これがヒメミコちゃんの本当の力だあ!(その二)

 ――ヒュン!


 それはまるで一陣の風のようだった。気がつけば刀子を持った兄貴の頬に血がにじんでいた。背後の幹には矢が突き刺さっている。


「それくらいにしておけ」


 野太い声とともに木の陰から男が姿を現わした。毛皮を身に着け手に弓を持っている。


「おまえか。相変わらずいい腕だな。頬の皮一枚分だけかすっていったぞ」


 二人は知り合いのようだ。しかし仲は悪そうだ。互いに相手を睨み付けている。


「他国の領地に入り込んで何をしている。クナ国の恥晒しめ」

「ふっ、今は他国の領地でもすぐ俺たちのものになる。聞いていないのか。ヒミヒコ様は今年の米の収穫が終わったら総攻撃を仕掛けるつもりなんだぞ」

「あり得ん。倭の各国がヤマトの味方となったこの状況で、攻め込めるはずがない」

「秘策があるんだよ。とびっきりの奥の手がな」

「秘策……」


 毛皮の男は疑わしそうに兄貴を睨んだ。嘘なのか本当のなのか、表情からは読み取れない。だがよしんば本当だとしても、他国の領地で追いはぎのような行為に及ぶのは非難に値するはずだ。


「ここで議論しても仕方がない。とにかく女たちを放し奪ったものを返せ」

「嫌だと言ったら」

「今度は心の臓に矢を射込む」


 毛皮の男が弓をひきしぼった。兄貴は刀子を構える。


「気に入らねえな。おまえたち穏健派は俺たち武闘派に盾突いてばかりいる。なにが和平だ。なにが仁愛だ。国をまとめるには武に頼るしかねえんだよ。ヒミヒコ様だってそう言っているだろう。大王おおきみの意思に逆らうつもりか」

「ヒミヒコ様は間違っていらっしゃる。それを正すのも臣下の務めだ」

「その態度が気に入らねえって言ってんだよ」


 兄貴の目は殺気に満ちている。どうあってもここで一戦交えなければ退かないつもりだ。


「愚かな。刀子で弓矢に勝てると思うのか」

「一対一じゃ勝てねえだろうな。だがこっちは三人いるんだ。おい」


 掛け声とともに手下の一人がヒメミコを抱きすくめた。手には鋭く削った石刀を持っている。


「その奴婢を殺されたくなかったら弓矢を捨てろ」

「くっ、なんて卑怯な手を。それでもクナ国の戦士か」

「何とでも言え。どんな手段を使おうと勝てば正義なんだよ。ヒミヒコ様もそうおっしゃている。さあ、早く捨てろ」

「わかった」


 毛皮の男は弓矢を捨てた。あまりの潔さにイヨもヒメミコも我が目を疑った。見も知らぬ、しかも敵対しているヤマトの女を助けるために自ら武器を放棄したのだ。とても信じられなかった。ヒメミコの義侠心が一気に燃え上がった。


「放せ、放せ、おまえたち恥ずかしくないのか。正々堂々と戦え、放せえ」

「こら、おとなしくしろ」


 ヒメミコは大暴れだ。このままでは毛皮の男は確実に命を落とす。そんな光景は絶対に見たくない。なんとしても助けたいのだ。しかし手下はヒメミコの股間蹴りを警戒してしっかり足を閉じている。これでは何もできない。非力な自分にヒメミコは悲しくなった。


「うう、どうしよう、シンちゃん、シンちゃん、何とかできない?」


 ヒメミコは首飾りに向かって叫んだ。直ちに耳飾りから神使しんしの言葉が聞こえてきた。


 ――何をお望みですか、ヒメミコちゃん。

「毛皮の人を助けて欲しいの。シンちゃん、できる?」

 ――そうですね。緊急時白羽の矢発射システムが利用できます。起動させますか。

「お願い、それ使って」

 ――了解。目標ヒメミコちゃんから南東へ五メートル、発射五秒前、四、三、二、一、発射!

「覚悟はできたか、行くぜ」


 兄貴は刀子を両手で握り締めると毛皮の男目掛けて突進を開始しようとした。が、その時、


 ――シュルルル


 天空から鋭い音が聞こえてきた。兄貴も毛皮の男もその場にいる全員が空を見上げた。何かキラリと光るものがこちらに向かって飛んでくる。


「まさか!」


 兄貴がその言葉を言い終わらないうちに、足先からわずか三寸の地面に矢が突き刺さった。羽根は白く、軸の太さは普通の矢の五倍はある。


「うわー、助けてくれー」

「こら待て、逃げるな」


 稲妻の如き神速で突き刺さった矢に恐れをなして、二人の手下は逃げ去ってしまった。


「くそっ、誰が射ったのだ。ヤマトの弓兵の仕業か」


 兄貴は周囲を警戒した。矢が飛んできた以上誰かが放ったのだ。二の矢がいつ飛んでくるとも限らない。


(おかしい、ここに伏兵なんているはずがない)


 イヨは思案した。今の時期、王宮の兵士は稲泥棒を警戒してほとんどが田の見張りをしているはずだ。こんな所に人を割く余裕はない。

 だが相手が勘違いをしているのならこれを利用しない手はない。イヨは大きく深呼吸すると自信に満ちた声で言った。


「そうです。ヤマトの弓兵です。仮にも王宮の桃巫女が護衛を一人も連れずに出歩くと思っていたのですか」

「やはりそうか。おーい、弓兵。これが見えねえのか。もう一本射かけてきたらこいつの命はないぞ」


 兄貴がヒメミコの喉元に刀子を突き付けた。思い掛けない展開にイヨは全身を震わせた。


(負けちゃダメ。頑張るのよ、イヨ)


 挫けそうになる自分を励ましながら平静を装って話し続ける。


「無駄です。それは奴婢。桃巫女の命に比べれば虫けらも同然です。ヤマトの兵はそんな娘の命など何とも思わないでしょう。試しにちょっとだけ刺してごらんなさい。その瞬間、ヤマトの矢があなたの胸を貫くはず。人質に取る相手を間違えましたね」

「ならば、おまえを……」


 兄貴はヒメミコを放しイヨに向かって走り出そうとした。しかしすでにイヨの前には毛皮の男が両手を広げて立っていた。


「形勢逆転だな。悪いことは言わん。ここまでにしておけ。これ以上盾突けばヤマトの矢が確実におまえの命を奪うぞ」


 兄貴は憎々しげに毛皮の男を睨み付けた。しかし諦めるより他に道がないこともわかっていた。


「くそっ、覚えておけ!」

「待ちなさい。革袋は置いていきなさい。それを持っている限り矢はいつまでもあなたを狙い続けますよ」


 こんな時でもお役目達成を忘れないイヨである。


「ちっ、干物なんか要らねえよ」


 兄貴は捨て台詞を残して林の奥へ消えていった。イヨは気が抜けてへたへたと座り込んだ。こんな大嘘をついたのは生れて初めてだ。まだ体の震えが止まらない。だが同時に得も言われぬ爽快さも感じていた。ついに謹厳実直の殻から抜け出せた、そんな喜びがイヨの全身を駆け巡っていた。


「ケガはないか」


 縛られていた両手は毛皮の男が解いてくれた。イヨは深々とお辞儀をした。


「大丈夫です。危ない所を助けていただき感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました」

「いや、こちらこそクナ国の者が迷惑を掛けた。こんなことを言うと厚かましいと思われるかもしれないが、クナ国の中にもヤマトと力を合わせ、倭をひとつにしたいと思っている者が少なからずいるのだ。それだけは忘れないで欲しい」

「はい。それは今日のことで十分わかりました」


 イヨは自分の頬が熱くなるのを感じた。若くたくましい青年とこんなに間近で言葉を交わすのは初めてだ。


「あーあ、干物がバラバラになっちゃった」


 兄貴が捨てていった革袋をヒメミコが拾ってきた。中身はひどい有様だ。原形をとどめている物は一枚もない。


「これじゃあ二十枚あるかどうか数えるのが大変だね。ババ、許してくれるかな」

「許してくれますよ。今、起きたことをお話しすればね」

「それにしても、この矢、妙だな」


 毛皮の男は垂直に突き刺さった矢を丹念に調べている。


「射手が放ったにしては少しも斜めになっていない。まるで天から射られたように真っ直ぐ突き刺さっている。白い羽根、太い軸。そう言えばヤマトの巫女は白羽の矢で選ばれると聞いたことがあるが……」


 毛皮の男はイヨに熱い視線を注いだ。イヨは恥ずかしくなってうつむいた。


「もしや、君がヤマトの巫女なのでは」

「いいえ、違います。誓って巫女ではありません」

「そうか。ならば、奴婢と呼ばれていたこっちの童女が巫女……」

「えっへん!」


 ヒメミコは両手を腰に当ててふんぞり返っている。名をヒミと偽り、こんなみすぼらしい衣をまとっていても、わかる人にはわかるのだ。ようやく自分の価値を見抜いた人物が現れたかと内心狂喜乱舞の真っ最中である。


「こっちの童女が巫女……のはずがないか。いや失礼。考えすぎたようだ。やはりヤマトの射手が放った矢なのだろうな」

「えっー、どうしてそうなっちゃうの」


 ヒメミコは内心で地団駄を踏んだ。いっそ自分は大王だと言ってやろうと思ったが、イヨが恐い顔で睨んでいるので思い留まった。


「では俺も行く。気を付けて帰れよ」

「あ、あのお名前を教えていただけませんか。私はイヨ、ヤマト王宮の桃巫女です」

「俺はヤイメ。獣を狩って生業なりわいとしている。次に会う時は倭がひとつの国になっているといいな」


 ヤイメの声には春の日差しのような温もりがあった。林の中へ消えていく頼もしい後姿をイヨはいつまでも見守っていた。


 * * *


「そうか、そんなことがあったのか」


 その夜、ババから事の顛末を聞かされた元大王は、二人を使いに出したことを後悔せずにはいられなかった。一歩間違えればイヨとヒメミコをクナ国へ連れて行かれただけでなく、命を奪われていたかもしれないのだ。


「非は全てババにありますじゃ。行く集落を決めておくべきじゃった。まさかあんな国境くにざかいの集落へ行くとはのう。夢にも思わなんだ」

「あそこはヒメミコの生まれ育った場所、故郷のようなものだからな。危険よりも懐かしさが優先してしまったのだろう。ババもあまり自分を責めるな。結果的に二人は無事だったのだ。それでよいではないか」


 言い出したのは確かにババだ。しかし許可したのは元大王だ。ババだけに責任を負わせるのは酷である。


「それでヒメミコに何か変化はあったか」

「四度の飯を三度にしてくれと言ってきおった。食べ物の大切さが身に染みてわかったようじゃ。まあ、それくらいじゃな」

「それならば今回のことも無駄ではなかったと言うことだな。ババ、下がってよいぞ」


 ババが去った後、元大王は今聞かされた話を反芻した。特に印象付けられたのは二人を助けてくれた男、ヤイメだった。好戦的なクナ国の民でありながらヤマトとの和平を望んでいる、そのような者の存在を元大王はすっかり忘れていたのだ。


「リョウ殿、武を使わずに倭をひとつにしたいというそなたの志、わしにもようやく理解できたような気がするぞ」


 早くこのヤマトへ帰ってきて欲しい、そう願わずにはいられない元大王であった。

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