戦いすんで日が暮れてユーシャの心に風が吹く
だが、ここで天が粋な計らいをしてくれた。秋の日はつるべ落とし。闇が集落を包み始めたのだ。
「これ、松明を持て。これでは暗くてよく見えぬ」
オセロ盤の周囲に松明を持った男たちが並んだ。揺れる炎に照らされて盤が、白石が、黒石が、闇の中に浮かび上がる。まるでこの世界にはそれだけしか存在していないかのようにユーシャの目には映った。
「……恐怖が、消えた」
高さを感じなくなった。全てが目の前に置かれているように感じられる。人の石は通常の大きさの石に見え、オセロ盤はいつもの大きさの盤に見える。暗闇によって距離感が消失してしまったのだ。
「いける。これならやれる。ボクの中に潜みしもう一人のボクよ、目覚めの時は来た。おまえの力を思う存分見せつけてやれ!」
ユーシャの怒涛の反撃が始まった。凄まじい追い上げだった。ヒミヒコは押されながら必死に防戦した。が、どれだけ頑張ろうと力の差は歴然としている。これまで踏んできた場数が違うのだ。小学生時代から試合に出続けているユーシャにはここ一番の集中力があった。そして、
「仲達、よかったですね」
最初に気づいたのはリョウだった。
「ふっ、生きた心地がしなかったわ」
続いてイ。
さらにはユーシャ。
「眠らせておいたボクを目覚めさせた甲斐があった。よくやった、もう一人のボク」
相変わらず中二病である。
やがて物見台の民たちも気づき始めた。次第にざわめきが大きくなるヤマトの民。ひっそりと静まり返るクナの民。
「く……やはり天は我らの味方ではなかったのか」
ヒミヒコも気づいた。しかし途中での投了は許されていない。最後まで打ち続け「負けました」と言わねばならないのだ。
ヒミヒコが最後の石を指示し、黒石の男がその場で腹ばいになり、数個の石がひっくり返ると、イは高らかに終局を宣言した。
「はーい、見ての通り白番
歓声が沸き起こるヤマト国側。お通夜のように静かなクナ国側。物見櫓から降りてきたユーシャとヒミヒコは互いに礼をした。
「負けた。やはり強いな。二隅をもらっても勝てぬとは」
「いえいえ、ボクをここまで追い詰めたあなたもたいしたものだ。敵ながら天晴れと言っておくよ。もう一人のボクの封印を解かなければ負けていたかも」
「もう一人の自分か。我にはそれがなかったのだな。ははは」
ヒミヒコは寂しく笑いながら夜空を見上げた。クナ国大王となってから追い続けてきた倭王の夢。こんな形で潰えるとは思いもしなかった。同じ果てるなら武人らしく戦いの中で逝くべきではなかったのか、そんな思いも湧き上がってくる。
だが、全ては自分が選んだ道。後悔など微塵もない。ヤマトとクナの民に見送られて逝くのなら大王冥利に尽きるというものだ……ヒミヒコは腰に帯びた鞘から鉄の刀子を抜いた。
「ヒミヒコ様!」
駆け寄るゴシをヒミヒコは左手で制した。
「ゴシ、おまえの忠義には感謝している。しかし後を追ってはならぬ。我に代わってクナ国をまとめてくれ」
「その御命令だけは聞けません。私もご一緒させてください」
「ならぬ。逝くのは大王一人だけで十分、うおっ……」
いきなり尻に衝撃を受けてヒミヒコは前のめりになった。振り返るとヒメミコが立っている。どうやらこの幼女に尻を蹴とばされたようだ。
「ヒミヒコ、おまえ死ぬ気なのか。そんなの馬鹿だ!」
幼女とは思えぬ気迫にヒミヒコは一瞬たじろいだ。が、すぐに威厳を込めて言い返した。
「大王には大王の生き様があるのだ。おまえのような童女に何がわかる」
「わかる。だってあたしも大王だもん」
「はあ?」
ヒミヒコは完全に気勢を削がれてしまった。しかしゴシは違った。この幼女からこの言葉を聞くのは二度目だ。
(まさか、本当に大王なのか。この童女がヒメミコなのか)
沈黙したままの二人に向かってヒメミコはなおも叫び続ける。
「あんな布が手に入らなかったからって何だ。誰だって欲しいものが全て手に入るわけじゃないんだ。あたしだってババに『もっと小遣いくれ』って頼んでも全然くれないから、ドングリ団子二個しか食べられないんだぞ。でも死のうなんて思ったことは一度もないんだぞ」
「いや、団子と親呉倭王の詔書では重さが違う……」
「同じだ。あんな布なんて欲しくない。イ、それちょっとあたしに渡せ」
「えっ、あ、はいどうぞ」
この詔書はすでにヒメミコのものである。持ち主が渡せと言うのだから渡さないわけにはいかない。
「こんなもの、こうしてやる」
ヒメミコは近くに立っている男から松明を奪い取ると詔書に近づけた。
「あ、ああ、なんということを……」
狼狽するゴシとヒミヒコ。ヒメヒコは委細構わず燃やし続け詔書を灰にしてしまった。
「詔書なんかこの程度の価値しかないんだ。こんなもののためにヒミヒコは命を捨てるのか。馬鹿馬鹿しいと思わないのか」
「だがこのままではクナ国の民に顔向けできぬ。戦いに負けた責任は取らねばならぬ」
「いえ、それは違います、ヒミヒコ様」
物見台から一人の男が駆け寄ってきた。毛皮をまとったガッシリとした青年だ。
「誰だ、おまえは」
「私はクナ国の猟夫、ヤイメと申す者。ヒミヒコ様にお話ししたいことがあります」
ゴシもヒミヒコもヤイメの名は知っていた。穏健派の主導者だ。
「申してみよ」
「これまでクナ国の民は二つに分かれて争ってきました。武に頼る者と調和を重んじる者です。今日も我らは二つに分かれヒミヒコ様を見守っていました。しかし対局が進むにつれ我らの間に不思議な連帯感が生まれ始めたのです。国のため民のために死力を尽くすヒミヒコ様を誰もが応援しました。そこに派閥の違いはありませんでした。そしてヒミヒコ様が敗れ去った時、我らはひとつになったのです。耳を澄まして聞いてください。あなたを思う民の声を」
ヒミヒコはまだ物見台に残っているクナ国の民を見回した。聞こえてきた。これまでまったく聞こえなかった、聞こうとしなかった民の声が聞こえてきた。ヒミヒコ様よく頑張ってくれました。ヒミヒコ様逝かないでくださいまし。我らは全てを受け入れます。クナは倭の小国で構わないのです。我らは何よりも平穏な暮らしを望んでいるのです。ですからヒミヒコ様は大王のままでいてください……
「おまえたち、それがおまえたちの本心なのか」
ヒミヒコは感じていた。自分の中で別の自分が生まれるのを。ユーシャが言っていたもう一人の自分が古い自分を打ち砕いてくれるのを、ヒミヒコは確かに感じていた。
「ゴシよ、我は大王になった時からひたすら倭の覇者を目指し続けた。クナ国を倭最大の強国にすること、それが民の幸福だと信じていたからだ。だが今、民の声を聞いてそれが間違いであることに気づいた。大きな過ちを犯していたことにようやく気づけた。我はもう一度やり直せるだろうか」
「もちろんです。ゴシはどこまでもヒミヒコ様に付いていきます」
ヒミヒコは刀子を鞘に収めてヤイメを見た、
「よくぞ申してくれた。そなたのおかげで目が覚めた。礼を言うぞ」
「いえ、クナ国の民として当然のことをしたまでです」
ヒミヒコはヤイメと固く握手した後、今度はヒメミコに頭を下げた。
「童女とは思えぬ物言い、感服した。しかし詔書を燃やしてしまってよかったのか。ヒメミコ様に叱られるのではないかな」
「だからあ、あたしがヒメミコだって。何度言えばわかるのかなあ」
「なんと!」
驚くヒミヒコ。ゴシは心の中で頷いた。
(やはりそうなのか。この童女がヤマトの大王ヒメミコだったのか)
しかしそう思ったのはゴシ一人だけだった。一瞬驚いたヒミヒコだったが、すぐ大笑いを始めた。
「はははは。先ほどもそのような戯言を言っていたな。もう虚勢を張る必要はないぞ。いくら何でも童女を大王にする国などあろうはずがない。ゴシ、おまえもそう思うだろう」
「あっ、はい。まったくでございます(いやいや、やはり思い過ごしだ。こんな童女が大王のはずがない)」
「もう、どうしてそうなるの!」
「ヒミちゃん、冗談はそれくらいにしておかなくてはいけませんよ」
いつの間にかイヨがヒメミコの隣に立っていた。理由はわからないがイヨの視線はヤイメに釘付けになっている。
「ねえ、イヨちゃん。あたしもう変装したり名前を変えたりしなくてもいいんじゃない。だって誰も信じてくれないんだもん」
「そうですね。ババと相談してみましょうか」
「イヨちゃん、どこ見て話してるの」
「ババと相談してみましょうね」
イヨは完全に上の空だ。嫁入りした桃巫女は王宮退去と定められている。イヨが王宮を去る日は近いのかもしれない。
「ふう~、向こうは穏便に片が付いたようだし。後はボクが元の世界に戻ればこの物語もおしまいだな」
全力を出し切って勝利をもぎ取ったユーシャはご機嫌だった。冷たい秋の夜風さえ今は心地好く感じられる。
「そのことですが、
リョウが話し掛けてきた。いつになく真剣な顔をしている。
「なんだい孔明。ボクの勝利を祝いに来てくれたのかい」
「いいえ別の用事です。もしかしてあなたは『こんな難易度の高いクエストをクリアしたのだから元の世界に戻れるはず』と思ってはいませんか」
「鋭いな、その通りだよ。まさに世界を救ったんだからね。それくらいの報酬はもらってもいいだろう」
「残念ですが、あなたは元の世界へは戻れません。何をしようと、どれほど大きなクエストをクリアしようと、この世界からは逃れられないのです」
ユーシャは悪い夢を見ているような気がした。リョウは決して間違ったことを言わない、それはこれまでの経験でわかっている。それでもこの言葉だけは信じられなかった。信じたくなかった。
「いや、嘘だろう。そんなはずがない。どうして孔明にそんなことがわかるんだい」
「私を見ればわかるでしょう。あなたと同じ知識を持ちながら私はこの世界に生きているのです。私がこの世界でしか生きられないように、あなたもこの世界でしか生きられないのです」
ユーシャの心を秋風が吹き抜けた。身も心も凍らせる、ひどく冷たい風だった。
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