ネズミ退治は銅鏡で


 大王おおきみ退位と新大王即位の知らせはその日のうちにヤマトの国中に伝えられた。突然の報に接して誰もが驚いた。しかも新大王は巫女、つまり女王である。前例のない出来事に国中が大騒ぎだ。


「巫女様が見つかったってのは聞いていたが、まさか大王になるとはなあ」

「ヒメミコ様とおっしゃるのか。聞いたことがないのう」

「お披露目の儀は一五日後だって。楽しみね」

「新しい大王が巫女、だと……」


 集落の片隅でこっそり聞き耳を立てている男がいる。ひどく目付きが悪い。


「これは急いでヒミヒコ様に報告せなばなるまい」


 男の名はゴシ。ヤマト国の南に位置するクナ国の民である。

 倭に点在する数十の国を回り情報を収集する、これが彼に課せられたお役目だ。そのお役目を与えたのはクナ国の大王ヒミヒコである。

 ゴシは直ちに帰還し、現在ヤマト国で持ちきりになっている新大王に関する情報を申し述べた。


「なんだと。巫女を大王にするだと!」


 ヒミヒコは大いに憤慨した。ひと月前に巫女発見の知らせを聞いた時も怒りで顔が真っ赤になったのだが、それが大王になると聞かされついに怒り心頭に発してしまった。


「我慢ならん。巫女だけでも許しがたいのに、それに加えて大王としての地位まで与えるとは。これではヤマトの奴らをつけあがらせるだけではないか。何故天は我らに味方してくれないのだ」


 ヒミヒコはヤマト国が嫌いだった。倭の中で最大の国力を誇り、さらに唯一の御社おやしろを持つ国として他国からの評価も高い。それが気に入らないのだ。


「巫女を大王にすることで倭の各国はこれまで以上にヤマトに追従するようになるだろう。このような動きを放っておけば、このクナ国は他国と同じ平凡な小国となってしまう。それだけは何としても避けたい」


 ヒミヒコの野望は言うまでもなく倭の統一である。数十に分かれた小国をクナ国の傘下に収め、やがて一つにまとめて倭国大王として君臨する、それがクナ国大王ヒミヒコの生涯を懸けた夢なのだ。


「ひと月前の争いで徹底的に叩いておけばよかった。女子を根絶やしにしてしまえば巫女など探しようがないのだからな」


 他国との親睦を外交の柱にしているヤマト国に対し、クナ国の指針は天下布武。武力によって他国を侵略し統一することを目指している。ひと月前にヒミの集落が襲われたのもクナ国の仕業である。


「ゴシ、ヤマトの威信を損ねるような良い手立てはないか」


 独善的な言葉を独り言のように吐き続けていたヒミヒコは、ようやく他人の考えを聞く気になった。ゴシはうやうやしく申し上げる。


「ひとつ、腑に落ちぬ点があります」

「ほう、何だ。言ってみろ」

「これまでヤマト国では百年以上の長きに渡って巫女を探していたにもかかわらず一人も見つけられませんでした。ところがほんのひと月前、突然巫女が見つかり、しかも本日その者を大王にすると言い出しました。どうにも不自然です」

「ふ~む」


 しばし考える。ヒミヒコは悪知恵に長けているので考えることと言えば謀略、奸計、罠、裏切りといった内容ばかりだ。当然今回もそういった思考しか働かない。


「つまり見つかった巫女というのは、ヤマト国がでっち上げた偽者だと言いたいのか」

「そうです。ヤマト国の優位性を高め他国を従わせるために巫女を利用しているのです。神使しんしが認めたなど真っ赤な嘘。集落から適当に連れてきた普通の女子を巫女に仕立てあげているだけに違いありません」


 ヒミヒコはにやりと笑った。言う間でもなく悪知恵が働いたのだ。


「それが本当だとしたらヤマト国をおとしめる絶好の機会ではないか。巫女が偽者だと暴いてやればよいのだから」

「仰る通りです。騙されたと知った民は反乱を起こし、倭の各国からは絶縁状を叩きつけられるでしょう。ヤマト国の権威が失墜するのは目に見えております。ふふふふ」

「ふふふふ」


 悪人面をしてほくそ笑む二人。何も知らない者が見たら互いに相手を嘲笑あざわらっているようにしか見えないが、二人はとても仲が良いのだ。


「で、どのようにして嘘を暴く」

「一五日後に新大王のお披露目の儀が開かれます。そこに潜り込んで難題を吹っ掛け、巫女の力などないことを示してやればいいのです。真実を知ったヤマトの民の怒りと落胆の光景が今から目に浮かびます」

「よし、任せたぞ、ゴシ」


 今度こそあのヤマト国の泡を吹かせてやれる、これで倭の地は我が物になったも同然、とヒミヒコが上機嫌な妄想に憑りつかれているうちに一五日が過ぎ、お披露目の日がやって来た。

 現在、式典の真っ最中だ。ちょうど大王退位のお言葉が終わり、しばしの休憩に入っているところである。


「いい天気でよかったねえ」

「日差しが強くて肌が痛いよ」


 晴れ渡った青空の下、王宮前広場にはヤマト国の成人男女が詰めかけていた。間もなく新大王が姿を現わすはずだ。


「ヒメミコ様、御出座!」


 いきなり壇上で大声を張り上げたのは桃巫女最古参のババである。歴代大王の即位の儀は全てこのババが仕切ってきた。年齢を考えれば恐らくこれが最後のお役目となるだろう。


「ははあー」


 広場に集まった民は一斉に平伏した。大王の姿を直接見てはならない、それがヤマトの民の常識である。

 大王が王宮を出て集落を回る時も必ず平伏する。顔を上げるのは大王がそれを許した時だけだ。直接見たからと言って罰を下されるわけではないが、それでも民は自発的に頭を下げる。それほどヤマト国の民意は高いのだ。


(あれは、何だ)


 しかし一人だけ頭を中途半端にしか下げず、壇上を注視している者がいた。クナ国のゴシだ。


(何故銅鏡を運んでくるのだ。それもあんなに多く)


 ゴシが怪しむのも無理はなかった。銅鏡を頭の上に掲げた桃巫女たちが登壇を始めたのだ。その数はおよそ三十人。彼女たちだけで壇上はほとんど埋まってしまった。


(あの桃巫女たちの中に大王となる巫女がいるのだろうか)


 その推測は外れた。ほどなく四人の桃巫女が四方に張り巡らした幕を掲げて登壇を始めた。恐らく新大王はその幕の中にいるのだろう。


(やはり姿は見せぬか。まあいい、想定内だ)


 巫女は軽々しく人目に姿を晒すべからず、このヤマト国の掟をゴシは知っていた。よってその対策も立ててある。


「これより新たに大王となるヒメミコ様よりお言葉をいただき、このババが皆に伝える。心して耳を傾けよ」


 ババが幕の中に入った。ヒメミコの言葉を聞くためだ。


(新大王は姿だけでなく声も聞かせてくれぬのか。これほどまでに隠し立てするとはますます怪しい。よし、やるなら今だ)


 ゴシは右手を上げて前後左右に振った。王宮広場に立つ樹木の葉が不自然に揺れた。そこには前日からクナ国の戦士を潜ませてある。


「合図だ」


 戦士は弓の名手だった。動かぬ標的なら百発百中、動く標的でも百発八十中くらいは命中させる腕前である。

 弓に矢をつがえた戦士はヒメミコが隠れていると思われる幕に狙いを定め、勢いよく矢を放った。


「きゃあー」


 幕を掲げていた桃巫女が一斉に悲鳴を上げた。と同時に四人全員が幕から手を放してしまった。幕は壇上に落ち、内側にいたヒメミコとババの姿が白日の下に晒された。


(よし、これで姿が見、う、うわっ!)


 ゴシは両手で顔を覆った。突然目の前が真っ白になったのだ。


「目が、目があああー!」


 手で顔を覆ったまま薄く目を開ける。白い。全ての視界が眩しさに覆い尽くされている。まるで直接日輪を見つめているような眩しさだ。


「やはりネズミが一匹紛れ込んでいたようですね」


 少し離れた場所から聞こえてくるのは宰相のリョウの声だ。


「あなたは狗奴クナ国の密偵、確か牛升ゴシという者ですね。大王の日御彦ヒミヒコから探りを入れるよう命じられたのですか」


(ばれたか。こうなっては逃げるしかない)


 ゴシは恐怖で目を開けられなかった。手さぐりで人をかきわけ広場の出口を目指す。ヤマトの民はこれだけの騒ぎが起きても全員平伏したまま微動だにしない。「ヒメミコ様、御退座終了!」の声が掛かるまでは決して顔を上げないのがヤマトの民の常識なのだ。


「ゴシ様、おつかまりください」


 木から下りてきた戦士がゴシの腕を取って肩に担いだ。ようやく広場を出たところでゴシは閉じていた目を恐る恐る開けて振り返った。


「こ、これは!」


 眩しさは丸い輪となってゴシの足元にあった。歩いてもその輪は追い掛けて来る。そして眩しさの先には桃巫女たちの銅鏡があった。ゴシは全てを理解した。


「そうか。壇上の銅鏡で日の光を反射させていたのか」


 全ては宰相リョウの仕業だった。ヒメミコの正体を隠し通すために、幕だけでなく三十枚の銅鏡を用意しておいたのだ。念入りに鏡面を研磨させて反射効率を上げ、もし頭を上げて壇上を見ようとする者がいれば、三十枚の銅鏡で日の光を一斉照射し目をくらませる、リョウの目論見は見事に成功したのだ。


「くそっ、してやられた。しかしこれほどまでに正体が露見するのを怖れるのだから、よほどの理由があるに違いない。必ず暴いてやるからな。今日はこの辺で勘弁してやる。覚えていろよ」


 ようやく眩しさが薄れてきたゴシはありきたりな捨て台詞を吐き捨てると、戦士とともにクナ国へ逃げ帰った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る