巫女の仕上げは耳飾り

 かつて倭の地には多くの御社おやしろがあった。しかし長い時の流れの中で、季節ごとに荒れ狂う自然の猛威と、繰り返される人の世の動乱に巻き込まれて破壊され、今ではヤマト国だけにしか残されていない、そのように伝えられている。


「ここ薄暗いし、ちょっと怖い」

大和ヤマト国の中で一番大きな森の中ですからね。御社はこの森によって守られているのです」


 三人は王宮の北側に広がる樹海を歩いていた。警護の者はいない。必要ないからだ。御社へ参ろうとする者は樹海によって守られ、御社を辱めようとする者は樹海によって排除される。樹海は御社の見張り番の役目を果しているのだ。


「うむ、見えてきたな」


 大王おおきみの歩みが速くなった。薄暗い樹海から早く抜けたいという気持ちがその足取りから読み取れる。


「着いたぞ」


 いきなり視界が開けた。三人の前には絶壁のような岩が立ちはだかっている。


「えっ、これが御社。ホントに? ショボ」


 ヒミは拍子抜けしてしまった。そそり立つな岩壁の下部中央に扉がある。大王はその扉を指差しているのだ。これが御社だとすれば荘厳にして広大な王宮とは月とスッポンの安っぽさだ。


「ヒミ、そのような物言いはやめぬか。この御社は悠久の時を経て伝えられてきた由緒ある空間。十数年ごとに建て替えている王宮の館なんぞよりも遥かに格が上なのだぞ」

「はーい、ごめんなさい」


 ヒミはペコリと頭を下げた。言い訳せずにすぐ謝る素直さは好感が持てる。大王はほんの少しだけヒミが好きになった。


「それでは中に入りましょう。大王、お願いします」

「うむ」


 扉は陽光を反射して鈍い光を放っている。鉄でも青銅でもない特殊な金属でできているようだ。大王は持参した袋から手のひらほどの大きさの板を取り出した。それを扉の中央に当てる。


 ――ぴいいいー


 鋭い音が短く響くと扉は滑るように開いた。誰かが開けたのではない。自然に開いたのだ。


「すっごーい。どうなってるの」

「この扉は神の番人によって守られておる。この板を持つ者だけが番人の許しを得て中へ入れるのだ。神の番人ゆえ目には見えぬ。さあ、行くぞ」


 中は真っ暗だ。しかし三人が足を踏み入れると壁に据え付けられた松明に明かりが灯った。歩くにつれて前方の松明は次々に明かりを灯し、背後の松明は次々に消えていく。これも神の為せる業なのだろう。


「すっごーい。外側はショボいけど内側はイケてる」

「何事も見掛けで判断してはいかんと言うことだな。ヒミ、肝に銘じておけ」

「はーい」


 先ほどとは打って変わって大王は饒舌だ。巫女選びの一件ではまったく出る幕がなかったが、この御社は大王の地位に就いてからずっと足繁く通っている場所である。しかも扉を開く鍵を持っているのは大王のみ。


(さすがのリョウ殿も御社の中では口を差し挟めまいて)


 気分上々で洞窟を進む大王。やがて前方に扉が見えてきた。


「いよいよだな」


 またも袋から板を取り出し扉に当てる。鋭い音を鳴らして開く扉。と同時に視界は光に満たされた。扉の向こうに広がる空間は真昼のような明るさで三人を出迎えてくれている。


「ここは控えの間だ。見よ、部屋の奥に銅鏡があろう。あそこに姿を映し声を発するのだ。もし神使しんしがその者を巫女に相応しいと判断すれば銅鏡の横にある扉が開き、神使の間へと入ることができる」


 これまで何回も繰り返してきた言葉だ。そして大王だけが口にできる言葉だ。誇らしげに言い終わった大王ではあったが、次のリョウの言葉で気分はたちまち盛り下がってしまった。


「あ、いえ、その必要はありません。卑弥ヒミはすでに巫女と認められていますから扉の前に立つだけで開くはずです」

「そ、そうなのか」

「じゃあ、やってみる」


 恐る恐る部屋の奥にある扉の前に立つヒミ。小さな扉は音もなくスッと開いた。


「本当だ、開いた!」

「では入りましょう。大王もご一緒に」

「わ、わしも入っていいのか」

「構いませんよ。巫女の従者は二名まで付き添いを許されています」


 どうやらわしの出番はここまでのようだな、と大王は思った。この扉が開いたのも神使の間を見るのもそこへ入るのも全て初めての経験だ。


(思い返せば愚かな話だ。巫女に認められたら何をすればよいのか、まったく知らずにこれまで女子を連れてきていたのだからな)


 大王は自分の無知が恥ずかしくなった。ここへは常に魏から遣わされた宰相を同伴していた。わからぬことが起きれば彼に聞けばいい、そう考えて自ら知識を得ようとしていなかったのだ。


「大王、何かを学ぶのに遅すぎることはありません。さあ、入ってください」

「お心遣い感謝する」


 またリョウに心を読まれたかと思いながら大王は神使の間に足を踏み入れた。控えの間に比べるとひどく狭い空間だった。奥にある祭壇の他は何もない。


「それでリョウ殿、ここで何をするのだ」

「祭壇にある首飾りと耳飾りを巫女に装着し、神使と言葉を交わせることを確認するのです。それが為された時、完全なる巫女が誕生します。ただし今回、首飾りはすでに私が与えています。ですから残りの耳飾りを装着すれば、それで巫女は誕生します」


 リョウは祭壇に近づき、そこに祀られている二つの小箱のうち右側の箱を手に取った。実に手慣れた所作だった。宰相ならば誰もが心得ている手順なのだろうなと大王は思った。


「ご覧ください」


 ヒミにも見えるようにしゃがんで箱の蓋を開けるリョウ。そこには勾玉の形をした耳飾りが二つ収められていた。勾玉の中央には首飾りの銅鏡を五分の一くらいに小さくした金色の銅鏡がはめ込まれている。


「これもまた見事な細工物だな。どのようにして耳に着けるのだ」

「耳たぶにごく小さな穴を開け、そこに針を貫通させて固定させます」

「穴? ヤダ。痛いの嫌い!」


 ヒミは大声を出して震え始めた。無理もない。まだ六才の幼女の耳に穴を開けようと言うのだから。


「痛くないように開けます。怖がることはありません。すぐに終わります」

「ヤダヤダ」


 じりじりと後ずさりするヒミ。放っておけば神使の間から出てしまうだろう。その腕を大王がつかんだ。


「この期に及んで何を言っておる。いい加減に覚悟を決めるのだ、ヒミ」

「ヤダ、放して。やっぱりお家へ帰る。巫女になんかならない」


 先ほどまでの素直なヒミはどこかへ行ってしまったようだ。これにはリョウも大弱りだ。


「困りましたね」


 それ見たことか、やはりこのような童女を巫女にするのは無理だったのだ、と大王は言いたかったのだが心の内に留めておいた。不思議なことにヒミ以外に巫女になれる女子はいないと大王自身が思い始めていたからだ。それはまたリョウへの信頼が以前にも増して厚くなっていることの証拠でもあった。


「ふーむ……」


 このように考え込むリョウを見るのは初めてだ。大王は訳もなく嬉しくなった。

 突然、リョウは控えの間を指差した。


「おや、あんなところで子猫が毛づくろいをしていますよ」

「ネコ! あたしネコちゃん大好き!」


 猫は滅多に見掛けない動物だ。愛らしく手触りもよく鼠を退治するので子供だけでなく大人の女にも人気が高い。


「ねえ、どこどこ。ネコちゃんどこ」


 ヒミは大王に腕をつかまれたまま控えの間を見回している。リョウは箱の耳飾りを両手に持つと、音もなくヒミの背後へ忍び寄った。


 ――フツッ


 ヒミの耳で鈍い音がした。雷光の如き早業だった。何が起きたのか大王にはまるで見えなかった。見えたのはリョウの手が離れたヒミの耳に、しっかりと装着されている耳飾りだけだった。


「ねえ、ネコちゃんどこ」

「ああ、失礼。壁に映った影を猫と勘違いしたようです」

「なーんだ」


 どうやらヒミはまったく気づいていないようだ。しかし耳に違和感があるのだろう。その手が耳たぶに触れる。


「あれ、何か付いている」

「はい。耳飾りを装着しました。痛くなかったでしょう」

「うん全然。耳飾り似合ってる?」

「そこの銅鏡に顔を映してごらんなさい。よくお似合いですよ」

「結構イケてる。それにすごく軽い。これなら耳も重くない」


 ついさっきの嫌がりようが嘘のようだ。このこだわりの無さはヒミの長所と言えるかもしれない。ようやく事を進めることができて大王は胸を撫でおろした。


「やれやれ。これで王宮へ帰れるな」

「いえ、まだです。神の声が聞こえるかどうか、その確認をしておりません。卑弥ヒミ、首飾りの銅鏡を意識して次の言葉を発しなさい。我が名は卑弥ヒミ。利用を開始する。確認せよ」

「我が名はヒミ。利用を開始する。確認せよ」


 そう言った途端、ヒミの両耳に声が届けられた。


『利用者ヒミ、確認しました。私は神使です。以後よろしく』

「聞こえた!」


 大声を上げて喜ぶヒミ。手を合わせて喜ぶリョウ。しかし大王は狐につままれたような顔をしている。


「二人とも何を喜んでいる。何が聞こえたと言うのだ」

「えっ、おじさんは聞こえなかったの。変だな」

「変ではありませんよ、ふふ」


 リョウの顔は緩んだままだ。よほど嬉しかったのだろう。


「神使の声は巫女にしか聞こえないのです。ですから私も聞こえていません」

「聞こえていないのに嬉しいのか」

「はい。実は正常に働くかどうか少々心配だったのです。長らく起動させていなかったようなので。しかし卑弥ヒミの様子を見てその心配も吹き飛びました。だから嬉しいのです」

「そうか。巫女にしか聞こえぬのか。つまり我らが神のお告げを知りたければヒミに教えてもらうしかない、というわけか」

「その通りです」

「これからは何でもあたしに聞くといい」


 腰に手を当ててふんぞり返るヒミ。巫女の誕生は嬉しいが素直に喜べない大王であった。

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