第二話 爆誕! ヤマト国女王ヒメミコちゃん

退く大王、跡を濁さず

 王宮祈祷神楽殿では一人の幼女が舞を披露していた。

 菊綴じ結びの舞衣と色鮮やかな緋袴。笹の採物とりものを振り動かしながら可憐に舞う姿はどこから見ても立派な巫女である。大王おおきみは目を細めてヒミの晴れ舞台を眺めた。


(あのお転婆童女をわずかひと月でここまで仕上げるとは。イヨもさぞかし苦労したのであろうな)


 そのイヨは舞台の袖に立ってヒミの舞を見つめている。今日のこの日を迎えられたのがよほど嬉しいのだろう、ときおり頬を拭う仕草を見せるのは涙を流しているからに違いない。

 ヒミが王宮へ来てからひと月が経った。今日は巫女修行終了の日である。これまでの修行の集大成として、イヨたち先達せんだつから叩き込まれた巫女の業を王宮の主だった者たちの前で披露しているのだ。


 ――シャーン、ドンドンドン……


 桃巫女たちが奏でる最後の調べが消えていき、お披露目の舞が終了した。ヒミは大きな達成感に包まれながら大きく万歳をした。


「終わったあー。みんなあ、あたしキマってたよね」


 舞台の袖にいるイヨが手を顔に当てて力なくうなだれた。行儀の悪さと口の軽さだけはどうにもならなかったようだ。


「オーキミ、どうだ。ちょっとは見直したか」

「うむ。よくぞここまで精進したな。これでそなたは神使しんしだけではなく王宮からも正式な巫女と認められた。今日よりお役目に励むがよいぞ」

「はーい。今日からあたしはリョウ様に代わって宰相になるんでしょ。国造り、一緒に頑張ろうオーキミ」


 リョウは様付けで呼ぶのに大王は呼び捨てである。初めのうちは苦虫を噛み潰したような顔をしていた大王も、ひと月の間にすっかり慣れてしまったので今はもうなんとも思わない。


「ああ、そのことであるが……」


 なんとも思わないはずだったのだが、今日は珍しく苦虫を噛み潰している。大王は横に控えているリョウをチラリと見た。小さく頷く。やはり今この時が一番の好機のようだ。


「ここにいる者たちに大事な知らせがある。心して聞いて欲しい」


 その口調はいつになく重々しく感じられた。桃巫女もイヨもそしてヒミも、ここに集った全ての者が緊張した面持ちで大王に視線を注いだ。


「ヒミが正式に巫女となった本日この時を以って、わしは大王の地位から退くこととする」


 どよめきが起きた。あり得ないことだった。ひとたび大王となれば逝去するまでその地位を守り続けるのがヤマト国の慣例。自ら退位を申し出た大王はこれまで一人もいない。皆が驚くのは当然だった。


「恐れながらお尋ね申す。如何なる理由でそのような御決断をされたのじゃ」


 神妙に、しかし凛とした態度で問い掛けたのはババだ。桃巫女の中で最古参の彼女の年齢を知っている者はいない。それほど昔から王宮に仕えているのだ。百歳を超えているのは確からしい。

 ババの問いに大王は答えず横に控えるリョウに視線を移した。心得たと言わんばかりに大王に会釈をするとリョウは室内を見回した。


「それについては私からお話しいたします……」


 異国の者とは思えぬ流暢なリョウの言葉を聞きながら、大王は彼と二人で話し合い、そして結論を出した数日前の出来事を思い出した。


 * * *


「今、なんと仰られたのですか」


 ヒミが王宮へ来て間もなくひと月になろうとしていた。朝の謁見が終わり皆が退室して二人きりになった時、おもむろに切り出した大王の言葉にリョウは驚きを隠せなかった。


「リョウ殿が二度聞きするとは珍しい。何度でも言う、わしは大王をやめるつもりだ」


 リョウは確かに驚いていた。が、それは大王が思う驚きとは別のものである。ヒミを巫女にした時から大王の退位は予見していたのである。


(まさか自分から言い出されるとは意外でしたね。まあ、手間が省けて何よりです)


 本心を内に秘めたままリョウはありきたりな返事をする。


「理由を聞かせていただけますか」

「ヒミだ。リョウ殿も気づいておろう。今、王宮で一番の人気者はわしではなくあの童女だ。ヒミは神の代弁者。よってわしよりも立場は上。ヒミの言葉は神の言葉。よってわしの言葉よりも重んじられる。こんな有様でわしは大王と言えようか。先日もそうだ。腰など揉まずともよいと命じておるのに、ヒミだけでなく世話係のイヨまでわしの言葉に背いて腰を揉む始末。これほどまでにあの童女にコケにされて、どうやって大王としての威厳を保てと言うのだ」


 リョウは必死に笑いをこらえていた。まるで親に告げ口する子供のようだ。


「つまり卑弥ヒミに王宮の人気を奪われてしまったので、それが悔しくて大王をやめる、そう言いたいのですね」

「う、うむ、そういうことになるのか。いやそれだけではないぞ」


 自分の説明下手を自覚しながら大王は話を続ける。


「ヒミを宰相に登用することにも不安がある。確かにヒミの言葉は的確だ。リョウ殿よりも信頼性は高いだろう。しかしその他の資質が劣悪すぎる。宰相となれば一日の大部分をヒミと共に暮らさねばならぬ。あの無頓着で生意気で軽口を叩く童女が常にわしの周りをウロチョロするのかと思うと、それだけで頭がどうにかなりそうだ」

「つまり卑弥ヒミが宰相ではまともに国を治めていく自信がないので大王をやめる、そう言いたいのですね」

「う、うむ、そういうことになるのか。いやそれだけではないぞ」


 説明下手はそう簡単に改善できるものではないなと思いながら大王は話を続ける。


「リョウ殿にはこれからも国治めの役を担って欲しいのだ。これまで何人もの魏の使者に宰相のお役目を務めてもらった。しかしリョウ殿ほど優れた知性と洞察力を持つ者はいなかった。なにしろこれまで誰もできなかった巫女の発見という偉業を成し遂げたのだからな」

「勿体ないお言葉でございます」

「そこで考えたのだ。リョウ殿、そなたが大王になってくれぬか。わしには跡継ぎがおらぬ。生れた子らには先立たれこのよわいでは子を為すことも難しい。わしと違ってリョウ殿ならばヒミが宰相となっても問題なくやっていけるであろう」

「お断りいたします」

「えっ!」


 即答である。こうもあっさり拒否されるとは思わなかった。大王は口を開けたまま返事ができない。


「いかに大王でもこの命令には従えません。私は大陸から来た者。倭の人間ではないのです。大和ヤマトの大王は大和ヤマトの民から選ぶべきです」

「いや、そのような掟はない。それに何代か前のヤマトの大王は別の国の民から選ばれたと聞いている。リョウ殿が大王となっても問題はないはずだ」

「掟は許しても人の心は許さないでしょう。大和ヤマトの民の中には『大王は倭の人間より選ぶべし』と固く信じている者も多数いるはずです。私が大王になれば彼らの反感を招きかねません」

「うむむ、では誰を大王にすればよいと申すのか」


(ようやくその問いを私に投げ掛けてくださいましたね、大王)


 同じだった。ひと月近く前、誰が巫女に相応しいかと訊かれた時と同じ喜びをリョウは感じていた。この言葉を待っていたのだ。年端も行かぬ無作法な幼女を巫女に選んだのはこの言葉を聞きたかったからなのだ。


「わかっているはずです。次の大王に相応しいのは卑弥ヒミをおいて他にありません」

「ヒミを大王に……」


 これもまた想定外の言葉だったのだろう。大王は口を開けたまま言葉が途切れてしまった。


「私を大王に、卑弥ヒミを宰相に、と考えておられたのならさして不都合はないでしょう。私が宰相のまま卑弥ヒミを大王にしたところで、この二人が国を治めていく体制に代わりはないのですから」

「なるほど。そう言われればそうであるな」

「そして卑弥ヒミは今や王宮の人気者です。かの者が大王になることに反対する者など一人もいないでしょう」


 リョウの言い分に口を差し挟む余地はなかった。それにこれまでリョウの指示に従って悪い結果になったことは一度もないのだ。


「わかった、リョウ殿に従おう。して、皆の者にはいつ知らせようぞ」

「巫女修行の締めくくりとして行われる巫女舞の場がよろしいかと思われます。王宮の主だった者は皆、参列しますからね」


 * * *


「……このような事情により大王は退位し、卑弥ヒミがその跡を継ぐこととなったのです」


 そして今日、かねてからの打ち合わせ通り、ヒミの巫女修行終了と同時に大王の退位と後継者を布告する運びとなったのである。現在、大王に代わってリョウがこのような事態に至った経緯を説明しているところだ。

 もちろん「ヒミが人気者になって悔しいから大王やめる」とか「あんなお転婆幼女が宰相なんてとんでもない」などといった直接的な言い方はしていない。品のある言葉と流暢な口調で巧みに聴衆を誤魔化しているのだ。


「えー、あたしがオーキミ!」


 次の大王がヒミと聞かされて誰もが驚いた。しかし一番驚いたのは当事者のヒミである。こういった場合、発表前に内内で意向を打診しておくものなのだが、ヒミにそんなことをすれば誰彼構わず言い触らすに決まっているのでいきなりの発表となった。


「私からは以上です。何か質問はありますか」

「ひとつ、お尋ねしたい」


 挙手したのは先ほどの桃巫女最古参のババだ。リョウが指差して許可を与える。


「どうぞ」

「ヒミは巫女とは言ってもまだ六才。大王には幼すぎるのではないか。王宮の者はこのひと月の間、ヒミの予言の的確さを目の当たりにしている故、大王に相応しいと感じてはいよう。しかしヤマトの民はどう思うじゃろうか。六才、しかも女王となれば反感を抱く者もおるのではないか」

「それについてはご心配ありません」


 さすがは歴代最高と称賛される宰相。すでに対策は練ってある。


「巫女は軽々しく人目に姿を晒すべからずという掟があります。これを盾にして新しい大王の素性は一切秘匿するのです。民に知らせるのは巫女が大王に即位したという事実だけ。その容姿も年齢も声も隠し通すつもりです」

「さりとて名を教えぬわけにはいかぬじゃろう。ヒミはひと月前に大王自らが王宮に連れてきた。同じ集落の者ならば気づいてしまうのではないか」

「そうですね。ですから名を変えることにしました。今日より卑弥ヒミ姫巫女ヒメミコと名乗らせることにします」

「ヒメミコ! ヒミよりカワイイ。賛成!」


 ヒミは気に入ったようだ。さっそく首飾りの銅鏡に向かってボソボソつぶやいている。これからは自分を「ヒメミコちゃん」と呼ぶようにと神使に話しているのだ。


「ふっ、用意周到なことだね。おまえさんの目論見通りに事が運ぶよう祈っているよ」


 ババの質問は終わったようだ。リョウは軽く会釈した。ある意味、大王よりも扱いにくい相手なのである。


「ヒメミコ様、これから力を合わせて頑張りましょう」

「私たちもできるかぎりヒメミコ様を支えていくつもりです」


 桃巫女たちが新しい大王となったヒメミコを取り囲んで賑やかにお喋りしている。大王はようやく肩の荷を下ろせたような気がした。


(これからはあの者たちが国を作り上げてくれるのだな。ここにはもうわしの居場所はないのだ)


 安堵と共にそこはかとない寂しさを感じながら桃巫女たちを眺め続ける大王であった。

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