ユーシャ、大陸へ渡る
今日もユーシャは
明日は秋祭りだ。広場の中央には櫓が組まれ、それを取り巻くように松明台が置かれている。国中から集まったヤマトの民がこの櫓を囲んで徹夜で踊り明かすのだ。
「祭りか。この世界へ来る前に、高校の文化祭くらい経験しておきたかったな」
「
リョウだ。嫌みと文句以外の言葉を投げ掛けられたのは久しぶりのような気がする。
「何かな、孔明」
「これから私と一緒に大陸へ行きませんか」
あまりにも唐突な一言だった。しかも軽い。まるで近所の喫茶店に誘うような軽さだ。
「と、突然何を言い出すのかと思ったら大陸だって。参ったなあ。そりゃドラゴンの背中に乗れば大陸くらいひとっ飛びだけど、この時代は手漕ぎの船なんだろう。何十日も波に揺られるのはちょっと遠慮しておきたいなあ」
「どうしても同行していただきたいのです」
いつになく頑ななリョウの態度にユーシャは戸惑いを覚えた。ここまで言うからにはそれなりの理由があるのだろう、しかし何十日も続く危険な船旅を考えれば、やはりお断りしたくなる。
「いやあ、いくら孔明の頼みでもこれはちょっと無理。ボクって船酔いしやすいタイプ……」
「CATO=YUCA、それがあなたの本名。そうですよね、
「!……」
ユーシャの受けた衝撃は計り知れないものだった。自分ですら忘れかけていた本名をリョウの口から聞かされたのだから。
「ど、どうしてボクの名前を……」
「知りたければ私に付いて来てください」
リョウは北に向かって歩き始めた。ユーシャはその後に従う。北の柵門から王宮の外に出ると目の前には
「もしかして御社へ行くつもりなのかい」
「そうです」
「ああ、それは無理。ボクも何度か試したことがあるんだ。御社は樹海の北にあるって聞いたんで真っ直ぐ北に歩いたんだけど,どういうわけか元の場所に戻ってしまうんだ。何度やっても同じだった。
「それはこの樹海の持つ方位感覚変動システムのせいです。資格のない者を御社に近づけないように、真っ直ぐ歩いているように錯覚させて右回り、もしくは左回りに歩くように誘導しているのです」
「えっ、この時代にそんなシステムなんてないはずだけど」
リョウは返事をせずにスタスタと歩いていく。本当に今日のリョウは無愛想だと思いながらユーシャも後に続く。やがて二人は樹海の外に出た。
「あら、早かったわね。行きたくないって駄々をこねると思ったのに。さすが説得上手の孔明ちゃんね」
ユーシャは驚いた。抜けられないと思っていた樹海を抜けたことは確かに驚きだった。そこでイが二人を待っていたことも間違いなく驚きだった。しかし一番驚いたのは目の前にそそり立つ建造物だ。
「こ、これってビルじゃないか。どうしてこの時代にこんなものが」
「これが御社なのですよ。倭に唯一残された正常に稼働している過去の遺物。入りますよ」
勾玉型端末を当てて扉を開け三人は中へ入る。自動的に点灯する廊下の照明が三人を出迎える。ユーシャは激しく混乱していた。ここは完全に自分のいた時代、自分のいた世界と同じだ。
「ちょっと孔明ちゃん、YUCAちゃんには何も話してないの?」
「話しても信じてもらえるはずがありません。百聞は一見に如かず。これで彼女は本当の今を信じるしかなくなるでしょう」
廊下の行き止まりに扉がある。
「これはエレベーター?」
「そうよ。着くまで時間がかかるから退屈して寝ちゃわないでね」
イの言葉通り、エレベーターはうんざりするほど下降を続けた。このままでは本当に眠ってしまいそうだとユーシャが感じ始めた時、エレベーターのドアが開いた。前方の空間にはゲートがいくつか設置されている。
「ここは駅みたいだけど」
「その通りです。もっとも改札業務は停止していますので、そのまま通って構いません」
ゲートを素通りし階段を降りるとそこはプラットフォームだ。すでに車両がとまっている。ユーシャはもう驚かなかった。
「この世界にもリニアがあるのか。ボクの国と大陸が海底トンネル鉄道で結ばれたのが二年前。やはりここはボクの時代、ボクの世界なのか。いや、それにしては変だ。人間の生活は古代のままなんだから。古代と現代が混合した異世界へ飛ばされた、とでも言うのか」
またも混乱するユーシャ。リョウが冷ややかな目をして答える。
「どちらも不正解です。そろそろ現実を直視してはどうですか。車両をよく見てください。かなり老朽化しているでしょう。大陸間鉄道の開通があなたにとっては二年前でも、私たちにとっては千年以上も前の話なのですよ」
「じゃあ、ここは過去でも現在でもなく……」
「そう、未来です。あなたは未来から過去へ来たのではなく、過去から未来へ来たのです」
「いや、それでもおかしい。ここが未来ならどうして
「それは大陸へ行けばわかります。さあ、乗りましょう。ああ、心配は要りませんよ。デザインは千年前と同じですが車両は私たちの時代のものですし、メンテナンスは完璧ですから」
三人が乗り込むと発車音も車内放送もなくリニアは走り出した。全てが自動化されているようだ。乗り心地は悪くない。しかし窓外は真っ暗で退屈だ。イは座席ディスプレイで映像を楽しみ始めた。リョウが立ち上がった。
「紅茶でも飲みますか」
「あ、はい」
ユーシャの返事を聞いたリョウは車両から出て行った。しばらくすると盆を持って戻ってきた。二つのカップとスプーン、ティーポット、砂糖壺が乗っている。
「あらあ、あたしにも聞いて欲しかったわ。孔明ちゃんいけずなんだから」
イはヘッドホンを外すと車両を出て行った。紅茶の香りに刺激されて自分も飲みたくなったのだろう。ユーシャはカップに口をつけた。
「美味しい、というより懐かしい。忘れかけていた味だ」
「大陸には忘れかけていたものがたくさんありますよ」
ユーシャは少し元気が出てきた。リョウが大陸へ行こうと誘った理由がなんとなくわかったような気がした。
リニアの旅は四時間ほどで終了した。降りた駅の風景はユーシャのいた世界とほとんど変わらなかった。近代的で全てが自動化されている。ひとつだけ違うのは人がいないことだ。利用者はユーシャたち三人だけ。駅員も職員もいない。
「さあ、お着替えしましょう」
駅を出て最初に行ったのは洗浄だ。一人ずつ別々の部屋へ入り、身体の消毒と簡易生体検査を受けた。その後、体のサイズにあった衣服が自動的に装着された。部屋から出て来た時には三人とも別人のように見えた。
「これから中央管理室に向かいます」
リョウとイに連れられてユーシャは都市の内部を移動した。駅と違ってユーシャのいた世界よりも遥かに近代的で人工的だった。水平移動も垂直移動も足を動かす必要はない。照明は自動的に点灯し自動的に消灯する。暑くも寒くもない空間には自然と呼べる物体はひとつもない。金属とガラスと合成樹脂、それがこの都市を構成する全てだ。まるで風に吹かれて宙を彷徨う一枚の枯れ葉のようだとユーシャは思った。
「ここです。少し待ってください」
気がつけば広大な部屋の中にいた。リョウが大型スクリーンの前で端末を操作している。
「YUCAのデータを渡しました。直接言葉を交わしたいそうです。中に入ってください」
端末の横の扉が開いた。中は真っ暗だ。ユーシャは躊躇した。
「大丈夫よYUCAちゃん。取って食われるようなことはないから。もし相手がそのつもりなら扉が開く前にそうしているはず」
「えっ、それってつまり状況次第では、ボクは取って食われるかもしれないってこと?」
ユーシャは身震いして後ずさりした。リョウがイの頭を小突く。
「仲達、そんな言い方はないでしょう。余計に怯えさせてどうするのですか。YUCA、安心してください。この扉が開いた以上、あなたの命は保証されたと考えていいはずです。さあ、進みなさい」
ユーシャは暗闇へ足を踏み入れた。背後の扉が閉じ周囲は完全に闇に沈んだ。が、室内はすぐ明るさに満たされた。夏の夜明けを感じさせる淡く温かい照明だ。上下左右は金属壁で囲まれている。狭い空間だ。
――初めまして、CATO=YUCA。私は新
それはいきなり聞こえてきた。性別すら判然としない機械的な倭の言葉でユーシャに語り掛けてきた。
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