第四話 未来から来た少女

クナ国大王ヒミヒコの企み

「そんなことがあったのか」


 ヒミヒコは腹心の配下ゴシの報告を聞いて憤懣やる方なかった。ゴシの指示でヤマト国に放たれた密偵が、女二人と猟夫にしてやられたと言うのだから当然だ。他国の領内で自国の内輪揉めを晒したとあっては、ヤマト国だけでなく他国でも物笑いの種にされているだろう。


「何もかもヤマトの巫女のせいだ。あの日輪消滅を契機にして穏健派のやつらがますます勢いづいている。忌々しい話だ」

「密偵といさかいを起こしたのはヤイメという猟夫です。見せしめのために罰しますか」

「それは愚策だ。我らから見ればヤイメは悪だが第三者から見ればヤイメは正義だ。領内に侵入した悪漢から女を助けたのだからな。ヤイメを罰すれば国内だけでなく他国からも批判を浴びよう」


 ヒミヒコは武人であるが武力一辺倒の男ではなかった。人心を掌握するために何をして何をすべきでないか、その程度のことは心得ていた。でなければ大王おおきみなど務まらない。


「賢明なご判断です。さりとて放っておくわけにもいきますまい。このままでは和平を主張する穏健派に国を乗っ取られかねません」

「わかっている。が、ここは我慢のしどころだ。あの策が首尾よく進めば穏健派もヤマトも他の国々も、振り上げていた拳を下ろして我がヒナ国にひれ伏すことになろう。それまでの辛抱だ。ふふふ」

「ふふふ、そうでした。我らには秘策がありましたな。ふふふ」

「ふっふっふっ」


 悪人面をしてほくそ笑む二人。何も知らない者が見たら互いに相手を馬鹿にしているようにしか見えないが、本当は仲が良いのだから何事も見た目で判断するのは大きな間違いである。この仲良し極悪二人組がとんでもない秘策を考え出したのは約半月前。あの出来事が切っ掛けとなった。


「なんだと、リョウが大陸へ帰っただと。それはめでたい。これでヤマトは確実に弱体化する。わははは」


 ゴシの報告を聞いたヒミヒコは大いに喜んだ。この一年半の間、ヤマト国宰相リョウにはやられっ放しだった。新大王お披露目の儀で味わわされた屈辱を思い出すと今でも歯ぎしりしたくなる。そんな目の上のタンコブ的存在だったリョウがいなくなったというのだ。痛快無比なことこの上ない。


「しかし今回の交代は早いな。魏から派遣される宰相は五年くらい倭に留まるのが普通だろう。あいつはまだ一年半だぞ。何かやらかしたのか」

「いえ、そうではないようです。気になったので色々調べてみたところ……」


 リョウが大陸へ帰った本当の理由はゴシにばれていた。これはヤマト王宮の失態によるものだ。

 これまでにない短期間の交代、しかも次の宰相もまだ着任していないので桃巫女や女官の間に動揺が広がった。それを静めるために王宮内の者たちにはリョウの真意を教えてしまったのである。

 ヒメミコの素性に関しては固く口を閉ざしていた人々も、この件に関しては王宮内のあちこちで話題にするようになった。秘密にするような事柄ではないからだ。リョウが帰ってくればヤマト国の民にも倭の国々にもヒメミコが倭王と認められたことが公表される。どうせ知られるのなら今知られても構わないだろうという安易な気持ちから、王宮に出入りする平民などにも話をしてしまい、やがて毎日のようにヤマト国を探っていたゴシの知るところとなってしまったのだ。


「し、親魏倭王の印綬と詔書だと!」


 これにはヒミヒコも腰を抜かすほど驚いた。魏がヒメミコを倭の国王と認めればクナ国は服従するしかない。ヤマト国との争いは魏との争いを意味するからだ。これでは万に一つの勝機もない。ヒミヒコはがっくりと頭を垂れた。


「どうやらクナ国の命運は決したようだな。負けるとわかっている争いに民を駆り出すことはできない。ヒメミコを倭王と認めよう。さりとてこのヒミヒコ、ヒメミコに膝を屈するなど死んでもお断りだ。潔く自害してやる。ゴシ、次の大王はおまえが適当に決めてくれ」


 無能な脳筋大王ならば「国が滅びるなら民もろとも!」などと叫んで総攻撃を掛け、その結果民を皆殺しにして自分だけどこかへ逃げ延びるものだが、ヒミヒコはその逆である。彼の数少ない取り得のひとつと言えるだろう。


「お待ちください。まだヒメミコが親魏倭王の称号を授与されたわけではないのです。失敗に終わるかもしれません」

「いや、それはない。あのリョウ自ら立案し、宰相としての役目を半ば放棄して自ら大陸に赴いたのだぞ。勝算もなしにそのようなことをする男ではない」

「ふむ、確かに……」


 ゴシは思案した。このままではクナ国は確実にヤマト国に飲み込まれる。ヒミヒコが掲げた天下布武の夢は夢のままはかなく散るしかない。文字通り、人の見る夢は儚いのだ。


「うーむ……」


 ゴシは考えた。リョウほどの聡明さはないにしてもゴシも策略には長けている。そして絶体絶命の窮地に追い詰められた時の集中力はリョウに勝るとも劣らない。さらに主君を思う気持ちはリョウを遥かに凌いでいる。その忠義心がついに名案を閃かせた。


「これだ!」

「何か思いついたか」

「我らも大陸に使者を送るのです。そしてヒミヒコ様を倭王と認めていただけるよう嘆願するのです」


 なんたる下策、ヒミヒコは落胆した。魏はヤマト国を特別視している。倭の中で唯一、古代の御社おやしろが残された国だからだ。それゆえ魏は使者を派遣し宰相として監視を続けている。ヤマト国だけに与えられた特別の待遇だ。


「ゴシ、失望したぞ。今の状態で魏がヒメミコ以外の者を倭王と認めると思うか。ヤマト領内に御社がある限り魏の態度は変わらないだろう。それを変えようと思えば我らがヤマトを占領し、古代の御社をクナのものとするしかない。だが、それはもはや不可能だ」

「早合点されては困ります。誰も魏に使者を送れとは言っていません。使者は蜀か呉に送るのです」

「蜀か呉? どういう意味だ」


 ゴシの顔に不敵な笑いが浮かんだ。この策に並々ならぬ自信を持っている証拠だ。


「大陸は一見平和に見えますが、それは魏、呉、蜀の三国が均衡を保ち牽制しあっているからに過ぎません。今もまだ戦闘状態は続いているのです。このような状況で倭が魏の陣営に加わろうとすれば、呉と蜀は魏の強大化を恐れて絶対に阻止しようとするでしょう。それを利用するのです」

「つまりヤマトが魏につくのなら、我らクナは蜀か呉につけばいい、そう言いたいのだな」

「その通りです」


 大きく頷くゴシ。ようやくヒミヒコにわかってもらえて悪人面に花が咲いている。


「して、蜀と呉、どちらにつく」

「地理的には呉がよいと思われます。蜀は内陸部にありますから倭が魏の陣営に加わってもさほどの脅威は感じないでしょう。しかし呉は海を挟んで倭と接しています。倭が魏の陣営に入れば、西に蜀、北に魏、東に倭の三方で敵に囲まれることになります。これは絶対に避けたいはずです」

「だからと言ってクナに親呉倭王の称号をくれるだろうか。呉にはこれまで一度も貢ぎ物を献上していない。呉の皇帝はクナの名すら聞いたことがないはずだ。そのような国の大王を倭王と認めるだろうか」

「そこでヤマトを引き合いに出すのです。ヤマトの大王は魏によって倭王と認められた。このままでは倭は魏の陣営に入り呉を窮地に陥れるだろう。それを避けるためには倭の中で唯一ヤマトと敵対しているクナの大王を倭王と認め、倭を呉の陣営に引き入れるしかない、と。このように説得すれば呉の皇帝も親呉倭王の印綬と詔書をクナに下賜する気になるでしょう」


 ゴシの弁舌は実に巧みだった。実現可能性の低い策にもかかわらず、聞いていると言葉通りに物事が進むような気になってくる。ヒミヒコもすっかりその気になってしまった。


「よし、その策にのろう」

「はい。ならば準備に取り掛かります」


 こうしてリョウに遅れること十日余り、クナ国の使者は国中からかき集めた大量の貢ぎ物と共に大陸の呉へ向かった。ヒミヒコとゴシは大きな期待を込めて一行を見送った。クナ国の命運は彼らにかかっているのだ。もし不首尾に終わればヒミヒコの自害が待っている。その時はゴシも後を追う覚悟だ。まさに命懸けである。


「リョウより早く戻ってくればよいのだがな。親呉倭王の印綬か。早くこの手につかみたいものだ」

「果報は寝て待てと申します。しばらく昼寝でもいたしましょうか。ふふふ」

「ふふふ」


 悪人面をしてほくそ笑む二人。何も知らない者が見たら互いに相手を見下しているようにしか見えないが、そうそうお目には掛かれないくらい二人は尊敬しあっているのだ。今日も阿吽の呼吸でほくそ笑むヒミヒコとゴシであった。

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