お米は国の礎なのです

 稲の刈り入れが始まっていた。田植えと並んで一年で最も忙しく最も賑やかな時期だ。王宮の者たちだけでなく集落の平民たちも収穫作業に駆り出される。

 刈られた稲は天日に干され、脱穀され、籾摺りされ、殻や砂を取り除いて玄米になり、何日もかけて搗かれて白米になり、蒸され、そうしてやっとホカホカの白飯となって高坏たかつきに盛られ、ヒメミコの前に置かれるのだ。


「わあー、白いご飯だあー」


 ヒメミコは大喜びだ。これまで白飯を口にしたことは数えるほどしかない。それも一口か二口でおしまいだった。しかし今朝は違う。高坏に山盛りになった白飯を食べられるのだ。興奮するなという方が無理な注文である。


「今年最初に収穫された白米じゃ。大王おおきみが口にするまで誰一人新米を口にできぬ決まりになっておる。心して味わうのじゃぞ」

「はーい、いただきまーす」


 ババに見守らながらヒメミコは木さじで白飯をすくった。舌の上から口中に広がっていく香り、甘み、粘り、何もかも極上だ。


「う~ん、美味しい」


 大王になって良かったと初めて心の底から思えた瞬間だった。が、それは本当にその時だけで終わってしまった。翌日の朝食はいつも通り玄米だった。


「あれ、どうして今日は白飯じゃないの」

「何を寝惚けたことを言っておる。毎日食えるわけがなかろう。白飯は昨日で終わりじゃ」

「え~、だったらもっとお代わりすればよかったあー」


 と嘆いても後悔先に立たずである。実はヒメミコは少々玄米に飽きていたのだ。王宮での食事は必ず玄米が出る。副食は魚、肉、菜など多種多様だが玄米は必ず食べなければならない。


「昔が懐かしいなあ」


 集落にいた頃は玄米をそれほど食べなかった。手に入れても交換に使うだけで、日常的に食べていたのは芋や豆、麦や粟などの雑穀、ドングリや栃などの木の実だ。王宮の食事には雑穀や木の実はほとんど出て来ない。玄米のほうが美味しいのは確かだが、物心ついた時から馴染んできた味はいくつになってもなかなか忘れられないものである。


「そうだ、また集落へ行けばいいんだ」


 ヒメミコは考えた末に名案を思い付いた。自分からお使いに行けばいいのだ。前回はババの言い付けで集落へ行ったが、今度は自分の意思で集落へ行き、自分の好きなものと交換して食べる、そのような掟を作ってしまえばいいのである。そこである日、


「今日から大王は毎日お小遣いの玄米をもらって集落へ散歩に出掛けなくてはならない、という掟を作るっ!」


 と宣言した。

 反対されるかと思ったがババも元大王もあっさり認めてくれた。ただでさえ忙しい収穫の時期に何の役にも立たないヒメミコの相手などしていられないからである。王宮の外へ行ってくれるなら大助かりだ。


「ただし前回の例もあるので警護の者を二名付ける。それからイヨは必ず同伴させる。それが条件だが、いいか」

「うん、それでいい。オーキミは話がわかるから助かる」

「いや待て、それだけでは不十分じゃ。小遣いを与えたら一食抜くという条件も追加せねばな」

「えーどうして食事が減るの?」

「どうせ小遣いの玄米は食い物と交換するのじゃろう。その上いつも通りの食事をしていたら太ってしまうぞ、いいのか」

「よくない」


 ということでババの条件も飲まされてしまった。


 こうしてヒメミコは国中が米の収穫でてんやわんやしている時期に、毎日王宮の外へ散歩に出掛け、ババからもらった小遣いで好きな物を食って過ごしていた。

 同行するイヨも桃巫女に課せられた精米作業のお役目を外されたので、むしろ喜んでいるように見えた。

 警護の者は必ず二人から離れて随行していた。桃巫女と大王という身分がばれないための配慮である。


「ババ、これでは少なすぎる。もっと小遣いくれ」


 散歩を開始して数日もしないうちに値上げ交渉である。さすがのババも呆れてしまった。


「玄米の量には限りがある。これ以上小遣いを増やすなら他の食事の分を減らすぞ。いいのか」

「よくない」

「なら今の小遣いで我慢せい」


 そう言われては我慢するしかない。しかし釈然としないヒメミコである。


「ねえ、お米の量が少ないのなら、もっとたくさん作ればいいんじゃないのか」

「そうはいかん。米がたくさん出回れば米の価値が下がる。石を見なされ。そこら中にあるじゃろう。あんなもの誰も欲しがらぬ。たくさんある物は価値が低いのじゃ」

「価値が低くてもいいんじゃない。米だもん」


 ヒメミコには難し過ぎる話である。しかし大王ならば絶対に知っていなければならない話でもある。ババは例えを使って説明した。


「米の流通量が増えて米の値が下がると誰も米を使わなくなる。今は米一勺で魚の干物を手に入れられるのに、米一合が必要になってしまったらどうする。そんなに米を出すくらいならドングリの粉一合で干物を手に入れた方がお得じゃろう。米は用無しになってしまうのじゃ」

「それならお米を少なくすればいいんじゃない。そうすれば少ないお米でたくさんの干物が手に入るでしょ」

「そうなると物の値が下がる。干物一枚で米が十粒しか手に入らなかったらどうする。それなら米よりドングリの粉一合と交換した方がお得じゃろう。やっぱり米は用無しじゃ」

「う~ん、どっちもどっちだ」

「今、米をどれくらい流通させたらよいか、王宮では常にそれを見極めて玄米を民に給している。基本的には米の流通量は年々増えている。人が増えているからのう。人が増えれば獲れる魚が増え、菜が増え、雑穀が増え、物が増える。それに合わせて米も増やしている」


 ババは一息入れてヒメミコを見た。瞳がキラキラと輝いている。


(ふむ、少しは関心があるようじゃな。興味のない話をしている時は腐った魚のような目をしておるからのう。六才の幼女なりに理解はできているようじゃ)


 少しだけ嬉しくなったババである、さらに嬉しいことに、ヒメミコから新たな疑問が発せられた。


「でもさあ、お米って収穫の時期になると価値がなくなっちゃうでしょ。不便じゃない」

「いや、一年で価値がなくなるから良いのじゃ。古米になって値崩れする前に無理にでも使いきろうとするじゃろう。その動きが民の生活に活気を与えてくれるのじゃからな。価値がいつまでも変わらねば貯め込もうとする者が必ず現れる。米は天下の回りもの。使われてこそ価値がある。貯め込まれた米に価値はないのじゃ」

「それってヤマトだけ? 他の国は違うの?」

「同じじゃ。だからこそ土地と水をめぐって争いが起きる。米作りに適した土地など限られておる。日当たりが良く、湿地で、水が豊かで、水はけが良く、昼夜の寒暖差が大きい場所。そんな土地など探してもそうそうあるものではない。てっとり早く米の収穫量を増やすには田を奪い取るのが一番。よって争いが起きるのじゃ」

「ふ~ん、いろいろ大変なんだね。みんなにご苦労さまって言っといて」


 ババの拳骨がヒメミコの頭にコツリと触れた。本当は叩きたかったのだが、さすがに大王は叩けない。


「何を他人事みたいに言っておるのじゃ。米の流通量を考えるのも争いを防ぐのも全て大王のお役目、つまり本来はそなたがやらねばならぬのじゃぞ。毎日散歩になど出掛けておる暇はないのじゃ」

「そうなんだあ。でもヒメミコはまだ六才だから無理だよね。じゃあ今日の小遣いくれ」


 ババ渾身の米講釈も完全な徒労に終わってしまったようだ。空しさを感じながらババは玄米の入った麻袋を渡した。


「ほれ、今日の分じゃ」

「わーい、じゃあ行ってくるー」

「こりゃ、その装束のままで行くのではないぞ。ちゃんと着替えていくのじゃぞ」

「わかってるよー、イヨちゃーん!」


 ヒメミコはドタトタと縁台を走っていった。あと数年もすればきっと大王に相応しい娘になっているはず、それまでの辛抱じゃ……そう思わずにはいられないババであった。

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