大王は憂鬱なのです

 雨が降っていた。大王おおきみは王宮のやかたに寝そべって雨音を聞いていた。今朝はこの雨音で目が覚めてしまった。ヒミの言葉通り夜明け前から降り出したらしい。


「そろそろ呼びに来る頃か」


 朝食を済ませ身支度を整え、謁見の間で主だった者たちから朝の挨拶を受ける、それが毎朝の日課である。

 しかし今朝はどうにも気分が優れない。今朝だけではない、この数日、全てに対してヤル気がなくなっていた。


「大王様、入ってもよろしいですか」

「構わぬ。入れ」


 寝所の几帳きちょうを上げて女官が入ってきた。名はイヨ。桃巫女のひとりである。

 大王は体を起こしきちんと座り直して話を聞く。身分の低い者に対しても礼を失することがあってはならない。それが大王としての矜持である。


「日が高くなっても謁見の間にお見えにならないので、心配したリョウ様が私を遣わしたのです。お体の具合でも悪いのですか」

「そうだな。少し腰が痛むようだ。今朝の謁見は取り止めにする。皆に伝えてくれ」


 思わず仮病を使ってしまった。大王にあるまじき振る舞いである。もし言った相手がリョウだったら「なるほど。謁見を休みたいのですね」と察して、そのまま取り止めにしてくれただろう。だが、まだ若いイヨにそこまでの洞察力があろうはずがない。


「まあ、それは大変。しばしお待ちくださいませ」


 慌てて立ち上がるイヨ。引き留める大王。


「いや待て。待つのはわしではなくおまえだイヨ。早まるな」


 これから何が起きるのか見当がつく。大王は必死で止めたが聞く耳持たないイヨはあっという間に寝所を飛び出していった。


「朝っぱらからまずいことになったわい」


 後悔しても遅い。やがて縁台からドタドタという音が聞こえてきた。音はどんどん大きくなる。さらには声も聞こえてくる。


「オーキミー!」

「ああ、またそのような大声を。それに走ってはならないと何度申せばわかるのですか」


 大声はヒミだ。諫めているのはイヨ。巫女の修行を始めて十日も経つのにヒミの無作法はまだ治らないらしい。しかも大王に様を付けずに呼び捨てだ。リョウが「おおきみ」と呼ぶのでヒミもそれを真似ているのだ。


「イヨには少々荷が重すぎたか」


 御社おやしろで耳飾りを装着し正式な巫女となったヒミではあったが、それはあくまで神使しんしが認めただけの話。人の世で巫女と認められるためには、それなりの知性と品性と技量を身に付けなくてはならない。


「しばらくの間、桃巫女たちと共に巫女修行に励むのがよいでしょう」


 リョウの進言に従ってヒミは王宮の祈祷神楽殿で修行を始めた。その世話係になったのが桃巫女首座のイヨである。


「私がヒミさまのお世話を! なんというほまれ! 身命を賭して励む所存でございます」


 イヨは十四才。王宮に来てまだ一年半の新参者ではあるが巫女としての素質は群を抜いている。なにしろ御社の控えの間で巫女判定を行った時、扉の横の銅鏡が反応して薄っすらと輝いたくらいなのだ。結局扉は開かなかったが半分くらいは巫女の資格を有しているのではないかと誰もが思っている。

 実際、その利発さと可愛らしさは桃巫女の中でもピカ一で、リョウをして「これほど聡明な女子は大陸でも滅多にお目にかかれません」と言わしめたほどだ。

 そのイヨの聡明さを以ってしてもヒミの行儀の悪さは治らないのだから、よほど無作法な星の元に生まれたのであろうと大王も半ば諦めている。


「腰が痛いのかあ。よーし、あたしに任せろ!」


 ドタドタと寝所に入ってきたヒミはうつむいてつぶやき始めた。神使と会話をしているのだ。


「わかったよー。腰の痛みに効くツボをシンちゃんが教えてくれたから。今、楽にしてやるぞ」


 シンちゃんとは神使のことだ。知らぬ間にこんな呼び方をするようになってしまった。ちなみに神使には自分のことをヒミちゃんと呼ばせているらしい。


「オーキミ、腹ばいになれ」

「い、いや、わしはもう大丈夫だ。手間をかけたな」

「なにを遠慮している。仕方ないなあ。イヨちゃん、手伝って」

「大王様、失礼いたします」


 イヨが大王の背中を押す。それを見てヒミが大王の肩にまたがった。強引にうつ伏せにするつもりだ。


(やれやれ。イヨはわしではなくヒミの言葉に従うのか)


 相手が屈強な男なら抵抗もしようが、ひ弱な二人の女子とあっては邪険に扱うこともできない。大王は素直にうつ伏せになった。


「揉むぞ。覚悟しろ」


 ヒミは大王の尻に座ると小さな指で背骨の周囲を押し始めた。これがなんとも心地良い。さすがは全能の神。人体の構造に関しても隅々までご存知のようである。あまりの心地良さに大王の意識は桃源郷を彷徨さまよい始めた。


「腰の痛みは取れましたか、大王様」


 彷徨っていた意識はイヨの言葉によって現実に引き戻された。尻のほうからヒミの声が聞こえてくる。


「あ~、もう、疲れたよう~」


 腰に当たる感触が太くて強い。寝そべったまま振り向くとヒミは指ではなくかかとで腰を押している。手が疲れたので足を使い始めたようだ。


(なるほど。イヨが声を掛けた理由はこれか)


 納得した大王はヒミの頭をポンポンとたたいた。


「ああ、だいぶ良くなった。ヒミ、ご苦労だったな。これなら謁見もできるだろう。二人とも下がってよいぞ」

「そうか。じゃあ後でご褒美をくれ。イヨちゃん行こう」


 そしてまたドタドタと縁台を走っていくヒミ。「走ってはいけません」と言いながら後を追い掛けるイヨ。ここ数日繰り返されてきた日常だ。


「ヒミはすっかり人気者になったな。あれだけの力を持っていれば当然ではあるが」


 ヒミから伝えられる神の予言は文字通り神懸かり的に広範囲で的確だった。そしてどんな問いにも答えを返してくれた。


「えっと、昼ごろまでは晴れるけど、夕方には雲が広がって雨になるって」


 最初、誰もが知りたがったのは天候だ。米や野菜を作る上での最大の関心事は、日照りはいつ終わり雨はいつ降り出すのか、長雨はいつやんで日光はいつ田畑を照らすのか、これに尽きる。人の世の生活の基盤は食料。食料の収穫を左右するのは天候。よって天候を制する者が人の世を制するのだ。


「まあ、日が暮れたら本当に降ってきた。ヒミ様のお言葉は神のお言葉ですね」


 ヒミの天候予言は驚くほどに正確だった。一両日中ならば予言は十中八九的中した。しかも予言は雨だけでなく、風向風速、寒暖、遠くの山が見えるかどうかなど多岐にわたり、そのほとんどが予言の通りになった。

 やがて人々の興味は天候以外にも向けられた。これだけ先を見通す力があるのなら、他の事柄についても同様の予言を得られるのではないか、そう考え始めたのだ。


「あのヒミ様、相談があるのですけど」

「何?」

「毎日お野菜を運んでくれる人の中に、ちょっと気になる男子がいるのです」


 王宮に仕えているのはほとんどが女子、女官である。女子が三人寄れば始まるのは恋愛談議に決まっている。


「恋の行方を占いたいのですけど、亀の甲羅や鹿の骨はなかなか手に入らなくて。ヒミ様のお力で何とかなりませんか」

「う~ん、どうかなあ。シンちゃんに聞いてみる……ふんふん、ふ~ん」

「いかがでしょう」

「なんだかよくわからないけど、今日の幸運色は黄色なんだって。黄色い物を身に着けていればいいことがあるぞ。たぶん」

「黄色ですね。ありがとうございます」


 こうしてヒミの恋占卜せんぼくは瞬くうちに王宮に広がった。これに関しては予言の通りにならないことも多かったのだが、女官たちは一切気にしなかった。予言を聞いて望みを抱き、予言に従って胸をときめかせているだけで誰もが満足してしまったからだ。


「ヒミ様、次はあたしに」

「いいえ、あたしを」


 ヒミの人気はうなぎ登りだ。今や王宮におけるヒミの権力者としての地位は不動のものとなっていた。ヒミの言葉に従ってさえいれば間違いはない、誰もがそう思った。

 しかしそれはまた大王の言葉はヒミよりぞんざいに扱っても構わない、という意味でもあった。自分の存在感が日増しに薄れていくのを大王は感じていた。それが謁見さえも億劫に感じさせる憂鬱の原因であることも大王にはわかっていた。


「大王、今朝はまた一段と物憂い顔しておられますね。まだお越しにならないのですか」


 そろそろ寝所を出ようかと思ったところへリョウが顔を出した。最近の大王は彼を見るとほっとする。


「これから向かうところだ。ちょうどよい、一緒に行こう」


 二人で縁台を歩く。こうしてリョウと話をする機会はめっきり減ってしまった。彼は間もなく宰相の座を退くつもりなのだ。それを聞かされた時、大王は怒りと驚きで顔が真っ赤になった。


「何故そのようなことを申す。わしに不満でもあるのか」

「いいえ、大王は関係ありません。理由は卑弥ヒミです。彼女は正式に巫女となりました。その言葉は神の言葉と同じ重みがあります。それに比べれば私の言葉など塵のような軽さです。もはや大王のお役には立てません」

「つまり、おまえに代わってヒミを宰相として登用させる、そう言いたいのか」

「御意」


 大王は目の前が真っ暗になった。これからあの無作法で礼儀知らずでお転婆な幼女と力を合わせてヤマトの国を治めていかねばならぬのだ。


(巫女など見つからぬほうがよかったのかもしれぬな)


 大王の憂鬱はますますひどくなった。リョウには何度も翻意を促した。しかし聞いてはくれなかった。今、こうして二人で歩いていても大王の口から出るのはこのことばかりだ。


「リョウ殿、もう一度考え直してくれぬか。宰相が二人いても構わぬではないか。ことわざにもあるだろう、三人寄れば文殊の知恵と」

「大陸にはこのようなことわざもあります。三人寄れば無責任。何かを為すには二人で事を進めるのがちょうどよいのです」


 リョウと討論をして勝てるわけがない。大王は腹を決めた。やはりこの選択しかない。そしてこれこそがヤマト国にとって最善の方策に違いない、そんなことを考えながら謁見の間へと歩いて行った。

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