第7話 カッコ悪いプロポーズ
オレンジ色の常夜灯が照らす寝室の、時が止まった。時計は無情にも深夜一時を回り、止まることは無かった。
彼女の開ききらない少しの瞳から目が離せなかった。
ベッドから降りて、膝立ちしながら、目の前にいるのが俺だと認識して、少し微笑んだ。
「ん?」
違和感を感じたのか、彼女は左手の薬指に光る銀色の指輪を、不思議そうに見つめていた。
俺はもう生きた心地がしなくて、幽霊でも見たかのように、引きつった顔のまま、彼女がそのまま寝てくれることを祈った。
夢だと思ってもらおう、そう、これは夢なんだと言い聞かすように、彼女の瞳が閉じるのを息を殺して待った。
「……」
彼女は少し指輪を見つめたあと、大きく溜め息のように鼻から抜ける寝息を立ててから、瞳を閉じた。
危ない。助かった……
そう思っていると、彼女の顔が、常夜灯の下でも耳まで真っ赤になっている気がした。
頼む。二度寝してくれ……
「……んーーー?」
彼女が高い唸り声を出しながら、顔を隠すように布団を巻くって包まってしまった。
どうしよう、完全に起きてるし、指輪も気付かれてしまった……
それでも彼女の喜んでいるような反応で、胸が熱く、そして痛くなってきた。
彼女が、布団に包まったまま三回ほどウネウネと左右に転がりながら、何かを確かめるように奇声をあげていた。
「んー!ん!むー!え、え!っむふふ」
動けずにサナギから羽化する直前のような彼女を見守っていた。
まだ彼女は夢見心地で、半分寝ているんだと、そのまま転がったら満足して、寝息を立ててくれてくれるんだ。そうしたら、俺は彼女の指輪を回収して、カッコいいプロポーズの作戦を立てるんだ。
そう神にでも祈るように念じていたが、布団のサナギから、ゆっくりと右手が生えて、真っ直ぐ上に向かって伸びた。
そのまま俺に向かって小さく手招きを始めて、俺は覚悟するしかないと思った。
今ここで、彼女に想いを伝えるしかない。
でも、何て言おう。
伝えたいことが多過ぎて、泣きそうな顔になりながら、ただ彼女の手招きを見つめることしか出来なかった。
「……きて」
彼女の吐息のような小さな声を消すように、冷たい空気を運ぶ薄い窓から、車の流れる音が響いた。
「……え」
「……はやくきて」
俺が恐る恐る近づくと、彼女の上げられた右手が布団に戻り、そっと彼女の綺麗な瞳だけが布団から覗くように出てきた。
「……ねえ」
「……う、うん」
「……」
「……」
「ねえ」
「……」
目の前で彼女の目がキラキラと光っているようで、必死でおねだりをする子犬のような真っ直ぐな瞳を前に、緊張のあまり動けずに見つめていた。
彼女は俺の言葉を待っていた。それは分かるのだけれど、心が追い付かずに、ただ緊張に溺れていた。
「……むー」
彼女の顔が布団に引っ込んでしまった。
俺はもう、ただ胃が痛くて、これが夢であってほしいと願って止まなかった。
「……あなたが言ってくれるまで、布団に入れてあげない」
「……」
「……」
少しの沈黙のあと、俺は何も考えられなかった。
何かに突き動かされるように、彼女の顔が布団から出るよう、そっとめくった。
彼女は指輪をはめた左手を、口元で大事そうに握って、泣いていた。
静かに開く瞳から涙が溢れ出て、俺は頭が真っ白になった。
「……結婚しよう」
彼女は、見たこともないような優しい笑顔になった。一筋の涙が右目から流れる。
「……はい」
俺は彼女を抱きしめて、いつまでもキスをした。
彼女に会えて良かった。
ただ、その気持ちだけが胸を満たしていく。
これからも、ずっと、永遠に一緒に居たい。
君のことを愛していたい。
君に愛されていたい。
いつまでも、一秒でも長く、君のそばに居たい。
きっと、この日のために生きてきたんだ。
溢れ出す想いを乗せて、彼女がどこかへ行かないように、その唇を離したくなかった。
溶けてしまいそうな彼女の身体を抱きしめながら、確かめるように小さな頭を撫でていた。
気が付けば、窓から薄く柔らかな日の光が差していた。
抱きしめた彼女の甘い声が、俺の心臓に直接響いた。
「ねえ。プロポーズ。なんだよね?」
「……う、うん」
「寝てる間にプロポーズしようって思ってたの?」
「……」
胸元から上目使いに見つめる彼女に、何も答えられずに息を飲み込んだ。
「え。違うの?」
「う、その、ごめ……」
ごめん。そう言いかけた口を、彼女の唇が優しく包んでくれた。
「言わないで。ふふ、あなたらしいわね」
俺はただ、恥ずかしくて頭を掻くことしか出来なかった。
「ねえ、ちゃんとプロポーズしたかったんでしょ?」
彼女の悪戯な笑顔に、いつも以上に胸が高鳴る自分がいて少し驚いた。
「……うん」
「っぷ。あはは、素直じゃん」
楽しそうに笑う彼女に、悔しいけれど可愛いとしか思えなかった。
「ふふ。いいよ、もう一度だけ、プロポーズさせてあげる。指輪も一旦返すよ」
「いや、でも……」
「いいの、私はもう充分幸せだから。あなたの、最高にかっこいいプロポーズも見てみたいしね」
「ハードル上げるなよ……」
「ふふ。愛してるわ、あなた」
急なタイミングでキスをされて、何もかも見透かされているようで、俺のしたいように、自分から身を引いてくれるような優しさが、何だか嬉しくて愛おしかった。
「ねえ、今夜だけは、このまま指輪付けてて良い?」
「え?う、うん。もちろん」
「ふふ、ありがとう。これが夢だと思いたくないから、このまま寝よ。おやすみ、あなた」
「うん、おやすみ。俺も愛してるよ」
「ふふ、プロポーズ楽しみにしてるからね。おやすみ」
そのまま、満足そうに眠りに落ちる彼女をしばらく見つめてから、今の気持ちを抑えられなくて、俺は手紙を書き始めた。
出来るだけ早く、今すぐにでも、彼女に最高のプロポーズをしたかった。
彼女が起きたら、この手紙を持って出かけよう。
ちょうど二人とも休日なのが運命と信じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます