太に話しかけてきたのだ。

 表情一つ変えず、椅子に座った春太を見下すように。

 無表情な転校生、風見楓花がそこにいた。

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