ヒメミコちゃん、絶体絶命!

 帰り道、イヨは元気がなかった。取って置きの白米を使ってしまったからだ。いつかこれを炊いてホカホカの握り飯にして食べよう、そう思いながらずっと懐にしまっていたのである。そんな大切なものを半分以上も失くしてしまったのだ。気落ちするのも無理はない。


「イヨちゃん、せっかくの白米、使わせちゃってごめんね」


 無口なイヨを見てヒメミコもなんとなく察したのだろう。普段なら自らお詫びの言葉を口にするなどあり得ないことだ。それなりに気を遣ってくれているのがわかってイヨも少し元気になった。


「謝らなくてもいいのです。無駄遣いは干物を買った後にすべきだったのに、そうしなかった私が悪いのですから」

「ねえ、白米ってどうしたらもらえるの。あたしももらえるの」

「白米はほとんどが神様へのお供えとして使われますが、新米の季節になると古くなった白米が桃巫女たちに分け与えられるのです。あの白米も数日前にいただいたものです」

「えー、あたしは巫女なのにもらってない。どうして」

「ヒミちゃんは大王おおきみだからですよ。大王が口にするのは古米ではなく新米です。ですから今年の新米が王宮に納められれば、ヒミちゃんも白米がいただけますよ」

「うわー、楽しみ!」


 ヤマト国は米本位制である。これは倭の各国も同様だ。米の栽培は王宮によって厳しく管理され、一般の平民が勝手に栽培することは許されない。稲が実り始めると米の盗難を防ぐために昼夜監視の者が田を見回り、収穫された米は一粒残らず王宮に納められる。

 王宮で働く女官や桃巫女の手当て、王宮の役務に従事した平民への手当て、また王宮で使われる物品、食料の支払いなどなどに米を当てることによって、米は国中に出回るのだ。


「それよりもヒミちゃん、今日のことでわかったでしょう。世の中は何でも自分の思い通りに動くものではないのです。お煎餅や干物を欲しいと思っても、それなりの対価を払わなくては手に入らないのですから」

「うん、わかった」

「ですから王宮でもあまりわがままを言わないでください。そのわがままを叶えるために多くの人が大変な目に遭っているのですから」

「そっかー、みんな今日のイヨちゃんみたいに、あたしの知らないところで自分の白米を使ってくれていたんだね。うん、わかった」

「わ、わかってくれましたか!」


 イヨは感激のあまり涙を流しそうになった。そう、ヒメミコは元々素直で聞き分けの良い娘なのだ。ただ大王という地位が周囲の者を委縮させ、幼少期の正しいしつけを受けられないがために、わがまま幼女になってしまったにすぎないのだ。


「これからはお腹いっぱい食べずに腹八分目にする。最近ちょっと太り気味なんだ」


 本当にわかってくれたのか若干不安になるイヨではあるが、とにかく良い方へ向かっているのは確かなようだ。


「おい、そこの二人、止まれ」


 いきなり三人の男が現れ道を塞いだ。まだ十代のようだがそれでもイヨよりは年上だ。


「な、何ですか、あなたたちは」

「何ですかじゃねえよ。おまえらヤマトの者だろ。ここはクナ国の領地だぜ。通して欲しいのなら通行料をよこしな」


 イヨはドキリとした。ここは林の中、四方の景色はほとんど同じ。まさか道に迷った? ヒミが暮らしていた集落はヤマト国とクナ国の境にある。頻繁にクナ国から襲撃を受けるのはその為だ。道を少しでも間違えればクナ国に入り込んでしまってもおかしくない……そんなイヨの迷いはヒメミコの一言が吹き飛ばしてしまった。


「違う。ここはヤマトだ。あたし何度も通ったことがあるから知ってるもん」


 そうだ、ヒメミコは地元の幼女。間違えるはずがない。自信を得たイヨは強気に出る。


「嘘を言わないでください。ここはヤマトの領地です。あなたたちこそ通行料を払いなさい」

「うるせえな。領地なんて毎日変わるんだよ。昨日はヤマトでも今日はクナなんだ。つべこべ言わずにそれをよこしな」

「そうだそうだ、兄貴に逆らわないほうがいいぜ」


 手下の男二人が囃し立てる。兄貴はイヨの革袋をつかむと力任せに引っ張った。抵抗したが男の力には敵わない。呆気なく奪われてしまった。


「返してください」

「ちっ、魚の干物か。しけてるな。おい、他に何か持ってないのか」

「別に、何も……」


 そう言いながらイヨは幅広の帯を押さえている。嘘のつけない謹厳実直な性格が災いしてしまった。


「そうか、そこに隠しているのか。おい、誰かその女を押さえとけ」


 手下の一人が背後からイヨを羽交い絞めにした。敵わないとわかってもいても必死に抵抗するイヨ。


「やめなさい。手を放しなさい」

「どれどれ、何を隠しているんだ」


 兄貴の手が帯の内側に潜り込む。まさぐりながらしばらく何かを探している様子だったが、ほどなく二つの袋をつかんで引き抜いた。


「へえ、絹の袋か。平民にしちゃ洒落たもん持ってるじゃないか」

「兄貴、何が入ってるんですか」

「まあ、そう急かすな。こっちは感触からすると玄米だが……おっと白米か。しかし少ないな。古米だし、たいした値はつかねえだろ。で、こっちは……おいおい何てこった、餅だぞ!」

「餅!」

「えー、お餅!」


 手下二人とヒミが同時に叫んだ。無理もない。玄米を搗けば平民でも得られる白米と違って、王宮に納められたモチ米は全て餅に加工される。モチ米を使った取引は行われていないのだ。さらにモチ米の産出量は極めて少ないので餅自体もほとんど出回らない。白米の十倍の値がつくこともある。


「こりゃとんだ拾い物だ。見たことはあるが食ったことはないからな。うりゃ」


 兄貴はいきなりかぶりついた。しかし硬くて歯が立たない。


「うへ~、なんだよ、この硬さ。まるで石だ」

「兄貴、岩で割りましょう。そんで俺たちにも分けてください」

「ヒミも食べたい!」


 当然だがヒメミコも餅を食べたことはない。そして当然だがこの要求は無視された。男たちは岩で餅を叩き割り破片を口に入れた。


「うは~、このふやけていく感じがたまらねえな」

「兄貴、これならいつまでもしゃぶっていられますね」

「あなたたち、これで気が済んだでしょう。その革袋を返してください」


 とんだ邪魔者が入ったが、とにかく干物二十枚をババに届ければお役目達成である。イヨはまだ自分の使命を放棄していないのだ。


「返してくれと言われて返すわけがないだろう。干物はクナへ帰ってからゆっくり食ってやるよ。それよりもおまえ、そんな格好をしているが平民じゃないだろう。日に焼けていない白い肌、絹の袋、白米、餅……ひょっとしてヤマト王宮の桃巫女じゃないのか」

「私は、別に……」


 口籠るイヨ。嘘のつけない謹厳実直な性格がまたも災いしてしまった。


「やっぱりな。おい、この女を捕まえろ。クナへ連れて行こうぜ。ヤマトの桃巫女をヒミヒコ様に差し出せば、ご褒美をたんまりもらえるはずだ」


 二人の手下がイヨに襲い掛かった。もはやお役目達成どころの騒ぎではない。両手を紐で縛られるイヨを見てヒメミコが叫ぶ。


「イヨちゃん、イヨちゃん!」

「ヒミちゃん、逃げなさい。集落に戻って人を呼んでくるのです。早く」

「やだ。イヨちゃんを放っておけない。あたしが助ける!」


 ヒメミコはイヨを押さえている二人の手下につかみかかろうとした。が、あっさり兄貴に捕まってしまった。


「生意気なやつだな。仕方ない、こいつもついでに連れていくか。どうせ王宮の奴婢ヌヒだろう。クナでもこき使ってやる」

「ヌヒじゃないもん。あたしはオーキミ……」

「ヒミちゃん、黙って!」


 慌てて言葉を制すイヨ。ここでヒメミコがヤマトの大王だと知られたら大変なことになる。ヒミもすぐに口を閉じた。


「おーきみ? 何言ってんだこいつ」

「何でもありません。それよりも連れて行くのは私だけにしてその子は放してください」

「やだ。イヨちゃんを置いて一人で帰るなんてできない」

「ヒミちゃん、わがままは言わないってさっき約束したでしょう。白米も餅を失くした私はもうヒミちゃんを助けられません。あなた一人で帰るのです」

「やだやだ。イヨちゃんと一緒にいる」


 男たちの存在を完全に無視して叫び合う二人。兄貴は呆れ顔だ。


「おいおい、いつの間にこいつを放してやるって話になってんだよ。おまえたち二人ともヒナに行くんだよ」

「うるさい。あたしとイヨちゃんを放せ。おまえなんかこうしてやる」


 ヒメミコは両手をつかまれたまま兄貴の股間を思いっ切り蹴り上げた。昔、集落のおじさんから『悪いやからに捕まったら股間を蹴とばして逃げるんだよ』と教わっていたのだ。


「ふぎゃあ!」


 むりやり山椒を舐めさせられた猫のような叫び声を上げながら兄貴は膝から崩れ落ちた。両手で股間を押さえている。


「どうだあ、思い知ったかあ」

「こいつ、下手に出ていればいい気になりやがって。もう許せねえ」


 兄貴が腰から何かを取り出した。刀子とうすだ。


「大陸からの下賜品だ。鉄製だから切れ味抜群だぜ。これでおまえの喉をかき切ってやる」

「やめて。私はクナ国へ行きます。だからその子には手を出さないで!」


 イヨの悲鳴に近い叫び声が聞こえる。兄貴の持つ刀子が陽光を反射してギラリと光る。その光に射抜かれたかのように、ヒメミコは声を出すこともできず立ちすくんでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る