あたしは司馬懿仲達、よろしく頼むわね
「なんだと、リョウが帰ってきただと」
ゴシの報告を聞いたヒミヒコは色を失った。早かった。あまりにも早すぎる帰国だった。どんな手段を使ったのかはわからないが、通常の半分ほどの日数で旅を終わらせてしまったことになる。
「それで倭王の件はどうなった」
「認めてもらえたようです。絹布に書かれた詔書を見せられました。文字は読めませんが親魏倭王の文字だけは知っています。その文字が確かに書かれていました」
「そうか」
ヒミヒコはそれだけを言うのが精一杯だった。クナ国がこれからたどる道筋ははっきりと見えている。ヤマト国はヒメミコが魏によって正式に認められた倭の王であると、直ちに各国へ使者を飛ばすだろう。
もちろんこのクナ国にも来る。使者を迎え入れ親書を受け取ったら次はクナ国の番だ。この場合、使者ではダメだ。クナ国
「ゴシ、もし我らがヤマトの使者を無視して何もしなければどうなると思う」
「反逆の意ありと見なされ、他国と共に攻めて来るでしょう。倭の全ての国に攻められれば我が国に勝ち目はありません」
「ならば直ちにヤマトを攻めてはどうだ。それなら勝ち目はあろう」
「同じことです。ヤマトを滅ぼせば他の国と魏が黙っていないでしょう。大陸から大量の武器と兵が送り込まれ我が国は滅ぼされましょう」
「結局ヤマトに膝を屈する他に生き延びる道はないというわけか」
呉への使者は完全な徒労に終わってしまった。帰国までにまだ数カ月はかかるはずだ。呉からの詔書を待ってヤマトへの無視を続けていれば、ひと月も経たないうちにヤマトは攻めて来るだろう。
「どうしてリョウはこんなに早く帰ってこられたのだ。信じられん。空でも飛べるのか」
「わかりません。ただ帰国したのはリョウ一人だけで他の者はまだ旅路の途中のようです。大陸の文明は日々発展しています。一人しか運べぬ高速の船のようなものが作り出されたのかもしれません」
それに関してはゴシも奇妙に感じていた。リョウの足取りを調べてみたが、ヤマト国に至る経路がまったくつかめないのだ。正体を隠して旅をしていたとしか考えられない。
「ヒミヒコ様、まだ完全に望みがなくなったわけではありません。リョウがこれほど早く帰国できたのなら、我らの使者とてできてもおかしくありません。とにかく新呉倭王の印綬と詔書さえ届けばいいのです。ギリギリまで待ってみてはどうでしょう」
「そうだな。待てば海路の日和あり。当面ヤマトからの使者は無視することにしよう。ところでユーシャの件はどうなった。引き抜きは不首尾に終わったがヤマト王宮に関する話は聞けなかったのか」
「はい、それについてですが……」
ゴシは迷った。あのヒミとかいう幼女、自分が大王であると名乗ったばかりかユーシャもそれを肯定していた。あの時は一笑に付したがどうも引っ掛かる。
「どうした。何か聞けたのか」
「いえ、残念ながら何も。リョウに会話をさえぎられてしまったので」
「そうか。こうなってはユーシャの引き抜きも諦めねばなるまいな。下がって良いぞ」
「はは」
結局ゴシは言わなかった。どう考えてもあり得ないからだ。
(いくら何でもあんな童女が大王のはずがない。たとえそうだとしても自分から名乗るはずがない。ユーシャは勘違いをしたのだろう)
それがゴシの出した結論だった。
とにかく呉の使者を待つ、そう決めた日からヒミヒコとゴシの忍耐の日々が始まった。
リョウが帰国してから五日目、大陸の装束を身にまとったヤマト国の使者が供を引き連れてやって来た。
「ヤマト国大王ヒメミコ様は魏の皇帝により倭の王と認められました。これはヒメミコ様の親書です。お納めください」
「大儀であった。よろしく伝えてくれ」
やって来た使者は丁重にお持て成しをして帰らせた。言うまでもなくそのまま無視した。
その五日後、今度は簡易な装束の使者が一人だけやって来た。
「クナ国からはまだ何の返答もない。早急に使者をヤマト国に遣わすように」
「承知した。さっそく支度に取り掛かる」
やって来た使者は丁重にお持て成しをして帰らせた。もちろんそのまま無視を続けた。
さらにその五日後、今度は武装した屈強な兵士が二名やって来た。
「ヒメミコ様は大層お怒りだ。直ちにヤマト国に対し恭順の意を示されよ」
「まだ準備が整っておらぬゆえ、今しばらく待たれよ」
やって来た兵士は丁重にお持て成しをして帰らせた。そろそろ限界かと思いながらもやっぱり無視を続けた。
リョウが帰国してから二十日が過ぎた頃から、クナ国とヤマト国の間には不穏な空気が漂い始めた。倭の各国からヤマト国へ大量の兵士が集まり始めた。また
「ゴシよ、どうやら我らの命運は尽きたようだ。明日にでも自害するとしよう。ヒメミコに膝を屈するくらいなら命を捨てたほうがマシだ」
「無念です。我が力が至らぬばかりにヒミヒコ様にこのような屈辱を味わわせることになろうとは。このゴシもすぐ後を追います」
ついに命を捨てる覚悟をした二人。しかしこの時、思いも寄らぬ知らせが舞い込んだ。
「ヒミヒコ様、参られました! たった今、呉からの使者が参られましたぞ!」
「おお、来たか、ついに来てくれたか」
一日千秋の思いで待ち焦がれていた呉の使者がようやく来てくれたのだ。ヒミヒコとゴシは天にも昇る気持ちで喜んだ。
「我らの命運は首の皮一枚でつながった。天はまだ我らを見捨ててはおらぬようだな」
「はい。リョウと言い今回の呉の使者と言い、尋常ならざる速さで旅をしております。やはり大陸で高速の船が作られたのでしょう」
「お見えになりました!」
案内の配下とともに一人の人物が謁見の間に入ってきた。ヒミヒコとゴシは目を丸くした。実に奇妙な格好だった。
精悍な顔立ち、豊かな口ヒゲと長い顎ヒゲ。それだけ見れば間違いなく男だ。だが身にまとった衣装はどう見ても男のものではない。幅の広い袖と足首まである長い裾。桃色の布地に施された艶やかな刺繍。顔から下は完全に女だ。
呉の使者は一礼すると二人に向かって挨拶をした。
「初めまして。あたしは呉の使者、
声は野太い。男であることは間違いなさそうだ。しかし言葉遣いがおかしい。まるで女のような喋り方だ。まごつきながらヒミヒコは言葉を返す。
「あ、ああよくぞ参られた。クナ国大王ヒミヒコだ。こちらは側近のゴシ。歓迎いたすぞ」
「ゴシでございます。えっと、シバ……なんと申されましたかな」
「あらやだ。長くて覚えられない? 倭の人の名前って短いものね。なら
イは体をくねらせながら喋っている。これが本当に呉の使者なのかと疑いたくなる気持ち悪さだ。ヒミヒコはゴシに耳打ちした。
「どう思う。もしやこの男、偽者ではないのか」
「早合点はいけません。我らが呉の者に会うのはこれが初めてなのですから。呉の男は全て女のように振る舞う特質があるのかもしれません。ここは率直に疑問をぶつけてみてはいかがですか」
「うむ、そうだな」
ヒミヒコはイに向き直ると、少しだけ上から目線な態度で尋ねた。
「イ殿。聞きたいことがある」
「どうぞ。何でも答えちゃう」
「その言葉遣いは少々不自然なのではないか。まるで
イは目を丸くして両手を口に当てた。その仕草も完全に女だ。
「いやーん、やっぱり変? これでもかなり上手くなったと思っていたのに、ちょっとショック。あたしって昔から倭の言葉に興味があったんだけどなかなか学ぶ機会に恵まれなかったの。でも半年くらい前にね、ようやくお仕事がひと段落して一年くらい暇ができちゃったの。そしたら一気に倭言葉への情熱がぶり返しちゃったってわけ。で、誰に習おうかなあって考えたんだけど、あたしだって男でしょう。せっかく習うんならむさくるしい中年のおじさんより、色っぽくて艶のあるお姉さんのほうが楽しいし嬉しいし気持ちいいじゃない。で、あちこち探してみたら『えっ、もしかして
「なるほど。倭の言葉を女子に教えてもらったために、そのような喋り方になったと申されるか」
それならば致し方ない話だ。それにイの喋り方は変ではあるが完全に聞き取れる。半年足らずで他国の言葉をこれほど見事に習得できたのだから、むしろ称賛せねばならないだろう。
「喋り方はわかった。しかし何故そのように体をくねらす。それにその衣装。まるで女子のようではないか」
「もう無粋なことは言わないでよ。男子だってきらびやかな衣装に身を包んでもいいじゃない。あ、それから話すたびに体が動くのは虞美人熟女が宮廷の踊り子だったからなの。言葉を習うには口だけでなく体から真似ることが大切なのよ。職業柄、虞美人熟女はいつも手を振り、足で拍子を取り、腰を揺らして日常生活を送っていたわ。あたしもそれを真似しているうちに、倭言葉を喋る時は自然に体が動くようになったっていうわけ。納得していただけたかしら」
他国の言葉を習う時に一番重要なのは、どのような人物に教えてもらうかということである……イの返答を聞いたヒミヒコは胸の奥にそう刻んだ。
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