第5話 初デート?

「お客様、かゆい所はございませんか?」


「え!あ!はい、だ、大丈夫です」


「ふふ」


 どうしてこうなった……


 彼女にどこか行きませんかと誘われて、場所は私が決めても良いですか?なんて言われたから、何も考えずに来てみたら、これは……


「それじゃあ、切っていきますねー」


「え、あ、はい……」


 サクサクと銀色の細いはさみが俺の髪を落としていく。鏡のように磨かれたクリーム色の床に。


 黒髪の綺麗な女性が、鏡越しに優しく微笑んでいた。


 ただでさえ慣れない場所に緊張してるのに、その笑顔があまりに可愛くて、被せられた白い布の中で子供に戻ったように、ソワソワと自分の太ももをさすっていた。


 鏡に映る自分が、なんだか情けなく、非常にダサい気がして、見ていられなかった。


「普段どちらで髪、切られてるんですか?」


「……千円カットです」


「あー、だからモテないんですねー」


「……うるさいです」


「あれ?お客さん、この前の威勢はどうしたんですか?」


「……こんなとこで、怒れないの、知ってて言ってますよね」


「ふふ、ばれました?」


「そりゃ分かりますよ。それより髪の毛、染めたんですか?」


 彼女は黒いショートボブになっていた。眉毛も黒くしっかりと描いたみたいで、一気に大人っぽくなっていた。こんな綺麗な人と付き合えたら幸せだろうな……


 そんなことをぼんやり考えていたら、とんでもないことを聞かれた。


「ええ、黒くしてみたんですよ。どうです、似合ってますか?」


「……う」


 言葉が詰まってしまった。似合うも何もなかった。似合いすぎている。


 艶っぽい黒髪に、控えめな化粧は綺麗な鼻筋を目立たせていて、薄いピンク色の唇は触れてみたくなるほど輝いていた。大きく開いている二重の瞳は、ずっと見ていたい宝石のようだった。


 つい先週に会ったパンクロッカーは別人だった気さえしてしまうが、少し悪戯いたずらっぽく首を傾げて返事を待っている綺麗な彼女は、間違いなくビールを中ジョッキで飲みながら大笑いしていた女だった。


 早く返事をしなければ、似合ってますよって言わなきゃ、いや、でも、前のパンクロッカーみたいな感じも可愛かったですよとか言った方が良いのかもしれない、ストレートに可愛いですって言いたい、いや、でも……


「う?」


 彼女が鋏と櫛を持ちながら俺の情けない言葉を繰り返して、髪を切るのを中断してしまった。俺が返事をするまで待つつもりなのか、早く言わないと……


「う、う……」


 胸が緊張でギシギシと痛んだ、頭が熱くなって、鏡に映る自分と目が合って離せなくなってしまった。顔が真っ赤になっているのに気がついて、急に恥ずかしくなった。


 赤面してるのを気付かれたくなくて、自分に落ち着けと言い聞かす度に顔が赤くなっていた。


 小さなリスのように、可愛く首を傾げていた彼女の顔が、ゆっくり俺の顔の真横まで降りてきた。


 鏡越しに目が合って、抑えようにも緊張が溢れ出すように鼻息となって、外に音を出して出ていくのが恥ずかしかった。


 何も言えずに軽く過呼吸になりながら、耳元で息でも吹きかけられるのかと思っていたら……


「あなたが黒髪が好きって言うから、変えたんですよ」


 抗えなかった。


 鏡に映る自分の顔は、これ以上赤くならないだろう、無意識に目が見開いてしまっている。


 身体中の毛穴が開きながら、鳥肌が立ったような衝撃に打たれた。彼女の顔を見れなくなって、キョロキョロと荒い息を吐きながら辺りを見回す自分が、迷子の子犬のようで、こんな顔を彼女に見られたくなくて、たまらなかった。


「う……」


 似合ってますと言いたくて仕方がないのだけど、上手く話せなかった。


「ふふ」


 彼女は、返事が無くても、笑いながら髪を切り始めた。さっきの、悪戯っぽい笑顔ではなくて、優しくて可愛い笑顔に、ずるいと思ってしまった。


「嘘ですよ今の」


「え?」


「後輩の練習相手したんですよ、カットと黒く染めるの。もしかして、本当に自分のために染めてくれたかと思っちゃいました?」


「な、な、なに言ってるんだか!」


 自分でもなにを言ってるのか分からなかった。もっと良い返答が出来なかったのかと即座に後悔していた。


「ふふ、分かりやすい人なんですね、せんせ」


 君に先生って呼ばれると、胸が痛いから止めてくれ。そんなことを言いたいくらいだった。


「すみません店長、少し確認が……」


 まるで高校生くらいに見える幼い女子が、彼女に向かってコソコソと話かけていた。彼女が店長?まさか……


「うん、分かった、ありがとう。すみません、少しお待ちくださいね、お客様」


 何とかロボットのように、カクカクと頷くのがやっとだった。


 先週会ったばかりで、こんなに意識してしまうとは夢にも思っていなくて、そんな自分に驚いていた。


 確かに今まで女性が苦手で接触は避けてきた。


 学生の頃も好きな人は居ても話したことなんか無かった。生徒の保護者は別に婚約しているし、仕事として接しているので、こんな変な緊張もしたことが無かった。


「お待たせしました、何か読まれますか?」


 彼女が三つ、雑誌を持ってきてくれた。よほど緊張しているのが伝わってしまったようで、恥ずかしかった。


 見たこともない、かっこいいメンズファッション雑誌、家電特集、ゲームの雑誌。なんだか悪意のある三択に、恐る恐る彼女の顔を覗いたら、悪戯っぽい笑顔で少しの間固まってしまった。


「お客様?」


「あ、あ、ありがとう」


 俺は、迷わずかっこつけて、メンズファッション雑誌を手に取って、パラパラと読み始めた。高級ブランド品ばかりで、とても縁が無さそうな内容だった。


 サクサクと心地の良い音が彼女の手から聞こえ始めて、このまま永遠に髪を切っててもらいたかった。


 雑誌の内容なんて入ってこなくて、雑誌を読んでるフリをして、真剣に髪を切っている凛々しい彼女の顔を見ていた。


「はい、これで終わりです。軽く髪流しますね」


「は、はい」


 また彼女に頭を洗ってもらえると思って、ソワソワと立ち上がると、さっきの高校生に見えるような女子が近づいてきた。


「それじゃあ、お願いね。その子、研修中で、シャンプーの練習相手になってあげて下さい。ね?」


「失礼します!よろしくお願いします!」


「は、はい、お願いします」


 残念に思うのが顔に出ないように必死に歩き出した。少しこれで落ち着けると思いながら洗面台へと頭を下ろした。


「それでは、流してからシャンプーさせて頂きますね」


「お願いします」


 お湯の流れる激しい音に、燃えるように高なった胸が落ち着いて、消火でもされているような気分だった。


「あのあの……。店長と付き合っているんですか?」


「んあ!」


 予想外の攻撃に思わず立ちあがりそうになった。


「ち、違いますよ!先週会ったばかりです!」


「え!そうなんですか!店長、男性の髪は切らないんですよ、男性苦手らしくて」


「え?そうなんですか?」


「あ、やば、店長こっち見てる。あはは、そういうことで、店長をよろしくお願いしますね」


「は、はい」


 濡れた髪を拭かれながら、さっきより緊張して彼女のところに戻ることになってしまった。


 彼女の細くて白い指とドライヤーに髪を流されながら、妙に口に力が入ってしまい、踏ん張っているような顔の自分がおかしかった。


「はい、乾きましたよ。あの子、何か言ってました?」


「え!な、なにも!聞いてません!」


「ふーん、それなら良いですけど。今日は、この後出かけられますか?ワックス付けます?」


「え?あ、お願いします」


「ふふ。かしこまりました」




「こんな感じですが、いかがですか?」


 手持ちの折り畳める二面の鏡で、後ろ髪も見せてもらった俺の髪は、もっさりした伸び切ったスポーツ刈りから、爽やかなショートモヒカンになっていた。上げられた前髪に違和感もあるけど、なんだか生まれ変わったような新鮮な気分だった。


「うん、すごく良いよ!ありがとう」


「あ、ちょっと待ってくださいね」


 彼女が正面に回って、驚く間もなく、キスをする距離まで顔が近づいていた。俺はもう、呼吸を忘れていた。


「そのまま動かないで下さいね」


「っえ、え」


 彼女が少し優しく微笑んでから、眉毛を剃り始めてくれた。それにしても、近すぎて全身に力が入ってしまう。


「はい、じゃあ、これで終わりです。お会計行きましょう」


「は、はい」


「お会計四千五百円になります、当店のスタンプカードお作りしますか?」


「……はい、お願いします」


「はい、ありがとうございました」


 彼女と美容院のドアまで一緒に歩く。ガラス張りの向こうは、まだ午前中の眩しさの中、色々な人が無表情に歩いている。


 彼女がドアを開けて抑えている。


「それでは、またお越し下さいませ。ありがとうございました!」


 綺麗な営業スマイルのまま、お辞儀をされた。


「あ、ありがとうございました……」


 そのまま、いつも通る商店街の道を歩き出す。


 はめられた。最初から営業だったんだ。よく聞くキャバクラや、付いて行ったら高い壺を買わされたのと一緒だ……


 なんて愚かなんだ、俺は……


 ショックで三分も歩かないうちに、自動販売機の前で立ち止まって携帯電話の、彼女とのメールを見つめていた。

 

 はー、俺は一生、彼女も出来ずに死ぬんだろうな……


「お昼。なに食べに行きます?」


「え?」


 真後ろから話しかけられて、振り返ると、首を傾げながら悪戯に笑う彼女がいた。

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