依頼Ⅱ⑤

 事態が全く飲み込めていない眞由に、音葉はかいつまんで猟犬との出会いとこれまでの都市伝説フォーク・ロアが関わる事件について説明した。

 二度、自分自身の目で『ツチノコ』──『野槌』を見たからだろう。眞由は音葉の説明の全てを理解することは出来なかったが、疑うことはしなかった。


「というかそれって先輩たちの『心霊研究会』ってマジモンのマジってことだし……?」

「ええ、マジモンのマジってことです」


 口をぽけーっと開きながら、眞由は猟犬を興味深そうに観察する。猟犬がどういう存在であるかも説明したのだが、眞由にとっては恐怖よりももふもふの体毛への興味が勝ったらしい。

 猟犬自身もその好奇の視線への嫌悪はないらしく、わざとらしく尻尾をふりふりと振っていた。ちなみに前回も先ほどまでも尻尾は生えていなかった。どうやら人型を取っているのと同様、自身の意思で姿を変えられるらしい。尻尾が眞由へのサービスだと考えると、本当に人間に対して友好的のようだ。友好的というかどちらも気安すぎる気もする。


「お姉さん、名前なんて言ったし?」

「『ティンダロスの猟犬』です」

「えー可愛くない……それに呼びにくいし! 犬っぽいしポチって呼んでもいいし?」

「流石にそれは……」

「好きに呼んでくれていい」


 何が逆鱗に触れるかも分からないとはらはらしていた音葉は物凄い勢いで猟犬に振り向いた。


「それにこうして二度も君と巡り合ったんだ。私という個体として認識してもらうのも悪くはない。君もポチと呼んでくれて構わないよ?」

「……それではポチさん、と……」


 先入観があるから警戒しすぎてしまっているのか、いやいやそれでもいくら何でもポチはないだろうと内心承服しかねながらも、本人がそう言っている以上は音葉も呼び方を改める事にした。ティンダロス改めポチ。冒涜が過ぎる気がした。


「さて、役者も揃った事だし話を進めようか」


 振っていた尻尾を消し、残念がる眞由を尻目にポチは話題を元に戻す。即ち奏を今も冒し続ける『野槌』の話だ。


「そう、力を貸してくれるというのは本当ですか……?」

「君が疑うのは当然だ。我々と相対するならば、深淵を覗き込むならば、その警戒心は常に抱いておくべきものだ」


 音葉にとってポチは恩人ではあるが、あれは『紫の鏡』が猟犬である彼女の嗅覚に引っ掛かったから。時を侵した者を永遠に追い立て、狩るという猟犬の性質があったからだ。

 だが今回の『野槌』には時を侵す要素があるとは思えない。もしその要素があるならばポチはわざわざこの場に現れる事なく『野槌』を狩っているはずなのだから。


「本来であれば『野槌』は私の管轄の外、だがそれは私が捕捉出来ないというだけだ。我々……そうだね。そちらの呼び名も明かしておこうか。対攻神話プレデター・ロアと称される我らの使命、宿命は都市伝説フォーク・ロアを含むありとあらゆる神話に対攻し、侵す事。そうあれかしと我らはこの世界に生まれた」

対攻神話プレデター・ロア……」


 都市伝説フォーク・ロア対抗神話カウンター・ロアに続く第三のロア。『クトゥルフ神話』のもう一つの呼び名。もう一つの深淵の名。

 その名を反駁して音葉はまた一歩、非日常の世界へと足を踏み入れた事を嫌でも実感した。


「それじゃあ、今また私の前に現れたのは……」

「君を介して都市伝説フォーク・ロアを捕捉した以上、私はその宿命に従って『野槌』を淘汰する。それは結果として彼女を救うことになるだろう」

「私と一緒なら時を侵さない『野槌』の都市伝説フォーク・ロアを淘汰出来るから現れた、そういうことですか」

「明確な悪意を持つ神性もいるが、少なくとも私たち猟犬は単純な機構、システムに近い存在だ。だから本来は今のようにこじつけめいた理不尽な理由で顕現することはない。これは私が意思を持ったが故だね」


 つまり本当にレトルト食品の賞味期限が過ぎていたから、という冗談みたいな理由で音葉の前に現れたということ。都市伝説フォーク・ロアも大概だが、それ以上に理不尽すぎる理由だ。だが今はそれがありがたい。


「よく分からないんですけど、ポチの力があれば先輩を助けられるってことだし?」

「結果的には、だけれどね」

「マジ神!」


 それはギャグで言っているのかと真顔でツッコミたくなった音葉だがぐっと堪えた。


「それならすぐにでも……!」

「気持ちは分かる、とは言わないが夜まで待つ事をおすすめするよ」

「どうしてですかっ? 私が一緒なら今からでもあの場所に行けるんじゃ……」


 元々奏は今回の依頼に乗り気ではなかった。それを宥め、依頼を請けさせたのは音葉だ。

 今も苦しみ続ける奏を思えば、居ても立っても居られない。すぐにでも『野槌』を退治し、その苦しみから解放してあげたかった。


「君たちだけならば問題はないだろう。けれど今、私が外に出れば衆目に晒される事になる。そうなれば多かれ少なかれ混乱が生じ、騒ぎが起きる。するとどうなると思う?」

「どうって……仮に騒ぎになって警察沙汰になったとしてもまさかあなたが捕まるなんて事はないでしょう……? 人間から逃げるぐらい、あなたなら簡単なはずです。あなたがいた証拠も何も残らず、足取りも追えないとなれば私も精々注意されるぐらいで済みます」


 警察という分かりやすい単語に眞由が目を開いたが、今の音葉は国家権力の影に尻込みするつもりはない。

 たとえ自分の経歴に傷がつき、法の道を志す法学部の学生でいられなくなったとしても構わないとすら思っていた。


「問題はその後だよ。騒ぎが起こり、謎が謎のままに沈静化したとしてもその不可思議な記録は残る。その不可思議な記録は見る者が見れば我々の存在に気付き、そして君たちにも行き着く」

「見る者……?」

「我々の力を借りているのが自分たちだけだと思っていたのかい? まさか。君のように偶然ではなく、明確な意思と目的を持って我々を使役しようとする者、神と崇めて信奉する者は大勢いる。そして彼らは自分たち以外が自分たちの神の力を扱う事を酷く憎む。そんな彼らと君はこれからずっと戦い続けるつもりかい?」


 ポチの態度は変わらず温厚だ。けれど音葉は背筋にうすら寒いものが走るのを感じた。

 ロアたちと相対する時とは違う、人の悪意に対する恐怖心。同じ人間が悪意を持って自分たちを害するかもしれないという生々しい恐ろしさ。それが音葉に冷静な思考を取り戻させた。


「……MIBメン・イン・ブラック


 陰謀論は専門外だと奏は語っていたが、MIBもその一種だ。

 UFOや宇宙人、未確認生命体と接触を果たした人間の前に現れ、目撃者の口を封じる秘密組織。それに類する何か。

 そういうものがあるかもしれない、と考えていないわけではなかった。だがこれまでも一度たりとも影も形も見せなかった存在について、まさか猟犬である彼女から忠告されるとは思わなかった。


「彼らは教団と名乗っていたかな。北欧神話の反逆者と共に彼らと何度か戦った人間もいるようだが、君たちにはそんな力はない。目の前の脅威から身を守る事で精一杯だろう」

「……分かりました。夜を待ちましょう」


 今回の事件を解決しても、その後にそんな組織との戦いの日々が訪れるのでは意味がない。

 日常を守り、日常の中で生きていくことこそが音葉の望みなのだから。


「賢明だ。戦う事が愚かだとも言わないが」

「戦わないことで守れるものがあるなら、私はそうします」


 教会と戦ったという誰かは戦うことでしか守れない何かがあったのだろうか。

 猟犬の力を借り、『野槌』を倒す事を選んだ音葉のように。

 それが誰であるかも知らない音葉には理解できない事だった。


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