第三話 奔放女王ヒメミコちゃん
リョウの旅立ち
寝所に朝日が差し始めた。そろそろ起きようか、いやもう少し寝ていようとぼんやりした頭で考えていた元
「オーキミー、起きたかあー」
ヒメミコだ。几帳をはね上げて中へ入り込むと、仰向けに寝ている元大王の腹の上へまたがって飛び乗った。
「ぐふっ!」
「おお、起きてるな。おはよー」
荒っぽいヒメミコの挨拶ではあるが毎朝のことなのですっかり慣れてしまった。元大王が半身を起こしてもヒメミコは退こうとしない。腹から膝の上に移行するだけだ。膝にヒメミコをのせたまま元大王も挨拶をする。
「おはようヒメミコ。今日も早いな。ところでそのオーキミはそろそろやめにせぬか。わしはもう大王ではない。大王はそなたであろう」
「ヤダ。この呼び方気に入ってるから。それにオーキミはオーキミ以外にあり得ないよ」
「そうか。ならば好きにするがよい」
幼女と言ってもヒメミコは大王。ヤマト国で最も偉い人物である。その意思は最大限に尊重しなくてはならない。
「今日も一日ガンバロー! はい、朝の謁見はこれで終わり。次はババだあ」
ヒメミコは膝から下りると几帳をはね上げて出ていった。ドタドタが遠ざかっていく。これも毎朝のことなので行儀の悪さを諫める気持ちもすっかり薄れてしまった。
「やりたい放題だな。さりとてあのような童女を大王にしてしまったのは我らだ。ヒメミコを責めるのはお門違いというのもだ」
大王は几帳を上げて東の空を見上げた。朝焼けに染まっている。リョウがいなくなって早半月。その寂しさもようやく薄らぎつつある。
「大陸に生まれ育ったそなたがどうしてこれほどまでにヤマトを、倭を思ってくれるのだ、リョウ殿」
この館で最後に話し合ったリョウの姿が今も鮮やかに思い出される。温和でありながら決して信念を曲げぬ剛直なリョウの姿が……
* * *
倭の大王たちを招いて盛大に行われた新大王お披露目の儀。その日の夜、リョウからヤマトを去る話を聞かされ元大王は心中穏やかではいられなかった。
「そこまで申すのなら止めはせぬ。しかし理由を聞かせてくれ。なぜ倭を去り大陸に戻るのだ。次の宰相はいつ来るのだ」
リョウは大陸から遣わされた宰相。宰相は数年おきに交代する。だからリョウもいつかは大陸へ帰らねばならない。それは元大王も理解している。
しかしこれまでは次の宰相がヤマトへ来てから交代するのが常だった。大陸からの派遣もなく、しかも一年半も経たずに交代するなど前代未聞だ。
「次の宰相は来ません。私は宰相の身分のまま倭を去り大陸へ戻るのです」
「宰相の役目を放棄すると言うのか。そんなことをすれば、そなたに任を与えた大陸の皇帝とてお許しにはなるまい」
「これも宰相としてのお役目なのです。女王
ここまで話を重ねても元大王には理由が飲み込めなかった。わざと話をはぐらかそうとしているのではないか、そんな疑念さえ湧き起こってくる。元大王の気持ちはリョウもわかっているのだろう、わずかに憐れみを含んだ口調で話し始めた。
「すっかりお忘れになってしまったようですね。以前、私にこう聞かれました。始皇帝が秦を作ったように倭をひとつにするにはどうすればよいかと。私は答えました。始皇帝足りうる人物を見つければよいと」
「忘れてはおらぬ。それにもう見つかっておる。ヒメミコだ。多くの大王が忠誠を誓ってくれたではないか」
「それは全ての大王ではありません。
リョウにしては下らぬ策だと元大王は思った。倭のほとんどの大王がヤマトに付いている現状を鑑みれば、クナ国が屈服するのは時間の問題だ。大陸に行く必要はない。
「孤立したクナ国などもはや敵ではない。各国の大王たちと力を合わせて攻め込めば
「何事かを為すのに武を用いるのは下策中の下策です。お忘れですか、私はこう言いました。
「忘れてはおらん。だがヒミヒコにそれは通じぬ。日輪が本当に消えた時、わしはヒメミコの力に恐怖さえ抱いた。長ずれば間違いなく倭の女王として君臨するだろう、そう思った。それは他の大王も同じだったはずだ。だがヒミヒコは違った。あれだけの奇跡を目の当たりにしてもあやつの心は変えられなかった。もはや武を用いる他に打つ手はなかろう」
「それは
「……そうか、そういうことか」
ようやく元大王にはリョウの真意が見えてきた。日輪を消すという奇跡を起こし卓越した巫女力を見せたことで、各国の大王たちからは絶大な信頼を得ることができた。あのヒミヒコですら本物の巫女ではないかと疑い始めているくらいなのだ。圧倒的信望は間違いなく備わった。だがもう一つの資質である絶対的権威がヒメミコにはない。そもそも平民出の六才の幼女に権威などあろうはずがない。
「ヒメミコに足りぬのは絶対的権威か。どのようにしてそれを持たせるつもりだ」
「魏の力を借ります。これまで魏の皇帝は倭の各国に対し、国としての王の地位だけを認めてきました。
「おお!」
元大王は完全に理解した。やはりリョウは比類なき宰相だった。倭の平和と民の幸福を誰よりも願っている博愛の人であった。
「魏の後ろ盾があれば
「うむ、リョウ殿らしい見事な策だ。だが皇帝は希望通りヒメミコを倭の王として認めてくれるだろうか。さすがに皇帝に対しては巫女であることを理由に素性を隠し通すわけにはいくまい。正直に平民出の六才の童女であると教えれば、貢ぎ物を普段の倍送ったとしても難しいのではないか」
「ですから私が行くのです。並の使者なら説得できぬ相手でも私ならできるかもしれません」
「リョウ殿……」
元大王は感激のあまり感謝の言葉すら口にできなかった。共に過ごしたのはわずか一年半足らず。その他には何の縁もないこの土地と民のためにここまで心を砕いてくれるのだ。並々ならぬリョウの心遣いに元大王はただ頭を下げるしかなかった。
「感極まるのは私が戻ってからにしてください。魏の皇帝が認めてくれるとはまだ決まっていないのですから」
「いや、リョウ殿がひとたび口にすればそれは必ず現実となった。今回も首尾よく事が進むとわしは信じておる」
「ありがとうございます。必ずや
それから数日後、リョウはたくさんの貢ぎ物と大勢の供を連れて大陸へ旅立った。
最初は誰もがひどく落胆した。だが半月も経たないうちにリョウのいない生活にも徐々に馴染んできた。結局元大王が宰相を務め、ババを相談役として二人で合議してまつりごとを行っている。イヨは相変わらずヒメミコの世話係だ。
「どれ、そろそろ起きるとするか」
元大王は西の縁台に出た。朝焼けに照らされた東の空に比べれば西の空はまだ暗い。しかしいつかそこにも必ず明るさはやって来るのだ。
「リョウ、そなたが帰還する日を楽しみにして待っているぞ」
あの空の下にはリョウがいる。今頃は大勢の供を引き連れて魏の都洛陽へ向かっているだろう。青みを帯び始めた西の空を元大王はしばらく見つめ続けていた。
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