第15話 ひまわり

 自分の溜め息が熱を帯びて鼻にかかり、踊るような人々の流れに入れずにいた。


 やきそば・冷やしパイン・かき氷。そして金魚すくい。


 屋台の大きな文字が迫って来るような圧迫感と、耳を叩く祭りの音頭に唇を強く結んだ。


 やっぱり止めよう……


 勢いよく振り返ると、後輩に蚊でも見つけたように睨まれて、首を抜けそうなくらい左右に振っていた。


 私は肩を落として、再び金魚すくいの方に視線を戻した。


 パイプ椅子に座り、向日葵のように笑う彼、周りには男の子が三人、腰を丸めている。


 少し近くで見たら帰ろう。そう思いながら、なるべく自然を装って少し離れた屋台から、滑るように流れていった。


「ねえ!全然取れないよ!」


 青い虫眼鏡のような、網の残骸を振り回して、少年の声が聞こえてきた。


 あまり興味はないけれど、少し立ち止まって見てみよう。そんな嘘を自分に言い聞かせて、少年の後ろで立ち止まった。


「また破れたのか?全く下手くそだな。ほら、これ最後だぞ」


 彼は手入れのされていない眉毛を、片方上げながら、箱から新しいのを出して、少年に渡した。箱には、金魚ポイと書いてあった。


 あれって、金魚ポイって名前なんだ。そんなことを思っていると、箱を持ったままの彼と目が合ってしまった。


 少し離れた奥二重に、丸みのある上向きの鼻、薄い唇の右には、二本剃り残した髭が跳ねるように生えていた。


 決してイケメンでは無いし、タイプでも無かった。それでも、不思議そうに見つめてくる彼に緊張してしまった。


 眼球が逃げるように後退り、体が後ろに引っ張られる。


「そこのお姉さんが、お手本見せてくれるってさ!」


 理解が追い付かずにいると、三人の子供が目を輝かせて見つめてきた。


 クラクラする頭に言葉が出ないままいると、彼が笑顔でポイを差し出してきて、囁くように呟いた。


「お子さんとの交流にもなりますし、ぜひ」


 勘違いされていることよりも、彼の優しい笑顔と声に、嬉しくなっている自分が、恥ずかしかった。


「お姉さん上手なの?」


「ああ、上手もなにも、彼女は金魚すくいのプロだぞ!」


 おどけて答える彼に、ポイを持つ手が震えた。


「ちょっと!違います!」


 自分が思ってるより声が出てしまった。子供達は少し驚きながら、口を尖らせた。


「えー。違うのー?お手本見せてくれるんでしょ?」


 何も答えられずに、睨むように彼を見ると、微笑みながら小さな黒いお茶碗を渡された。


「いーや、お手本見せてくれるよ。彼女はプロだからね。そのお碗一杯になっちゃうかもよ?」


「うそだー!この人、下手そうだよ?」


 調子の変わらない彼と子供に、段々苛立ってきて、適当にやって帰ろうと思っていた。


 白い水槽に目を落とす。


 真ん中にある、ぶくぶくと泡立つ青い球から、円を描くように赤い金魚が流れていく。


 数匹いる太った黒い出目金が、面倒そうに小さなヒレを動かしていた。


 三人の子供が覗き込むように、私の震える手を見つめている。


 出来るだけ小さな金魚の下に、恐る恐るポイを忍ばせて、願うようにすくい上げた。


 音も無く、白い紙を金魚が突き破り、水中へと帰っていく。


「あーあ」


 子供達の悪気のない落胆の声に、お碗を持つ手に汗が滲んだ。


「今のは、悪いお手本を、あえて見せてくれたんだ。ですよね、お姉さん?」


 見上げると彼は変わらない微笑みで、赤いポイを私に差し出していた。


 私は、これ以上恥をかきたくないし、何だか彼にカッコ悪いところを見られるのが嫌だったから、首を小さく横に振った。


「大丈夫ですから、もう一度だけ、お願いします。ほら、子供が期待して見てますよ」


 そう呟く彼の手を払うことも出来なくて、破れたポイと交換してしまった。


「お姉さんは、これから本気を出すから、あの黒い出目金だって簡単に取っちゃうぞ。ですよね?」


 彼が試すように首を傾げながら言ってきた。


「本当かよー」


 呆れるような顔の子供達と、調子の変わらない彼に、いじめでも受けている気分だった。


 もうどうにでもなれと、投げやりに、黒い出目金へと、水面を切るようにすくい上げた。


 でっぷりとした鈍い黒が、ポイに吸い付くように乗ったまま、するりとお碗に入っていく。


「すげー!」


 自分が驚くよりも早く、子供達の歓声が上がり、胸が少し熱くなった。


 彼がどんな顔をしているのか見たくなって、顔を上げると、満足そうに親指を立てて笑っていた。


「お姉ちゃん、本当にプロなの?」


 目を輝かせている子供にも、何だかドキドキしてきてしまっていた。


「いや、たまたまだよ。プロなんかじゃ……」


 そう私が言いかけたとき、彼の声が響いた。


「そうだよ、彼女は金魚すくいのチャンピオンなんだ」


「ちょっと!チャンピオンなんかじゃないですって!」


「まあまあ、試しに、もう一度すくってみて下さいよ。きっと大丈夫ですから」


 流されるままに、金魚をすくってみると、簡単にお碗に入っていく。


 試しに、ぶくぶくと泡を出している青い玉をすくうと、難なく持ち上がり、空中でブスブスと不満そうに空気を吐き出し続けていた。


 興奮して歓声を上げる子供達を横目に、私は彼を睨んだ。


 彼は、少し驚いた顔をしてから、口の前で人差し指を立てて、息を吹き出していた。


「しー!」


「っぷ、あはは」


 完全に細工をされたポイに、詐欺じゃんと思いながらも、何だか必死に息を吹き出している彼がおかしくて、しばらく二人で笑い合っていた。

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