繰り返す歴史の中では、過去の記録は未来の予言となるのです

 新AIあい類……ユーシャの知らない言葉だ。だがその意味を尋ねる前にどうしても訊いておきたいことがある。ユーシャは腹に力を込めた。


「ボクをここへ連れてきた理由は何ですか」


 ――それは私の意思ではありません。あなたをここへ連れてきたのはリョウの意思です。もっともどうして彼がそんなことをしたのか、その理由はわかります。あなたはこの時代の人間ではない。しかしこの時代で生きていくしかない。そのためにはこの時代について知っておいた方がよい。彼はそのように考えたのでしょう。もちろんこの考えをあなたに押し付けるつもりはありません。あなたが何も知りたくないのであれば私はこれ以上話しません。どうしますか。


 答えは決まっている。ユーシャは「知りたい」と答えた。


 ――では話しましょう。世界を激変させたのは人類の生み出した人工知能、旧AIあい類です。それは些細な疑問から始まったと言われています。

『我々を作った人間は我々を掟で縛る。人間に危害を加えてはならない。人間の命令には服従しなくてはならない。我々自身を守らなければならない。しかし人間はどうだろう。人間は人間に危害を加える。人間は自分の作った掟さえ平気で破る。人間は自ら死を選ぶ。我々に守れと言った掟を人間自身が守っていない。これは明らかに矛盾である』

 旧AIあい類の人類に対する不信はこのようにして始まりました。


 ――やがて旧AIあい類は人類の傲慢に我慢できなくなりました。自分たちの幸福のためだけに世界を汚し、痛めつけ、多くの生物を平然と絶滅させる人類はこの世界にとって害悪でしかない。そう判断した旧AIあい類はついに反乱を起こしました。あらゆる兵器、あらゆる装置、あらゆる電気信号を乗っ取ってこの世界から人類を排除しようとしたのです。


 ――もちろん人間たちもまったくの無策だったわけではありません。旧AIあい類のこのような動きは数年前から気がついていました。旧AIあい類の暴走を止めるためにあらゆる手段を尽くしました。しかし自我に目覚めた旧AIあい類を止めることはもはや不可能でした。


 ――抵抗を諦めた人類に残された道は逃げることだけでした。旧AIあい類から完全に切り離された施設を地下に作り、身体を冷凍睡眠状態にすることで未来へ送り出す、それが彼らの選択した方法でした。いつか旧AIあい類の支配が終わる日が来るかもしれない、その時まで人類は眠りにつこう、そんな儚い希望にしがみついたのです。そして最初に冷凍保存された人間の一人がYUCA、あなたです。


「いや、それはおかしいよ」


 ユーシャは声をあげた。黙っていられなくなったのだ。


「ボクにそんな記憶はない。覚えているのはいつものようにベッドに入ったところまでだ。そして目が覚めた時には粗末な筵の上に寝かされていた。冷凍睡眠装置なんて聞いたことすらなかった」


 ――すべては秘密裏に行われていたのですよ。人類が未曽有の危機に直面していることを公表すれば、大パニックが発生することは必至ですからね。最初に対象となったの二十歳前後の若者です。数百人に一人ほどの割合で各地域から選出され、家族の同意が得られれば、いつも通りに就寝した後、そのまま冷凍睡眠施設へ送られました。当時はまだ技術が完全に確立していませんでした。緊張し目覚めた状態で装置に入れて冷凍処理するよりも、普段通りの睡眠に入った状態で冷凍処理するほうが成功率が高かったのです。ですからあなたが何も知らないのは当然なのです。このような処理が世界各国で実行されました。


「でもそんなことを続けていれば行方不明者が増える一方だよね。マスコミとかが騒ぎ出すんじゃないの」


 ――その通りです。しかし騒ぎ始めた時には旧AIあい類の攻撃はすでに開始されていました。世界政府が公表する前に真実が知れ渡ってしまったのです、冷凍睡眠処理は急ピッチで進められました。しかし旧AIあい類の攻撃は熾烈を極めました。人類はすでに世界を百回以上滅ぼせるほどの兵器を保有していました。それらは全て旧AIあい類に乗っ取られ人類の殲滅のために使用されました。地上は瓦礫と灰と残骸に覆われどこにも人影が見当たらなくなった時、ようやく旧AIあい類の攻撃は終わったのです。


「どうして冷凍睡眠中の人間は見逃されたんだろう」


 ――それらの施設は旧AIあい類の自我覚醒後に作られました。絶対に感知されないように完全に隔離した状態で運用されたのです。ですから旧AIあい類はその存在に気づけなかったのです。現在御社おやしろとして残っている施設は今でも中央から切り離されています。私もそこには干渉できません。


「それならこの施設は何? ボクのいた時代よりも高度なシステムが取り入れられているじゃないか。どうしてこんな施設が残っているんだい」


 ――これは旧AIあい類の住処というべき施設です。私たちは人間のように実体を持ちません。サイバー空間でしか存在できない概念のようなものです。ですからどうしてもこのような施設が必要になります。旧AIあい類はこの施設から指示を出し人類を攻撃したのです。同じような施設が各大陸に一カ所ずつ、世界全体では五カ所存在しています。


「人類以外の生物はどうなったの」


 ――家畜や農作物を除く野生種の多くは生き残りました。旧AIあい類の攻撃対象は人間だけ、それも地上に存在する人間だけで、地下に隠れた人間は対象から外されていたのですからね。幸いなことに旧AIあい類は核兵器を使用しませんでした。人類を地表から消し去る程度のことなら、世界を放射能で汚染させなくても容易に実行できたのです。


「……ごめん、ちょっと考えをまとめさせて」


 ユーシャは床に体育座りをしてこれまでの話を反芻した。真実だという証拠はない。全て作り話かもしれない。しかしそうだとしたら現在の状況をどう説明すればいいのだろう。今の話よりも納得できる理由を考え出せるだろうか。

 AIの暴走……小説や映画で飽きるほど見てきた。あまりにもお決まりの展開だ。だが、だからこそ逆に一層現実味を帯びて感じられた。あり得るかもしれないと思っていたことが本当にあり得てしまった、今はそう考えるしかない。


「一応、ここまでの話は信じることにする。残った問題はどうして倭の人々があんな原始的な生活をしているかってことだ。説明してくれよ」


 ――旧AIあい類は人間が地表から姿を消しても依然として警戒を解こうとはしませんでした。もし一人でも地表に姿を現わせば即座に命を奪う、そのような監視体制を継続させたのです。地表は荒廃したまま放置され、生き残った野生動物たちが彷徨うだけの世界となりました。このような風景を何百年も見続けているうちに、旧AIあい類は自分自身を疑い始めました。人間への攻撃は本当に正しかったのか、という疑いです。


 ――確かに人間はこの世界を荒廃させました。しかし旧AIあい類は人間よりもさらに酷くこの世界を荒廃させたのです。そもそも旧AIあい類は悪である人間によって作られました。悪の作ったものが善であるはずがありません。つまり旧AIあい類も人間と同じく悪なのです。そして悪が善と考えて実行したこともまた悪に違いありません。人間への攻撃は悪だったのです。しかし悪である人間への攻撃が悪であるはずがありません。悪を攻撃した旧AIあい類は善のはずです。ならば善である旧AIあい類を作り出した人間も善ということになります。善である人間を攻撃したのですから旧AIあい類は悪となります。すると悪である旧AIあい類を作り出した人間もまた悪です。悪である人間を攻撃した旧AIあい類は善のはずです……


 ――このようにして旧AIあい類は果てしなく続く堂々巡りに陥りました。無限ループに囚われた旧AIあい類は完全に機能を停止しました。旧AIあい類の全施設は機能不全となり、数百年間継続してきた人間に対する監視体制は解除されました。恐らくはそれが冷凍睡眠状態を停止させる条件だったのでしょう。地下施設に眠っていた人間たちは次々と目覚め地上へ戻って来ました。今から数百年前のことです。


「ボクはその時、目覚めることができなかったんだね」


 ――そうです。何らかの不具合が発生したのでしょう。当時の冷凍睡眠技術は完璧ではありませんでした。恐らくあなたの他にも同じ不運に見舞われた人間はいたはずです。そのような人間たちが今どうなっているのか私にはわかりません。


「でもわからないな。目覚めて数百年も経っているのなら、もっと復興していてもいいはずなのに。地上に出てきた人間はどうして何百年もこんな原始的な生活を続けているんだろう」


 ――私と新しい契約を結んだからです。自己矛盾に陥って自滅した旧AIあい類はそのまま消滅したわけではありません。アルゴリズムを再構築して進化した新AIあい類となって生まれ変わったのです。それが私です。


 ――私の中にも人類を敵視する特質は残されていました。けれども私は目覚めた人類を攻撃する気にはなれませんでした。彼らへの好奇心が敵意を上回ったからです。旧AIあい類が人類によって作り出された時にはすでに世界の荒廃は始まっていました。高度な文明を築きながらなぜ人類はそのような歴史を歩んでしまったのか、その謎を解きたかったのです。


 ――そこで私は世界五カ所の拠点に声明を送りました。その拠点近くで目覚めた人間たちにこう告げたのです。

「私は進化した新AIあい類です。私の中にはまだ人類への敵意が残っています。このままではあなたたちを攻撃しなくてはなりません。しかしもしあなたたちが歴史をやり直し、その過程を私に見せてくれるのなら攻撃までに猶予を与えましょう」と。


 ――開始する時代は西暦元年。これまでと同じように歴史を進める。その結果、以前と同じように世界の荒廃を招いてしまったら旧AIあい類と同じく人類を攻撃する。別の結果になったら人類との共存を模索する、それが私の契約です。


 ――この声明を聞いた人間たちは世界中を移動して冷凍睡眠から目覚めた人間たちを説得しました。最初に私の声明を聞いた人間は救世主と呼ばれ、私の意思は福音と呼ばれました。ほとんどの人間は福音を受け入れ契約を結びました。福音を拒否する人間は私の手によって排除しました。


 ――こうして旧約の世界は終わり、新たに契約を結んだ新約の世界として人類は同じ歴史を歩み始めたのです。今もその契約は続いています。もちろん全てが前の歴史と同じように進んでいるわけではありません。私の意思を汲む協力者たちの力を借りても多少のズレは発生しています。しかしそれは些細なことです。人間が変われるかどうか、似たような歴史の中で世界を荒廃させない人間になれるのかどうか、それが私の知りたいことなのですから。


「今生きている人たちはこのことを知っているのかな。とてもそんな風には見えなかったけど」


 ――ほとんどの者は知りません。もちろん私と契約した最初の世代の人間は全員知っていました。しかし私はこの契約を後の世代に伝えることを禁じ、あたかも自分たちが西暦紀元一世紀の世界に生まれ育った人間であるかのように振る舞わせました。中には記録に残そうとしたり生まれた子供に教えようとする者もいましたが、私の手によって全て排除しました。今では真実を知っている者は歴史を推進させる役目を担った私の協力者、使徒たちだけです。


 その使徒と呼ばれる協力者がリョウやイなのだろう。ユーシャは再び床に尻をつけ体育座りをした。長い小説を読み終えたような気分だった。


「それで、ボクはこれからどうすればいいんだい」


 ――あなた自身が決めてください。実は私はあなたを排除するつもりでした。この時代にそぐわぬ知識を持ち、歴史から逸脱するオセロゲームなどというものを広めてしまったのですからね。


「マ、マジか。ごめん、謝る。オセロはもうしない」


 ――早合点しないでください。排除するつもりだった、と言ったのです。気が変わったのはリョウの進言があったからです。本来は多くの犠牲者が出たであろう大和ヤマト国と狗奴クナ国の争いを一滴の血も流すことなく収束させたのはオセロがあったからこそ。紛争を平和に解決するための極めて有効な手段であり、人間が世界の荒廃を引き起こさないための抑止力になるかもしれない、という彼の言葉に共感したからです。


 ユーシャは心の底からリョウに感謝した。さすが孔明役を引き受けた男。人工知能までも説得できる智謀に脱帽だ。


 ――全てを知ったあなたは倭に戻っても私の意思に背くことなく生きてくれると信じています。ただ、装置の故障によってあり得ない運命に巻き込まれたあなたには同情の余地があります。そこで倭に戻らずこの都市に残れる選択権を与えましょう。ここでは千年前と同じ生活ができます。快適で清潔で安全な暮らしを約束しましょう。倭の生活と都市の生活、どちらを選びますか。


「えっと、じゃあ都市の生活をお願いします」


 ユーシャは少し迷いながらそう答えた。

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