第3話
地図を片手に単身捜索へ向かった少女が戻って来たのは、すっかり陽が沈んだ後だった。
「申し訳ありません。成果は何も…」
土埃に塗れた少女は迎えに出た村人たちの前で、悔しそうにそう言った。その言葉に村人たちは消沈したものの、彼女を責める者は一人もいなかった。果たして少女が生きて戻ることが出来るか、そう不安視していた者がほとんどだったからだ。
「捜索、ご苦労様です。よくぞ無事に戻りました」
村人を代表して村長が労いの言葉を掛ける。
「騎士様が出ている間、一番近くの町へと連絡をつけました。ご指示の通り、四級相当の魔狼が外部を構成する群が近い、と。しかし…」
「どうかされましたか?」
少女は老人の反応を訝しむ。
「それが…。この近辺でそれほどの規模の魔狼の群が確認された記録は過去存在しないらしく。事実ならば中央騎士団へ騎士様の派遣を申請する案件である、とは言われたのですが…」
少女は小さく俯き、黙考する。今回の件はあきらかに中央騎士団 ーー彼女や失踪した討伐隊の者たちのような流れの騎士ではなく、正式な騎士たちへと救援を依頼するべき事態だ。だが、それを正確に認識して貰えるかどうかは話が別である。最悪の場合、中央騎士団へと届く途中で報告が止まってしまう可能性がある。
「…わかりました。私の魔力紋を捺し、私の名で書いた報告書を添え再び救援を要請しましょう。これでも一応は騎士としてそれなりに実績を積んで来ましたからね。無碍にはできないでしょう」
「おお、ありがとうございます…!」
老人は目に涙を浮かべ、深々と頭を下げた。
「申請が通り中央騎士団から騎士が派遣されるとしても、最悪五日はかかるでしょう。それまで村の警備の方はどうされますか?」
「事前に派遣して頂いた十五人の兵士の方と村の若衆で番をする手はずです。加えて、早ければ明日にも付近の小村からの疎開が始まります。ですが、実際に魔獣の襲撃を受けたとしたら…」
「勿論、その時は私も助勢するつもりです。…そういえば、話は変わりますが。村の出口で行き倒れていた方。身元はわかりましたか?」
少女はふと、昼間道端で拾った男を思い出した。身なりは薄汚れ、どうやら記憶を失っているようだったが、身体に異常は見られず足取りも確かだった。何か事情があることは察せられた。
「それが、ですね…」
村長はわずかに言い淀み、重苦しく口を開く。
「村に入るにあたって当然、魔力の検査をしたのですが…」
「ですが?」
少女は小首を傾げ、続きの言葉を待つ。
「あの青年…黒い魔力の持ち主だったのです」
村長の家の二階、件の男の部屋に通される。男は棒立ちで窓から外を眺めていた。卓の上には粗末な食事が手付かずのまま放置されている。
「こんばんは。あれから何か、思い出したことはありますか?」
男は無言で振り返り、首を横に振った。
「そうですか。…ああ、そうだ。そういえば、まだ名前も名乗っていませんでしたね。私はシーナ。流れの騎士をしています」
「騎士?」
男はぶっきらぼうに鸚鵡返しする。
「はい。それがどうされましたか?」
「騎士とはなんだ?それが気になる。俺はそれを知っているかもしれない」
「騎士とは何か、ですか…」
少女 ーーシーナは床に乱雑に投げ置かれた男の刀を見る。この男も記憶を失う前は騎士であった可能性が高いと彼女は考えていた。昼間の僅かな会話の中でも、この男は『騎士』という単語に反応を示していた。何かを思い出すための手掛かりとなる可能性もあるだろう。
「そうですね。端的に言うと、騎士とは剣技を修め、魔力によって作られた剣を持ち、剣と魔法を併用して戦う者たちの総称です」
言葉を止め、男の表情を伺う。男は小さく頷き先を促した。
「騎士は大きく三つに分けられます。まず、見習いの騎士。専門の育成機関や師匠の元について基本を学びつつ実践訓練を行い、腕前を磨いている者ですね。次に、流れの騎士。一人前となり騎士団へ登録し、各地で村や町、個人に報酬で雇われる者たちです。普通の方々にとって一番身近な騎士で、私はこれに当たります」
少女は机の水差しからコップへ水を注ぎ、唇を湿らす。男は無言で続きを待っていた。
「そして、最後。狭義の騎士である、中央騎士団に所属する騎士。彼らは国にも個人にも仕える事はせず、騎士団長の元、ただただ人のために剣を振るう者たちです。当然、全員が凄腕の騎士で、今回の魔獣による問題も彼らの派遣を要請することになりました」
「それで。俺が、その騎士とやらなのか? 何故そんな事がわかる?」
「貴方の持つその刀が、魔力によって作られたものだからです。魔力を凝縮して物質化させられる者はそういませんし、そんな事をして剣を作る者は騎士くらいです」
シーナが床の刀を指差す。男はそれを手に取り、不慣れな手つきでゆっくりと鞘から抜く。片刃の黒い刀身が僅かに露わになった。彼女はジッとその、光を返さぬ黒い刀を見る。
「この刀を見た途端、人間たちがおかしくなった」
男はそう言い、刀を納める。
「何故だ?」
「それは、ですね…」
少女は僅かに口籠る。
「騎士の刀というのは先ほどお話しした通り、魔力を凝縮させて作ります。そして、魔力には『色』がありまして…。魔力の色とは、生み出した人の精神や心といったものを反映したものであるとされているんです」
「黒がか」
「ええ。その黒い魔力は正確には『闇色の魔力』と呼ばれていまして。あまり良くない、不吉なものだとされているんです」
「そうか。よくわからんが、わかった」
男は不快に思う訳でもなく、淡々とそう答えた。シーナは安堵したように胸を撫で下ろし、床に置いた背嚢を開いて中身を漁る。
「私の部屋は準備中らしいので、少しだけ机をお借りしますね。夕食のお迎えが来るまでにパパッと報告書を書いてしまいたいので」
シーナはペンと紙を取り出すと、今日見た魔獣の群について可能な限り詳細かつ手短かに記す。この村には一刻も早い救援が必要だ。大規模な魔狼の群と隣り合わせのまま今まで村が滅びなかったのは奇跡のようなことである。
ふと気配を感じ振り返ると、背後から男が手紙を覗き込んでいた。シーナは僅かに気恥ずかしさを覚え、さりげなく紙面をペンの握り手で隠す。
「どうしました?」
「それは何をやっている?」
「これですか? 先程お話しした、中央騎士団へ応援を要請をするための書類を書いているんです」
シーナは書面の最後に自らのサインを入れ、その隣に右手の人差し指を押し当てる。指先から光が迸り、紙面に複雑な紋様が浮かび上がった。
「人の魔力には固有の波長があります。これを紙に転写することで、この書面を私が書いたという証明とします。私の魔力は騎士団に登録されていますから。そして、この転文機を…」
書類を背嚢から取り出した、蝶番で留められた二枚の板に挟み、上から手の平を軽く押し当てる。すると、板の表面に施された複雑な紋様が僅かに発光した。
「これで騎士団本部に書面の写しを転送できました。あくまで緊急時の連絡用ですし、送れる先も限られているので乱用は出来ませんが、便利でしょう? 騎士でもないと個人ではなかなか持てないものなんですよ? 沢山の魔力を使いますが、鳥や犬を使って速文を出すよりもずっと速くて正確ですし」
シーナはそう言い、自慢げに胸を張る。男はそんな彼女には構わず、書類と転文機と呼ばれた二枚の板を手に取り、しげしげと眺めていた。
「何か気になることがありますか?」
男は手に持ったものをシーナへ返し、僅かに考え込む。
「そうだな…」
「気になったことは遠慮せずどんどん訊いてくださいね。何が記憶を取り戻す手掛かりになるかもわかりませんから」
転文機と書類、ペンを片付けながら、シーナは人の良さげな、無邪気な笑顔で言う。
「…とりあえず、魔力とは何だ? どういう意味だ? 魔法というのも知らん。むしろ、お前の言っていることのほとんどがわからん」
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