これがヒメミコちゃんの本当の力だあ!

 王宮において普段祈祷が行われるのは祈祷神楽殿である。しかし今回は日輪に直接祈願するため王宮館前広場に祭壇を設けた。

 曇り空の下、集まった数十人の大王オオキミたちに見守られながら、ババは一心にさかきを振り、祝詞のりとを捧げている。


「おいおい、祈祷は巫女の役目だろう。どうしてそんな年増にやらせるんだ。ヒメミコを見せろ」


 酒が入ったことでヒミヒコの憎まれ口はますます饒舌になっている。


姫巫女ヒメミコは幕の中で祈祷しています。ババはそれを手助けしているにすぎません」

「手助けしてもらわねば祈祷も満足にできないのか。情けない巫女だ。ああ、わかったぞ。日輪が消えなかった時の言い訳づくりだな。幕の中で祈祷したから日輪様に声が届きませんでした、とでも言うつもりなんだろう、ははは。そうだ、いい言い訳を考えてやったぞ。雲の向こうでは確かに日輪は消えていました、見えなかっただけです、ってのはどうだ。それなら騙される大王もいるかもしれんぞ。今日が曇天でよかったな。ははは」


 他の大王たちはヒミヒコの悪態に眉をひそめつつも内心は半信半疑だった。このまま日輪が消えなければどうするのか。大口を叩いた宰相のリョウや新大王のヒメミコはどう弁解するつもりなのか、そんな心配で頭がいっぱいだった。


「さっぱり消える気配がないぞ。おい、そこのババ、もう祈祷なんかやめろ。どうせ消えないんだ」

「いいえ、消えます。感じませんか。その時はすでに来つつあるのです」


 リョウは空を見上げている。ヒミヒコも空を仰いだ。一面の曇り空だ。日輪の位置さえわからぬほど厚い雲が空を覆っている。


「な、なんだ、この風は」


 妙に肌寒い風が吹いてきた。何かの前触れを告げるように祭壇の榊を揺らしている。何かが起きようとしている、何かが始まろうとしている、誰もがそんな予感に心を震わせ始めた時、それは始まった。


「おおおー!」


 広場はどよめきに包まれた。王宮は一瞬で暗闇に覆い尽くされた。誰かに背後からいきなり目隠しをされたような、それほど思いがけない闇だった。


「消えた、日輪が消えた!」

「巫女の力は本物だったのだ!」


 どよめきはざわめきに変わった。大王たちの脈絡のない言葉が飛び交う。まるで声を出すことで恐怖から逃れようとしているかのようだ。


「馬鹿な、あり得ない。どうしてこんなことが……」


 暗闇の中でヒミヒコは混乱していた。信じたくはなかった。認めたくはなかった。しかしこれは現実だ。あまりにも神懸かり的な現象を突き付けられ、彼の信念は大きく揺らぎ始めていた。


「嘘ではなかったのか、新しい大王は、ヒメミコは、本物の巫女だったと言うのか」

「ヒミヒコ様! しっかりなさいませ」


 ずっと付き従っていたゴシが叱責の声をあげた。


「これしきのことで弱気になってどうするのです。確かに日輪は消えました。しかしそれが巫女の力によって起こされたという証拠はありません」

「はっ、そうか。礼を言うぞゴシ。このヒミヒコ、まだ負けてはおらぬ」

「そう、それでこそクナ国大王、ヒミヒコ様です」


 はたから見ればゴシは国を滅亡へ導く奸臣かんしんだが、ヒミヒコから見れば非の打ち所がない忠臣である。この二人が出会ってしまったことはクナ国にとって最大の不幸と言えるだろう。


「おお、光が戻ってきたぞ」


 闇の時は長くは続かなかった。ほどなく地上には元の明るさが戻ってきた。

 ババは祈祷をやめた。リョウは祭壇の前に立ち、大王たちに問う。


「日輪を消してごらんにいれました。これで信じていただけましたか」

「いいや、まだ信じられぬ」


 最初に口を開いたのはヒミヒコだ。先ほど泣かんばかりに怯えていたのが嘘のように今は不敵な面構えをしている。


「日輪が消えたのは認める。だが、それは本当に巫女の力によるものなのか。日輪が勝手に消えただけではないのか。知っているぞ。月輪も何年かに一度、欠けたり消えたりする。皆も見たことがあろう。それと同じことが日輪に起きた。それだけのことではないのか」

「いや、たとえそうだとしてもだ、ヒミヒコ殿」


 思い掛けない人物が口を挟んできた。イト国の大王である。


「巫女は今日、日輪が消えることを知っていた、これは疑いようのない事実だ。日輪が完全に消えるなど数百年に一度あるかないかというほどの稀有な出来事。それを正確に言い当てたのだぞ。もはや人智を超えている。この事実だけでも本物の巫女と認めるに十分ではないか」

「うっ、ぐぐ……」


 ヒミヒコは言い返せなかった。ゴシも同様だ。イト国の大王はリョウに頭を下げた。


「我がイト国は倭を統べる女王としてヒメミコ様を戴くことに賛同する。リョウ殿、倭の平和のために力を尽くそうぞ」

「おお、わしもだ」

「我が国もだ」


 大王たちはリョウを取り囲んだ。何もかもリョウの目論見通りだった。ただ一人の例外を除いては。


「認めぬ。倭の女王などクナ国は絶対に認めぬからな。ゴシ、帰るぞ」


 連れ立って王宮を出て行く二人。これだけの奇跡を突き付けてもなおヒミヒコの気持ちを変えることはできなかったのだ。


「リョウ殿、気を落とすことはない。人の心は頑ななものだ」

「お気になさらないでください、これも想定内ですから。さあ、それよりも館に戻って固めの杯を交わしましょう。今日は倭の女王が誕生した記念日なのですから」


 それからはにぎやかな酒宴が始まった。リョウも元大王もこれまでの憂さを晴らすべく大いに飲んだ。一方、そんな大王たちを尻目にヒメミコだけは人目に付かぬ場所でイヨと二人でいつもの食事をしていた。


「つまんない。今日の主役はあたしなのにどうして一緒に騒げないの。つまんない、つまんない」


 常に皆から隠され遠ざけられたヒメミコだけは不満が募る一日となってしまった。


 その夜、元大王は新しく建てられた館で星空を見ていた。今日は新月。普段より星の光が鮮やかに見える。


「入ってもよろしいですか」

「構わぬ。こんな夜更けに珍しいな」


 几帳を上げて入ってきたのはリョウだ。少し疲れているように見える。まだ酒が残っているのかもしれない。


「新しい館の住み心地は如何ですか」

「申し分ない。前の寝所は広すぎたからな」


 元大王が退位にするに当たって隠居のための館が新たに建てられた。昨日ようやく完成し、今日からここで寝起きすることとなったのである。


「今日の一件で日御彦ヒミヒコもしばらくはおとなしくなるでしょう。半信半疑ながら巫女を本物と思っているようですから」

「そのことだがな、リョウ殿」


 元大王は居住いを正して尋ねた。


「そなた、何もかも知っていたのではないか。ずっと以前から、大陸にいる時から、日輪が今日消えることを知っていたのではないか」

「はい。知っておりました」


 隠し立てしようともせずリョウは答える。


「大陸の星読みたちは非常に優れた業を持っております。長年の観測を積み重ね日輪が消える日をかなり正確に予測できるのです。私が一年近く巫女を探そうとしなかったのは、日輪の消えるこの日にお披露目の儀を開くためです。結果として皆を欺くような形になりましたこと、深くお詫び申し上げます」


 元大王の思った通りだった。同時にリョウの用意周到さに感嘆せずにはいられなかった。彼こそまことの巫女なのではないか、そんな考えさえ浮かんでくる。


「詫びる必要はない。全ては首尾よく進んだのだからな。これでわしも楽ができる。リョウ殿に任せておけばヤマトの国は安泰だ」

「そのことですが……」


 リョウは言い淀んだ。土で作った瓶の中では松の根株がチリチリと音をたてて燃えている。その仄かな光がリョウの顔を闇の中に浮かび上がらせた。いったい何を言うつもりなのか、元大王は不安に駆られながら言葉を待った。


「私はヤマトを去ります」

「な、なんと申した」


 訊き返さずにはいられなかった。どうあっても受け入れ難い言葉だった。


「この国を去ろうと思っております。宰相不在となってしまい、まことに心苦しいのですが、何卒お許しください」


 考え直せ、とは言えなかった。リョウは一度口に出したら必ず実行する。これはすでに決定事項、何を言っても無駄である。ならば受け入れるしかない。


「ヤマトを出てどこへ行く。他の国へ行こうとでも言うのか。まさかイト国……」


 酒宴の席でイト国の大王が「このような宰相が我が国にもおれば」とリョウを誉めそやしていた。イト国の大王は人徳に恵まれ多くの大王から慕われている。リョウが魅かれるのも無理はない。


「いえ、向かう先は伊都イト国ではありません」

「ならばどこへ」

「大陸です。故郷へ戻ろうと思っております」


 土瓶の熛火ほへが暗くなった。松の根株がほとんど燃えてしまったのだろう。一段と暗くなった寝所の中で、リョウと元大王は黙ったまま互いの腹を探るように見つめ合っていた。

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