初めてのおつかい

 遠くに集落が見えてきた。昔ヒメミコが住んでいた集落だ。


「ヒミ様、ではなくてヒミちゃん、あそこですね」

「そうだよイヨちゃん。やっと着いたあ」


 ヒメミコとイヨは仲良く手をつないで歩いていた。擦り切れた麻の衣を身に着け幅広の帯を腹に巻いた二人は、どこからどう見ても桃巫女と大王おおきみには見えない。ありふれた普通の平民だ。


「ねえ、お腹空いた」

「おつかいが済んだら余ったお米で何か買って食べましょう。それまで辛抱してください、ヒミ様、ではなくてヒミちゃん」

「イヨちゃん、さっきから言い間違えてばかりだあ。あたしじゃなくてイヨちゃんのせいで正体がばれちゃったら、ババにすっごく叱られちゃうぞ」

「だ、大丈夫です。もう慣れましたから。安心してくださいヒミ様、ではなくてヒミちゃん」

「あ、また間違えたあ。きゃははは」


 桃巫女の中では群を抜いて優秀なイヨではあったが、騙す、欺く、猿芝居をするといった今回のようなお役目はため息が出るほど苦手だった。根が正直すぎるのだ。これまで様付けで呼んでいたヒメミコをちゃん付けで呼ぼうとすると、イヨの根底にある謹厳実直生真面目精神が拒否反応を起こしてしまうのである。


(いけないいけない、しっかりしなくちゃ。イヨはできる子、賢い子。よし、これでもう言い間違えたりしないはず)


 自己暗示は桃巫女イヨの十八番である。そうこうしているうちに二人は集落へ到着した。


「うわ~、懐かしい」


 ヒメミコは大喜びだ。ここを去ってまだ一年も経っていないが、季節は春から秋へ移り集落の様子もずいぶん変わっている。


「おや、ヒミじゃないか。久しぶりだねえ」

「あ、おばちゃん、こんにちは」


 声を掛けてきたのは空き家になったヒミの家の隣に住んでいる婦人だ。小さい時から家族ぐるみで親しく付き合っていた。


「王宮では何をしているんだい。元気にやっているかい」

「元気だよ。毎日一人ずつ謁見したり、祭壇で祈祷したり、シンちゃんとお話ししたり……」

「ヒミちゃん、黙って!」

「むぐっ」


 慌ててヒメミコの口を手で塞ぐイヨ。集落に着いた早々、考えなしで能天気なヒメミコの軽口が全開だ。婦人は首を傾げた。


「えっ、謁見とか祈祷とか何を言っているんだい。それって大王や巫女のお役目じゃ……」

「違います。言い間違いです。毎日朝の挨拶をして、食事の前に感謝のお祈りをして、って言おうとしたのです」

「ああ、そうかい。挨拶もお祈りも大切だからね。これからもちゃんと続けるんだよ」


 婦人は納得すると集落の外れへ歩いて行った。やれやれという顔で額の汗を拭うイヨ。


「イヨちゃん、いきなり口を塞がないで。びっくりしちゃった」

「それはこちらの台詞です。あんなことを言ったら正体がバレバレではないですか」

「あっ、そうか。てへ! それにしてもお腹が空いたな」


 まるで反省していない。これでは先が思いやられる。自分を待ちかまえている前途多難な運命を前にしてイヨはめまいがしそうだった。


「おう、ヒミじゃないか」

「あ、おじちゃん、こんにちは」


 次に話し掛けてきたのは空き家になったヒミの南に住んでいる猟夫だ。小さい時から家族ぐるみで親しく付き合っていた。


「どうしてここにいるんだ。ははーん、さては王宮を追い出されたな。まあ、おまえみたいなお転婆じゃ当然だな、ははは」

「違う。お役目で来たの。ところでおじさん、それ美味しそうだね。ドングリ?」


 ヒメミコの視線は猟夫の腰に釘付けになっている。そこには紐で束ねられたドングリ煎餅が結わえ付けられていた。


「そうだ。焼きたてだ」

「食べたい。ちょうだい」

「ヒ、ヒミちゃん! はしたない真似はやめてください」


 イヨは思い出した。最近ヒメミコは昼にも食事をするのだ。もう昼を過ぎているが今日はまだ食べていない。早く食べ物を手に入れなければ何を言い出すか知れたものではない。


「ははは。相変わらず食い意地が張っているな。まあ昔のおまえなら一枚ぐらいくれてやったろうが、今のおまえではそうはいかん」

「どうして。あたしは昔も今も何も変わってないぞ」

「王宮で働いているんだろう。それなら働きに応じた手当てをもらっているはずだ。何かを手に入れるにはそれなりの対価を支払う必要がある。おまえはそれを学んだんだ。ならば、もうおまえには見返りなしに物はやれない。煎餅が欲しいのならその対価を払え」

「変だな。手当てなんてもらった覚えは……」

「ヒミちゃん、黙って!」

「むぐっ」


 イヨは慌ててヒメミコの口を塞ぎ、肩に掛けた大きな革袋から麻袋を取り出した。


「払います。玄米で払います。一枚いくらになりますか」

「おっ、さすがは王宮の下働き。玄米とは気が利くじゃないか。そうだな、煎餅一枚で玄米一しゃくってところかな」

「えっ、高くありませんか。そんな小さな、しかもドングリなのに」

「高くて当たり前だ。今は新米の季節なんだからな。それは去年の古米だろ。新米が出回れば値は大きく崩れる。そのまま食った方がまだマシってもんだ。一勺が不満ならこっちもお断りだ」

「わかりました。では一枚……」

「三枚ちょうだい!」


 言うが早いかヒメミコは猟夫の腰に手を伸ばし、三枚のドングリ煎餅を引きちぎった。こうなっては払うしかない。木製の一勺枡を取り出して麻袋の玄米を注ぐ。


「ここに入れてくれ」


 猟夫の差し出した革袋に玄米一勺を三回入れて取引は無事終了した。


「ありがとよ。ヒミ、元気でな」


 猟夫は上機嫌で出口のほうへ歩いて行った。イヨはため息をついた。


「やれやれ、とんだ無駄遣いをしてしまいました。三枚なんて食べすぎ……」

「はい、これはイヨちゃんの分。食べて」


 ヒメミコはイヨを見上げながらドングリ煎餅を高く掲げている。ヒメミコなりにイヨのことも考えていたのだ。


(自分のことしか眼中にない子だと思っていたのに、思い遣りの気持ちもちょっとは備わっているのね)


 イヨは少しだけ嬉しくなった。


「ありがとう。でも二枚でも食べすぎですよ。今度は一枚だけにしてくださいね」

「はーい」


 腹が膨れたのでヒメミコは何も言わなくなった。やがて二人は集落の中央に着いた。ここでは食べ物だけでなくさまざまな物品が取引されている。


「ババ様には魚の干物二十枚を手に入れるように言われています。さて、お魚は……ああ、あそこですね」


 目当ての品はすぐ見つかった。イヨは玄米袋と一勺枡をヒメミコに渡した。


「ババ様の言い付けです。ここからはヒメミコ様がやってください。ドングリ煎餅と同じ要領でやればうまくいくと思います」

「うん、やる」


 ヒメミコは並んだ干物の前に立ち自信たっぷりに言った。


「干物を三十枚ください!」

「違います!」


 イヨは大声を上げると慌てて駆け寄った。干物屋の親爺は何事かと目を丸くしている。


「ヒミちゃん、言ったでしょう。二十枚です。どうして十枚も増やすのですか」

「ああ、それはイヨちゃんの分だよ。食べてね」


 思い遣りの気持ちがとんでもない方向に発動してしまったようだ。先ほど少しだけ嬉しくなった自分をイヨは後悔した。


「この干物は全てババ様に渡すのです。私もヒミちゃんも関係ないのです。ですから二十枚だけでいいのです」

「なーんだ。それなら二十枚ちょうだい」

「そう、それでいいのです。おじさん、お願いします」


 丸くなっていた干物屋の親爺の目が元に戻った。愛想よい笑顔でヒメミコに尋ねる。


「はいよ。何と取り換える?」

「玄米!」

「玄米か。今は値が下がっているからねえ。干物二十枚なら玄米三合ってところかな」

「三合……」


 イヨの表情が硬くなった。心なしか視線が宙を彷徨っている。


「どうしたのイヨちゃん」

「困りました。玄米は三合しかもらっていないのです」

「三合ならピッタリだ。よかったね」

「よくありません。忘れたのですか。さっきドングリ煎餅で三勺使ってしまったでしょう」

「あっ、忘れてたー」


 とぼけているのではなく本当に忘れていたようだ。イヨは焦った。王宮に入って以来こんな失態は初めてだった。今更ながらにヒメミコの手強さが身に染みてわかったような気がした。


「ねえねえ、おじさん。少し安くならない」


 いきなりヒメミコが交渉を始めた。自尊心の高いイヨには決してできぬ芸当だ。


「三合でも精一杯なんだよ。新米の季節だからねえ。わしらも使いきれなかった玄米を毎日食べているくらいなんだ」

「そっかー。じゃあ十八枚でいいや」

「駄目です。それではお役目を果たせたとは言えません」


 干物二十枚をババに届ける、これは絶対に譲れないのだ。十八枚などという半端な数で妥協するくらいなら手ぶらで帰った方がマシ、イヨはそれくらいに思い詰めていた。


「ならどうするね」

「……仕方ありません」


 イヨは腹に巻いた幅広の帯に手を差し入れた。取り出したのは絹袋だ。


「白米で払います。玄米三勺分はいくらになりますか」

「は、白米だって!」


 驚く親爺、無理もない。精米は大変な労力を必要とするので白米は滅多に出回らない。その価値は玄米の五倍。ただしこれは収穫直後の値である。白米は玄米に比べて劣化が激しいので値崩れも大きくなるのだ。


「わあー白いお米だ。祭壇でしか見たことがないよ」


 大王のヒメミコでさえ普段口にするのは玄米である。王宮では専ら神への供物として白米を使っている。


「白米と言ってもこの時期だし、まあ玄米の三倍の値ってところかな」

「ならば一勺ですね。どうぞ受け取ってください」


 イヨは一勺升で白米を量り、玄米袋と一緒に親爺へ渡した。


「うん、確かに受け取った。じゃあ干物二十枚、好きなのを持って行ってくれ」

「おじさん、ありがとー」


 選んだ干物二十枚を革袋に入れ集落の出口を目指す二人。これを王宮まで持ち帰ればお役目終了だ。

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