第4話

 昔々。この世界には、一柱の神の他には何一つたりとも存在しなかった。

 その『父なる神』はまず世界を、次に十柱の神々を生み出し、最後に神々への奉仕種族として己が姿を模した『ヒト』を創造した。

 ヒトは神々に仕え、神々はヒトを管理する。それが永遠に変わらぬ世の理。

 しかしある時、慈悲深い一柱の神がヒトを哀れみ、神々のみが振るえる『聖なる力』をヒトへと与えた。だが、それを到底許すことが出来ぬ一部の神は、過ぎた力を持ってしまったヒトを滅ぼすことを決意する。

 神々はヒトの処遇を巡り分裂し内紛を始め、ヒトは創造主たちへ反旗を翻す。そして、ヒトと神が入り乱れた長い長い戦いが終わった時、気付けば十一柱の神々はこの世界から姿を消していたーー

 残されたヒトは『人類』となり、歴史を紡ぎ始める。しかし、『父たる神』と『兄たる神々』から離反した人類には最早、神々と同じ『聖なる力』を振るうことは出来なかった。

 その力は歪み、淀み、悪性を持つ『魔の力』となってしまったのだ。



「つまり、魔力というのは神様たちが使っていた奇跡を起こす力の片鱗…その成れの果てみたいなものなんです。その成れの果てですら人類にとっては便利なものなんですけどね」

 シーナはこの国の者ならば誰もが知っている神話を、可能な限り噛み砕き説明した。

「なるほど。よくわからんが、わかった」

 男は配膳されたパンを細かくちぎりながら、しかし意外にも興味深げに話に耳を傾けていた。

「俺も騎士というものなら、その魔法というのを使えるんだな。それはどう使う? 何が出来る?」

「そうですね…。魔法の使い方というのは説明が難しいのですが…」

 粗末な食堂でランプの炎がちらちらと揺れる。シーナは卓上のランプの一つへ手の平を翳し、軽く目を瞑る。直後、ガラスの中で炎の勢いが増し、形が歪み、二つの球体となる。

「魔法とは、世界を書き換える神々の御業のひと欠片。必要なのは、魔力という空想の腕で世界を歪ませるイメージです。魔法の修練の第一歩は、水や炎のような形の無いものを歪めるところから始めます」

「つまり、頭の中で思うだけで使えるのか?」

「簡単に言うとそうなりますね。ただ、それが言うほど簡単ではないんですよ」

 シーナはそう言い苦笑する。二つの炎の球体は小さく弾け、再びランプの中で燃え盛る。

「他にも、魔法陣という紋様を通して魔力を操作したりする方法もありますね。極論を言うと、魔力を使って世界を歪めれば、それは全て『魔法』という訳なんです。また、理論上は魔法に『出来ないこと』はありません。勿論、実際は人の持つ魔力量や認識の限界というものがありますが」

 男があからさまに理解が追いつかない様子で眉を顰める。

「まあ、貴方が元騎士というなら魔法の素養はあるはずですし、何かのきっかけでまた使えるようになるはずですよ。さて、存外話が長くなってしまいましたね。いい加減に食事にしましょうか」

 シーナはパンを手に取り、冷め始めたスープに浸して口へと運ぶ。ふと目を上げると、男が無言でジッとシーナを見つめていた。

「どうしました? 昼食も食べていなかったようですし、お腹空いているんじゃないですか?」

 男は怪訝な表情で細かくちぎったパンのひと欠片を掴み、見様見真似でスープに浸し口に入れ咀嚼する。

「美味しいですね」

 男は曖昧に頷き、口の中のものを慣れない様子で嚥下した。



 空が白み始めた頃、階下からの物音でシーナは目を覚ました。硬いベッドから身をもたげ、耳を澄ませる。すぐに階段をドタドタと上がる足音が響いてきた。

「騎士様! 起きて下さい!」

 扉が勢いよく叩かれる。シーナは刀を手に取り、警戒しつつ扉を開く。

「どうされましたか?」

「隣の村が魔獣に襲われて! これを!」

 血相を変えた村の若衆が、彼女の眼前に幾重にも折り畳まれた一枚の紙を突き出す。シーナは手に取り、内容を改める。

「どうした? 何が起きた?」

 隣の部屋から男が顔を覗かせる。

「…山向かいの村が、魔獣の群れに襲われたそうです。今、速文で報告が来ました」

 シーナは感情を抑え、低く低く、ゆっくりと返した。外では激しく鐘が打ち鳴らされ、人々の声がさざなみのように広がっていた。

「そうか」

 男は興味なさげにそっけなく答える。

「あちらにはどれほど戦力がありますか?」

「ここよりも更に小さな村ですから…。派遣された駐在の方と自警団が少しいるだけで、兵士は…」

 シーナは歯を食いしばり、考えを巡らす。今この時も隣の村では人が襲われている。今すぐにでも助けに向かいたい。しかし、隣の村を襲った魔獣は、その次に何をするだろうか。夜明けと共にねぐらへと帰るかもしれない。その可能性は高い。だがもしも、更に人口の多いこの村へと大挙して押し寄せて来たら――

「どうした? お前は魔獣と戦うんじゃなかったのか?」

 顔を上げると、男が不思議そうに彼女の顔を見つめていた。

「…違うのか? 村の奴らの話を聞いていたら、お前は魔獣と戦うものなんだと思っていたんだが」

 階段の半ばから、村の若衆たち数人が固唾を飲んで様子を伺っていた。

「…私は、命を守るために騎士になりました。誰かの悲しみの声を、嘆きの声を止めるために。今、隣の村では人が襲われていて、そしてこの村には命の危険に晒され私を頼る者がいます。私は――」

「行って下さい、騎士様」

 階段の下から声が上がった。階段を塞ぐように立っていた若衆たちが脇に退くと、村長が壁に手を突きながら覚束ない足取りで二階へと上がって来るところだった。

「隣の村に親類知人がいる者も多い。それに、自警団と駐在して下さっている兵士の方々だけでも多少の自衛はできます」

 村長は若衆たちへと下がるように視線で促す。

「…本当に宜しいのですか?」

「魔獣が村へ来たことは今まで何度もあります。騎士様が戻るまで、持ちこたえてみせます」

 老人の決意に満ちた表情にシーナは真っ直ぐな視線で応え、頷いた。

「隣の村へは一日弱の道のりです。どうかお気をつけて」

「昼までには戻ります」

 シーナはそう言うと、廊下の窓を開け、二階から飛び降りる。男が外へと目を向けると、一つの影が屋根を蹴り渡って村を駆け抜けてゆく姿が見えた。

「では、私は村人たちの元へと行かねばなりませんので…」

 村長はそう言い、階下へと下りて行く。若衆たちも後に続いた。

「…あの。あなたは行かないのですか?」

 最後に残った一人が、廊下から窓外を眺める男に向けて問う。

「俺がか? 何故だ?」

 男は言葉の意味が理解できないといった様子で訊き返した。

「何故って、あなたも騎士なんですよね? シーナさんや…当然村の者たちも命を賭けているのですよ?」

「…そうか。よくわからんが、行くべきなのか」

 ムッとしたように言い返す若衆に対し、男はそう短く答えると、部屋に戻り床に放られた刀を手に取った。

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