国境にある横穴の奥で見つけたもの

 秋は食欲の季節である。何を食べても美味しい。ヒメミコとイヨは切り倒された木の幹に腰掛けて栗団子を食べていた。


「ここのお団子は美味しいですね。王宮で食べるお団子とは一味違う気がします」

「採れたてだし作りたてだからだよ、新鮮なうちに食べると何でも美味しいよねえ」


 今日のお散歩場所はヒメミコが住んでいた集落だ。三人の男たちに襲われてからさほど日が経っておらずヒメミコはあまり気乗りしなかったのだが、イヨがもう一度行ってみたいと言うので再び訪れたのだ。


「ここはいい所でしょ。クナ国の奴らが来なければもっといい所になるのになあ」

「え、ええ。そうですね」


 歯切れの悪いイヨ。それもそのはず、本心は「クナ国のあの人がもう一度来てくれないかしら」と思っているからだ。


(ヤイメさま……)


「んっ、イヨちゃん、何か言った?」

「い、いえ別に。今日はちょっと暑いですね。汗をかいてしまいました」

「暑いよねえ。夏が戻ってきたみたい……あっ、そうだ」


 ヒメミコがいきなり立ち上がった。まだ栗団子を食べていたイヨは慌てて残りを口に放り込む。


「ねえイヨちゃん、いい所に連れて行ってあげるよ」

「いい所? 危険な場所ではないですよね」

「う~ん、ちょっと危ないかな。かなりクナ国に近い所だし」

「クナ国に……」


 普段のイヨならば「やめましょう」と言ったに違いない。ただのお散歩で危ない橋を渡る必要などないのだから。しかしその時のイヨは毛皮の男、ヤイメのことで頭がいっぱいだった。クナ国に近い場所なら会える確率も高くなる……当然返事は決まっている。


「近くてもヤマト国の領内なのでしょう。それなら行ってみましょうか」

「やったー、イヨちゃんも絶対気に入るよ」


 二人が歩き出すと遠くで見守っていた二人の男も歩き出した。元大王おおきみに命じられた護衛だ。目立たないように平民と同じ衣を身に着けているが、弓矢と銅剣を隠した革袋を担いでいる。敵が多勢でなければこれで十分守れるはずだ。


「ヒミちゃん、まだ遠いのですか」

「う~ん、もうちょっと」


 二人は林の中を歩いていた。藪をかき分けて進んでいるので歩みが遅い。この辺りには人目がないので警護の男たちも二人のすぐ後ろを歩いている。


「おい、あれを見ろ」


 警護の一人が前方を指差した。木の枝に大きな麻布が広げて吊るされている。その真ん中に赤い線で描かれているのは吠えるいぬの意匠。クナ国の旗だ。


「イヨ様、お待ちください。お話があります」


 男はイヨを止めて耳打ちした。旗のことを聞かされたイヨの顔がみるみる青ざめていく。


「ねえ、ヒミちゃん。ここって本当にヤマト国の領地なのですか。もしかしてクナ国に入っていませんか」

「んー、ひょっとしたらクナかも。ここらって本当に境だからクナになったりヤマトになったりしているみたい」

「戻りましょう。見つかったら大変なことになります」

「大丈夫だよ。去年は間違いなくヤマトだったんだから。それにもうすぐだよ。さあ早く」


 ヒメミコはぐんぐん歩いていく。腕をつかんで強引にでも引き返したいところだが、そんなことをすれば喚き散らして抵抗するだろう。その声を聞きつけてクナ国の者がやって来ないとも限らない。


「仕方ありません。お二方、よろしくお願いします」


 イヨもヒメミコを追って歩き出した。警護の男は革袋から弓矢と銅剣を取り出した。見つかれば一戦交えるまでだ。


「はい、ここ」


 四人が着いたのは露出した山肌にできた大きな横穴だった。日当たりが悪くてじめじめしている。ヒメミコは薄暗い穴の中へ入り込むと岩にちょこんと腰掛けた。


「この中はねえ、夏でも涼しいんだ。ほらイヨちゃんもこっちに来て座って。ねっ、涼しくて気持ちいいでしょ」

「え、ええ、そうですね」


 とは言ったものの、先ほどから冷や汗が流れっ放しで暑いのか涼しいのかよくわからない。ヒメミコはゴロリと横になった。


「ふー、気持ちいい。眠たくなっちゃう」

「こんな所で寝たら風邪をひきます。私はもう十分涼みました。そろそろ帰りませんか」

「まだ来たばかりだよ、もう少し……えっ」


 ――ピー、奥に稼働中の装置があります。一部破損。調査の必要あり。


「シンちゃん!」


 突然ヒメミコの耳に神使しんしの声が聞こえてきた。向こうから話し掛けてきたのは初めてだ。


「どうしたのですか」

「この奥に何かあるってシンちゃんが言ってる。あたし行ってみる」


 言うが早いかヒメミコは真っ暗な穴の奥へ走り出した。怖いもの知らずにも程がある。


「ヒミちゃん、待ちなさい」


 返事はない。姿も闇の中へ消えてしまった。こうなっては追うしかない。


「あなたたちはここで待っていてください。すぐ連れ戻します」

「わかりました。お気をつけください」


 警護の男たちを横穴の前に立たせてイヨも奥へ進む。数歩も行かぬうちに暗闇に包まれた。足元に何があるかもわからない。


「ヒミちゃん、どこ?」


 しばらく行くと前方に淡い光が見えてきた。薄っすらとヒメミコらしい姿も見える。どうやら行き止まりのようだ。イヨは胸を撫でおろした。どんなにヒメミコが奥へ行きたくても行き止まりならばこれ以上進みようがない。


「よかった。あまり無茶はしないでくださいね。それにしてもあの光は何かしら」


 不思議な光だ。炎とも日の光とも違う。敢えて言うなら冬の夜空に輝く青星だろうか。小さく鋭い輝点が二人の頭上に灯っている。


「うーん、どれだろう」


 先ほどからヒメミコは行き止まりの岩肌を手で探っている。


「ヒミちゃん、何をしているのですか」

「シンちゃんに言われたの。扉を開けるには窪みに耳飾りを当てなさいって。あっ、これかな」


 シンちゃんが神使の呼び名であることはイヨも知っていた。神使の言葉ならば素直に従うしかないだろう。しかしどうにも嫌な予感しかしない。神使はヒメミコに何をさせるつもりなのかイヨは不安でたまらなかった。


「開いたあー」


 二人の目の前にあった岩壁が音もなく横に動いた。これは扉だったのだ。ヒメミコが中を覗き込むと両壁に据え付けられた松明に明かりが灯った。


「わあー、まるで御社おやしろだあ」

「本当ですね」


 ヒメミコだけでなくイヨも御社の中に入ったことがある。岩壁に並ぶ松明、ひとりでに明かりが灯る仕組み、これらはヤマト国の御社とまったく同じだ。

 イヨは思い出した。かつて倭にはたくさんの御社があった。しかし長い時の流れの中で破壊され、今ではヤマト国だけにしか残されていない、そう言い伝えられている。


(この横穴は壊されてしまった御社のひとつなのかも……)


 イヨの恐怖は消えた。代わりに好奇心が頭をもたげた。


「行ってみましょう。神使もそのように言っているのでしょう」

「うん」

「ならば行くべきです」


 これは神の導きに違いなかった。もうイヨに迷いはなかった。二人は手をつないで中へ入った。

 歩くにつれて前方の松明は次々に明かりを灯し、背後の松明は次々に消えていく。これもヤマトの御社と同じだった。違うのは道が下りの階段になったことだ。かなり長い。


「ずいぶん続きますね。どこまで下るのでしょうか」

「これじゃ帰りが大変だあ。やんなっちゃう」


 いい加減に終わってくれればいいのにと思い始めてから五十段ほど下ったところで、ようやく階段は終わった。目の前はまた岩壁だ。上方に星のような輝点が光っている。


「……うん、わかった」


 神使の指示があったのだろう。ヒメミコはまた岩壁を探り始めた。先ほどと同じように窪みに耳飾りを当てると岩壁は音もなく開いた。


「これは……」


 中の光景を見てヒメミコもイヨも言葉を失った。王宮の敷地ほどもある広大な部屋は夕暮れのように薄暗い。その幽暗な空間の中に人の大きさほどもある丸みを帯びた箱が所狭しと並んでいる。箱は死者を埋葬する甕棺かめかんにそっくりだ。イヨの全身に戦慄が走った。


「ここは、まさか墓所なのでは」

「……うん、わかった」


 たじろぐイヨとは対照的にヒメミコは平気で中へ入ろうとする。慌てて引き留めるイヨ。


「ヒミちゃん、待ちなさい。あれはひつぎではないのですか。もしそうだとすればここは墓所です。永遠の眠りについた者の邪魔をすれば恐ろしい呪いが降り掛かるはず。中に入ってはいけません」

「ちょっと待って。シンちゃんに訊いてみる。ふんふん……棺じゃないって。それから箱は空だって。でもひとつだけ空じゃないのがあるからそれを開けろ、だって」


 ヒメミコは駆け出した。どれが空でない箱なのかわかっているような走り方だ。


「待って、待ちなさい」


 イヨもヒメミコを追って箱の間を駆け抜ける。よく見ると箱には様々な管や線が取り付けられていた。それらは床を這って一カ所に集められている。まるで植物の根のようだ。


(本当だ。これは棺ではない。でもそれなら何だろう)

「これだって!」


 遠くでヒメミコが手を振っている。ようやく追いついたイヨはその箱をじっくりと眺めた。何本も取り付けられた管と線は他の箱と同じだ。しかしその箱の上部では星のような輝点がいくつも点滅している。岩壁と同じ光だ。ヒメミコは耳を箱の下部に近づけている。神使の指示で窪みに耳飾りを当てているのだ。


「ピー。十分後に解除されます」

「しゃ、喋った!」


 突然箱から発せられた音声にイヨもヒメミコも腰を抜かさんばかりに驚いた。抑揚も情感もない、人の声とは思えぬ響きだ。


「十分とか解除とかって何だろう」

「わかりません。とにかく様子を見ましょう」


 二人は箱の横で待った。静まり返った異質な空間で流れていく時間はいつもの数倍長く感じられた。不安は大きかった。しかし期待のほうが遥かに大きかった。ここに来たのは神使の指示だ。神使が自分たちの災いになるような指示を出すはずがない、そう考えることで不安を払拭しようとしていた。やがてその時がやってきた。


「キャノピー、オープンします」


 箱の声が聞こえるのと同時に湯気が噴き出すような音が響いた。箱のふたがゆっくりと持ち上がる。ヒメミコとイヨは中を覗き込んだ。


「こ、これは!」

「女の子だああ!」


 中には一人の少女がいた。茶色がかった長い髪、練り絹のような白い肌、丹のように赤い唇。イヨよりも二、三才年上に見える少女が、一糸まとわぬ姿で気持ちよさそうに眠っていた。


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