第16話 願いを込めて

「ねえ!次はあの出目金をすくってみてよ!」


「ふふ、良いわよ」


 尻尾を振る子犬のような子供達に、微笑みながら見守る彼。


 あれだけ暑かった日差しが、どこか心地の良い、木漏れ日の中にいるようだった。


 額を流れ落ちる汗が静かに水面を叩いて、のんびり流れる気泡を破っては消えていく。


 左手に持つ茶碗が微かに揺れては、子供達の歓声が上がった。


 そして親指を立てて、満足そうな彼の笑顔。


 この人は、本当に子供が好きなんだ。そう思わせる子供と同じ無邪気な笑顔。


 周りの目なんか気にせずに、心から笑う彼が羨ましくて、どこか眩しくて。


 早まる鼓動を蝉の声が膨張させて、耳が熱くなる。


 いつまでも、こうしていたい。


 緩やかに降り注ぐ光を浴びる、黄色く丸い向日葵のように、私も笑えているだろうか……


 腕を組み怒鳴り散らす父と、私に謝るように命令する母の歪んだ顔が、揺れる水面に捻れて消えていった。


「もう、勝手に行っちゃダメでしょ!」


 子供の顔に緊張が走って、苦い顔をしていた。


 小さな手から離れた黒いお碗から、二匹の赤い金魚が伸び伸びと泳ぎ出していた。


 私も忘れかけていた現状に、夢から覚めたように慌てて立ち上がった。


「お姉ちゃん!また金魚すくい教えてね!ばいばい!」


 母親に手を引かれながら、大きく描かれた虹のような別れの合図を、私も彼も、同じように描いて見送った。


「やべ、俺らも戻らなきゃ怒られちゃう。またね!」


「だな、焼きそば買ってもらおうぜ」


 足早に去って行く子供達が、すぐに人混みに吸い込まれて見えなくなる。


 ソフトクリームのような、大きな入道雲が遠くに見えて、寂しい風が心を通り過ぎた。


「あいつら、金魚置いて行っちゃったな。まあいいか」


 どこか切なく小さな笑顔のまま、彼は淡々と水中に落ちたままのお碗を回収していた。


「あ、あの!私も、こ、子供のとこに行かないと。いくらですか?」


 慌てて財布を取り出そうとする私に、彼は少し悪戯っぽく笑いながら、赤いハンカチを渡してくれた。


「お代は結構ですよ、細工したポイの口止め料ってことで」


「あんなの詐欺じゃないですか、良いんですか?」


「自分はただ、ボランティアで来てるだけですから。子供と楽しめれば良いかなって、マジシャン気分で作ってみたんですけど。やっぱり、だめですかね?」


「楽しかったから、今回だけ見逃しますよ。ふふ」


「はは、話の分かる人で良かった。最近はこう、難しい保護者も増えましたから……。あ、今のも内緒でお願いしますね」


 悪びれる様子もなく、また口の前で人差し指にキスをする彼。


「金魚、持って帰ります?お子さんも喜ぶと思いますけど」


「そ、それじゃあ。お願いするわ」


 なんだか彼に嘘がバレてる気がして、おかしな口調と慌てる自分がおかしかった。


 手際良くビニール袋に包まれていく、赤と黒の金魚達。風船のように酸素を入れたのか、パンパンに膨らんで、キュッキュと音を立てながら、袋の入り口を輪ゴムで縛っていく。


「飼育方法とかは、大丈夫ですか?あれでしたら、教えますけど」


「だ、大丈夫です!飼ったことありますし」


 今までペットなんて飼ったことのない私は、少し目眩がしそうになりながら、何故か彼にカッコつけようとしてしまった。


 彼は少し安心したように顔を緩めて、黒いマジックをエプロンから取り出して、金魚の入った風船のようなビニール袋に、何かを書いてから渡してくれた。


 長生きしますように。


 そう書かれた袋を受け取って、少し彼と微笑み合ってから、軽く頭を下げた。


「ありがとうございました。今度は、お子さんと来てくださいね」


 そう言って微笑む彼が、蜃気楼しんきろうのように消えてしまいそうで、腕の中で窮屈そうに揺れるビニール袋を、強く抱きしめた。

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