第2話 救いのない男

 俺はゲートをくぐって、外に出た。あの日と同じ澄み渡る青空が胸を締め付ける。


 ただ、ごく普通で当たり前のように幸福が歩いている、肌に刺さる寒さの中で手を繋ぐカップルを見て思った。


 きっと俺とは産まれ付き住む世界が違うのかもしれない。あの幸せは、誰かが引き裂いたりして良いものだろうか……


 こんな青空じゃなくて、雪でも降ってほしかった。その白さで何もかもを見えないように埋めてほしかった。いや、いっそ槍でも降ってきて死ねたら楽なんだろうけど。それは自分勝手過ぎると分かっていながら、救いのない道を歩いていた。


 行かなきゃいけない場所がある、とりあえず行こう。どう死ぬかはその後に考えたらいい。


「いらっしゃいませー」


 安いそば屋の中から元気な声が響いてきた、食券をサラリーマンが慣れた手付きで買っている。


 最後の晩餐か……


 今から無責任に死のうとしている俺に、食べる資格があるのか分からないけど。どんなに辛くて後悔していても、身勝手に腹は減るものだ。身体からしたら、勝手に後悔しているのは俺の方なんだろうが、後悔しないで生きることは、どうやら無理みたいだと、もう分かった気がしていた。


 食券を渡して、かけそばを受け取り、何も考えないようにして席に座った。疲れた顔のサラリーマンが、迷惑そうに騒いでいる子供連れを横目で見ていた。


「おそばおいしいね!ママにも食べさせてあげる!」


「ふふ、ありがとう。優しい子を持ってママは世界で一番幸せだよ」


「ちがうよ!」


「あら、なんでかな?」


「いっちばん、しあわせなのはね、ぼくだもん!」


「ふふ、じゃあママは二番目に幸せだね、パパは何番目?」


「うーん。ろくばんめ!」


「ぷ、はは、おっかしー」


 薄暗い店内で、そこだけ陽が射しているような明るさに、胸が締め付けられた。


 こんな俺にだって、昔は自分の子供を持つことを夢に見てたりしたんだ。今は、そんなこと願うことも許されない、分かっている、住む世界が違うんだ。


「続いてのニュースです、十五年前に起きた痛ましい事件。その後を追ってみました。事件が起きたのは……」


 小さな四角いテレビから流れてきたニュースに、身震いを起こしてしまった、これが他人事ならどれだけ良いだろうか。小綺麗な女性のキャスターと、司会のスッキリとした髪型の男性が難しい顔をして、事件当時の映像を見ていた。


「十五年の刑期を終えて、本日、釈放されますが、どう思いますか?」


「いや、世間ではね、殺人を犯した男を死刑にするべきだとか、死刑そのものの廃止だとか、様々な話が飛び交っているけれど。殺された女性はね、プロポーズを受けて、結婚を控えてたらしいじゃないですか。そんな幸せの真ん中で起きた事件なんですよ、これは」


「ええ、そうですね。状況がどうであれ、人を殺すのは大きな罪ですね」


「僕も結婚して子供もいるから、言わしてもらいますけどね!僕が殺された女性の婚約者や親なら、こいつを殺したいって思いますよ!こんなことをね、ニュースで言ったら叩かれるとかね言ってる場合じゃないんですよ、今後、どうしたらこんな事件が起きないようになるか、僕はね、本当に考えていきたい」


「金属探知機の導入はされましたが、最近の物騒な世の中では、殺人が園内で起きなくなるだけで、駐車場で起きるだけだという意見もありますね」


「しかもね、犯行の動機が、もう無茶苦茶じゃないですか!ただ、自分が遊園地で振られて置いてかれてね、数年引き籠もって、幸せそうなカップルを、誰でも良いから刺してみたかった。ですよ?当時二十五歳ですよ?そんな男が、たった十五年で出てきて、普通に僕達の横を歩いてるかもしれないんですよ?」


「そうなりますね。刑が軽いのでは無いかという声も多く、犯罪者の再犯率も、また注目されています」


「もしかしたらね、このニュースを被害者の婚約者や家族が見ているかもしれません。僕なんかに、かけれる言葉じゃないですが、どうか生きてほしい。僕だったら犯人を殺して自分も死のう、そう考えるから」


「また、加害者の家族がマスコミに追われて疲弊してしまうことも、問題になってますね。これは私たちの課題でもありますが……。では、続いてのニュースです」


 すっかり、そばが伸びてしまった、伸びていなかったとしても、もう食べる気にはなれなかった。返却口に置いて、外に出ようとするが、自動ドアが反応せずに、あたふたしてしまう自分が嫌だった。


 早く楽になりたかった、急ごう。


 自分でもどう帰ってきたか覚えていないが、何とか実家に来れたみたいだ。死ぬ前に親に謝っておきたかった。


 引っ越した後の住所は聞いていたが、これは……


「おい!来たぞ!カメラしっかり回しとけよ!よし、いこう」


 十人程の取材陣に囲まれてしまった。少し離れた場所で、携帯電話を構えた様々な人の睨む目が、脳に刺し込まれる。背中にぬるい汗が流れるのを感じる。頭が遠くにいきそうだった。


「えー、たった今、釈放された男性がやってきました!今のお気持ちは!」


「被害者の家族への対応は、どうされていくつもりですか!」


「おい!人殺し!うつむいてないで、なんか言えよ!」


 野次馬からの罵声にも、気が遠のくのを感じた。腕がガタガタと震えて止まらない。弁護士に今は、加害者側の人権もあまり守られておらず、もしかしたら、家で待ち伏せているかもしれないとは、聞いていたが、覚悟が甘かった。


「……申し訳ありませんでした」


「申し訳ないで済む問題ではないですよね?今後どう償っていくつもりですか?十五年の刑期で償ったつもりですか!」


 俺は過呼吸で意識が遠のきそうになりながら、小さな声で何度も謝り、逃げるように玄関の扉を開いた。


 理解が追いつかなかった。薄れる意識に緊張が走り、靴も脱げずに閉まる玄関に背を押された。


 母が俺に包丁を向けて、そこに立っていた。

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