ボクは勇者、今こそ世界を平和へと導こう

 ババは王宮大王おおきみやかたの寝所にいた。ここは元大王が寝起きしていた部屋だ。元大王は退位したので本来なら新大王のヒメミコが使うべき部屋なのだが、


「あんなだだっ広い部屋に一人で寝たくない」


 と駄々をこねるので今は誰も使っていない。ちなみにヒメミコは修行時代と同じく、今も桃巫女たちと同じ部屋で寝起きしている。


「娘の様子はどうだ。目を覚ましたか」


 元大王が入ってきた。ババの前には宮女の衣を着せられ、その上に毛皮をかけられた少女が寝ている。昨日、イヨとヒメミコが横穴で発見した少女だ。


「いいえ、よく寝ておりまする。よほど寝不足だったのでしょうな」


 ババ得意の皮肉である。元大王は苦笑いすると昨日のことを思い出した。


 * * *


「穴の中で娘が寝ていた? どういうことだ」


 昼の休みをそろそろ終えようとしていた頃、ヒメミコが住んでいた集落の民が王宮に駆け込んできた。ヒメミコたちが一人の少女を集落に運んできたと言うのだ。


「イヨ様が申すところによりますと、神の導きによって横穴に入り、その奥で眠っている娘を見つけたため、二名の警護の手を借りて運び出し、集落に連れてきたとのことでございます。現在、集落のおさが預かっております」


 神の導きとはヒメミコだけに聞こえる神使しんしの声のことだろう。となるとこのまま放ってはおけない。元大王は王宮へ連れて来るように指示した。


「いったい何があったのだ」


 少女と一緒に戻ってきたイヨから詳しい話を聞いた。何もかも驚くことばかりだった。特にクナ国に御社おやしろらしきものが残っているという事実がなにより元大王を驚かせた。


(御社はヤマトにしかない。だからこそ魏はヤマトを特別視している。クナに御社があるとなればその優位性が崩れかねない)


「それにしてもこの娘は何じゃ。本当に倭の者なのか」


 ババが訝るのも無理はなかった。茶色がかった髪を持つ女子などヤマト国はもちろん倭のどの国でも見たことはない。


「とにかく娘が目を覚ますのを待とう。話を聞かねば何もわからぬ」


 こうして皆は少女が起きるのを待った。だが一向に目を覚ます気配がない。とうとう夜が明け、朝が来て、間もなく昼だ。


「ねえねえ、起きた?」


 今度はヒメミコがやって来た。ババは無言で頭を振る。


「今日は散歩へ行かぬのか」

「行かない。この子が気になるから」

「失礼します。女の子は目を覚ましましたか」


 イヨまで入ってきた。よほど気になるのだろう。


「まだ寝ておるわ。よくもこんな厄介者を連れて来てくれたものじゃな。この忙しい時期に余計な仕事を作りおって」

「すみません。まさかこんなことになるとは思ってもいなかったのです」

「イヨちゃんを叱るな。しょうがないよ。シンちゃんの命令だったんだから」

「これこれ、あまり騒がしくすると娘が起きてしまうぞ」

「何を寝ぼけたことを言っておるのじゃ。わしらは起きるのを待っているのじゃろうが」


 四人揃ったところで寝所の喧しさは四倍になった。それが功を奏したのだろう。少女の目がパチリと開いた。


「えっ、何、ここどこ」

「あっ、起きたあ!」


 叫ぶヒメミコ、怯える少女。元大王はできる限り優しい声で話す。


「ここはヤマト国の王宮だ。穴の中で眠っているおまえを見つけたので、ここへ運んだのだ」

「ヤマト? 穴の中? えっ、ちょっと意味がわかんない。もしかしてあたし誘拐されたの?」


 四人は顔を見合せた。少女と同じくこちらも言葉の意味がよくわからない。しかし怖がっているのは確かなようだ。


「安心いたせ。危害は加えぬと約束する。それよりおまえは何者だ。何故穴の中で寝ていた」

「あたしは平凡な女子高生。穴の中でなんか寝てない。昨晩は自室のベッドで寝たはず。おじさん、嘘を言ってあたしを騙すつもり?」


 またも何を言っているのかよくわからない。ババと元大王が顔を見合わせる。


「この娘、もしや大陸の者ではないのか。髪は黒くないし言葉も通じぬのじゃからな」

「いや、確かに通じないがまったく通じないわけではない。しかし困ったな。ヒメミコ、なんとかならぬか」

「シンちゃんに訊いてみる……ふんふん、えっと禁則事項なので教えられないって」


 再び沈黙する四人。が、突然少女の顔にパッと花が咲いた。


「ちょっと待って。今、ヒメミコとか言わなかった」

「うむ、この童女がヒメミコだ」

「その前にはこうも言ったよね。ここはヤマト国だって」

「そうだ。倭のヤマト国だ」

「ヒメミコ、ヒミコ……ヤマト国、ヤマタイ国……卑弥呼、邪馬台国、そうか、そうだったのか。ははは、何もかもわかったぞ」


 突然少女が笑い出した。口調も明らかに変わっている。まるで別人だ。


「取り乱して恥ずかしい姿を見せてしまったようだ。いつかこうなると思っていたのさ。そう、ボクは平凡な女子高生なんかじゃない。右腕にドラゴンの紋章を発見した時から必ず召喚されると信じていたんだ。そして今日、ついにそれが起きた。ここは古代日本の邪馬台国。召喚したのは卑弥呼。そうなんだろう。いや待て。あるいは古代日本によく似た異世界なのか。微妙に呼び名が違っているからな」


 四人とも言葉を失った。もはや少女が何を喋っているのか完全に理解できなかった。


「ああ、君たちすまない。驚かせてしまったようだな。ところで何か食べる物はないか。安心したら急に腹が減ってきた」


 これならわかる。イヨが答えた。


「あ、あの白飯でよろしいでしょうか」

「構わない。それから飲み物もくれ。ああ酒はやめてくれよ。一応未成年なんでな」

「はい、直ちに」


 イヨは速やかに部屋を出て行った。きっと戻ってこないだろう。白飯は別の桃巫女が運んでくるに違いない。気を取り直して元大王が尋ねる。


「ところでまだ名を聞いていなかったな。娘、何という名だ」

「ボクの名か。そうだな。元の世界の名を教えてもいいが、やはり本来の名を教えるべきだろう。ボクは第六天魔王の眷属けんぞくたる黒龍と、オーディンの娘ヨルズの子孫に連なる者。名を漆黒のドラゴンマスター羅刹らせつゾフィエルという。職業は勇者だ」

「そうかユーシャか。ちょっと変わった名だな」


 元大王は前半まったく聞き取れなかったので最後だけ採用した。もっとも聞き取れていたとしても最後しか採用しなかっただろう。


「んっ、まあ勇者ユーシャでもいいぞ。これからはそう呼んでくれ。ところでボクを異世界に召喚した目的は何だ。おい、おまえが卑弥呼なんだろう」

「ヒミコじゃない。ヒメミコだ」

「似たようなもんだろ。おまえ、ボクに何を望むんだ。打倒魔王か。打倒ドラゴンか。それとも世界の平和か」

「毎日白飯を腹いっぱい食べたい!」


 ユーシャは一気に不機嫌な顔になった。からかわれていると思ったのだ。


「ああ、失礼。やはりこの幼女は卑弥呼ではないようだ。本物の卑弥呼を呼んでくれないか」

「あたしが本物のヒメミコだ」

「ああそうかい。ならこの国で一番偉い人を呼んでくれないか」

「だからあたしだって」

「くどいな。それならボクを召喚した人を呼んでくれないか」

「だからあ、あたしが箱を開けてユーシャを見つけたんだよ」

「おいおい、マジかよ」


 ユーシャが頭を抱えて身を反り返らせた。ひとつひとつの動作が芝居じみている。


「召喚された勇者はでかいクエストをクリアしないと元の世界に戻れないんだ。白飯食わせる程度のクエストじゃあ、戻れないのは明白。こんな水洗トイレもシャンプーもエアコンもスマホもない異世界で、若くてピチピチの女子高生が何カ月も何年も暮らしていけるわけがないだろう。クエストをくれ。世界を平和に導くクエストをクリアさせてくれ」

「そんなに言うならこのババがおまえを使ってやる」


 とうとうババの堪忍袋が切れてしまった。秋の刈り入れ時は寝る間も惜しいくらい忙しい。そんな時にこんなくだらないことで昨日から時間を割かれているのだ。切れて当然だ。


「おおグランマ。有難い申し入れに感謝する。で、ボクはどうすればいい。魔王を倒せばいいのか」

「そんなもの倒さんでよい。ヒメミコが言ったであろう。毎日白飯が食いたいと。米は平和の象徴。米さえあれば民は幸福になれるのじゃ。ヒメミコの望みを叶えるために打って付けのお役目をおまえに与えてやる。来い」

「いや、まだ白飯が来ていない。それを食べてからにしてくれ」

「そんなもの作業場で食え。行くぞ」


 ババはユーシャの腕をつかむと強引に寝所から連れ出した。ユーシャの抵抗する声がだんだん遠ざかっていく。やがて何も聞こえなくなった。


「面白いお姉ちゃんだったね」

「こら、他人事ではないのだぞ。そもそも事の発端はヒメミコ、そなたにあるのだ。少しは反省せぬか」

「違うよ。悪いのはシンちゃんだもん。あたしは言うこと聞いただけなんだから。じゃ、あたしも行くね。ババあ、あたしもお腹空いたあー」


 縁台をドタドタ走る音が遠ざかっていく。やがて何も聞こえなくなった。


「神使の言葉か。さりとて神は気紛れだからな。あの娘が吉と出るか凶と出るか、しばらく様子を見るとするか」


 元大王も立ち上がった。ここは大王の館、今の自分の居場所ではない。これからはあのユーシャが使うのだろう、まるで自分が大王であるかのようにふんぞり返って……そんなことを思いながら縁台を歩く元大王であった。

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