ツチノコ
依頼Ⅱ①
「先輩! お力を貸してください!」
駅前に位置し、昼時の為かそれなりに人の入ったファストフード店の店内に悲痛な叫びが響き渡った。
声の主は金髪にTシャツとデニムパンツというラフな姿の女性。ボブヘアーの隙間から覗く耳には複数のピアス、Tシャツの丈は短く、臍が露わになった挑発的な装いをしている。
そんな彼女がその姿に似つかわしくなく、対面に座った二人の女性にテーブルに打ち付けんばかりの勢いで頭を下げていた。
「おっちゃん、そっちのソースちょーだい」
「あ、はい」
「聞けし!」
頭を下げられた二人、久守音葉と兎羽奏はそれぞれ困惑と無関心を表情で表しながら、一人はナゲットを咀嚼している。
困惑を浮かべていた音葉だったが、女性の剣幕に気おされたのか、おずおずと手を上げた。
「あの、私には何がなんだが……急に奏さんに呼び出されただけなので」
言葉通り、音葉はほんの十分前まで大学で講義を受けていた。
講義が終わり、スマートフォンを確認すると奏から着信とメールがあり、理由も分からないままこのファストフード店に呼び出されたのだ。
来店して奏と女性の姿を見つけたが、奏にとりあえず注文してきなよ、と促され、購入したセットを手に戻った途端に頭を下げられてもまるで何のことが状況が把握できていない。
呼び出した張本人である奏はこの調子で、女性に取り合おうともしていない。
「だから助けてほしいって言ってるし!」
「あの、もうちょっと声のボリュームを……」
店内の視線が集まるのを感じ、音葉が嘆願する。注目を浴びるのは慣れていなかった。
「奏さん、説明してもらえませんか?」
「んむっ……んーっ?」
呑気にナゲットを頬張る奏はそれを飲み込むと、面倒臭そうに顔を顰める。
その様子からこれは面倒事の道連れにされたのだと音葉は悟った。
「私、こういうタイプは苦手なんだよね。何言ってるか分からないし。だからおっちゃんが話を聞いてあげてよ」
道連れどころか丸投げだった。
「ではまずお名前と年齢、ご職業を……」
「
人の良さか、それとも諦めからか、音葉が会話を試みると女性は素直に応じた。
それを意外に思ってしまうのは音葉も彼女の容姿から苦手意識を抱いていたからだろう。
「私は久守音葉と言います。年齢は二十で、法学部に在籍しています」
「先輩も先輩だったんだ!」
「はい、一応……そうなります、ね?」
しかし彼女、鹿賀子眞由が今まで関わりがなかったタイプの人種には違いない。
未知との遭遇に音葉の腰は知らず引けていた。
「それで奏さんに助けてほしいこととは一体……?」
「『ツチノコ』退治に協力してほしいんだし! いや、ほしいです!」
「……はい?」
音葉は目を丸くして聞き返し、奏は音葉が注文したカプチーノに口をつけた。
◇ ◇
『ツチノコ』。
体長三十から八十センチ。三角形の頭にくびれのある体、尾を細く短い。
一九七〇年代に日本中に大ブームを引き起こした
目撃証言は全国各地に及び、各地で賞金が懸けられ、最高額は三億円に上ったという。
「ええと、その、つまり鹿賀子さんはツチノコを目撃したと?」
「そう! あれは間違いなく奴だったし!」
「……」
白けた態度でストローを口に咥えていた奏に助けを求めて視線を向けると、奏は大きく溜息を吐き、ガシガシと後頭部を掻き毟った。
「それで? なんでそれを私にお願いするわけ?」
どうやら既に面倒を通り越して不機嫌に至っているらしい奏は、それを隠すことなく態度で表して高圧的に尋ねる。
「先輩はなんかそういうのに詳しいって聞いたし! なんかサークルもやってるんでしょ?」
「は?」
音葉が今まで聞いた事のないぐらい低い声だった。
恐らくは『心霊研究会』をUMAハンターと同一視されたのが気に入らなかったのだろうが、正直な所、音葉には心霊もUMAも大差のないオカルトとしか思えなかった。
「お断りだね。うちはそんなくだらないことにかまけてる暇はないんだ」
「そんなこと言わずに後輩を助けると思って!」
「見ず知らずの失礼な奴に差し伸べる手はないよ。だいたいツチノコなんて卵か何かを丸のみにした蛇か、逃げ出したトカゲか何かの見間違いでしかない。退治したいって言うなら保健所にでも連絡しなよ」
「まともに取り合ってもらえるわけないじゃないですかぁ!」
「私だって取り合わないよ」
身を乗り出す眞由から顔を背け、これ以上話す事は何もないと立ち去ろうとする奏を引き留め、音葉が宥める。
眞由の目撃したというツチノコの存在を鵜呑みには出来ないが、わざわざよく知りもしない奏をからかうような人間にも思えない。少なくとも困っているのは確かだ。
「そのツチノコは何処で見たんですか?」
「街外れの雑木林だし。寂れた運動場の近く」
それが何処であるかはすぐに分かった。通学途中の電車内からも見える場所だ。
サイクリングロードやランニングコースとして人通りこそ多い場所にあるが、眞由の言葉通り、運動場自体はあまり利用されている様子のない寂れた様子だった。ただ大学の一部のサークルは時折利用していると聞いたことがあった。
確かにツチノコ──蛇やトカゲが出そうな環境ではある。
「けれどどうしてわざわざ退治なんて? あそこで何かに襲われたなんて話は聞いたことありませんし、鹿賀子さんも無事ならそれでいいのでは? 触らぬ神に祟りなしと言います」
「うっ……うん。別に退治まではしなくてもいいし。でも、ツチノコがいる場所になんてもう一人じゃ近づきたくないし」
奏の塩対応と音葉の丁寧な物腰にしゅんとした様子で取り下げた眞由に、やはり悪い子ではなさそうだと音葉は評価を改める。
奏は乗り気ではないが、詳しい事情を聴くべきだと言葉を続けた。
「あの周辺にはよく行かれるんですか?」
「ちっちゃい頃はよく。近所だったから。……昔、あそこにタイムカプセルを埋めたんだし。それを掘り起こしたくて、昨日久しぶりに行ったら、出たんだし」
「タイムカプセル?」
これも懐かしい単語だ。
音葉には埋めた経験はないが、けれど少し妙だとも感じた。
「掘り起こすにしては随分と早いような気もしますが」
タイムカプセルを埋めておく期間の相場は知らないが、眞由はまだ十八。たとえ十年前に埋めていたとしても、タイムカプセルを受け取る年齢にしてはまだまだ若すぎる印象がある。それに普通は何人かで一緒に埋めるものではないだろうか? 一人で埋め、一人で掘り起こすものだとはあまり思えない。
「……約束した年はまだ先。でもどうしても今、カプセルを開けたいんだし」
言葉を濁す眞由に、あまり立ち入られたくない理由があると判断する。タイムカプセルには思い出を詰めるものだ、それも当然かと音葉はそれ以上追及することはしなかった。
「つまりタイムカプセルを掘り起こしさえ出来ればそれで構わないということですね?」
眞由は小さく頷き、目を潤ませて音葉を見つめた。
涙は女の武器とは聞くが、同性であっても効果は絶大らしい。
「でしたら私が付き添います。蛇ぐらいなら私の住んでいた田舎では珍しくもなかったので、追い払うぐらいは出来ます。それでどうでしょうか?」
「本当!?」
一転して目を輝かせて詰め寄ってきた眞由に身を引きながら音葉は頷き返したが、それが面白くないのが奏だ。
音葉をこの場に呼んだのは奏だが、それは眞由に協力させる為ではない。むしろその逆、会話するのも疲れる眞由を断って諦めさせるために呼んだのだから。
「ちょっとおっちゃん、どうして力を貸す方向で話をまとめるのさ。会長は私なんだけど?」
「これは『心霊研究会』としてではなく、私が個人的に引き受けた頼みですし……」
むくれる友人を困り顔で諭す音葉だが、奏には逆効果だった。
「なにさ、私の誘いはずっと断って関わらないようにしてたのに、UMA退治は簡単に引き受けるんだ?」
「いえ、だから退治するわけでは……」
兎羽奏は案外過去のことを引きずる女であった。
片思いの末、ようやく友人となった音葉が相手だからというのもあるが、ぽっと出の眞由に親身になる音葉がどうしても面白くない。
「音葉ちゃんにとって私って何なの!?」
「どうしたんですか急に!?」
流石にその発言は本気でしているわけではないが、感情を持て余した様子の奏をどうしたものかと音葉は思案する。
音葉自身、奏と同様に友人に乏しく、こういった時の対処法は習得していなかった。だから素直に気持ちを伝えることしか出来ない。
「私にとって奏さんは唯一と言っていい友人ですし、命の恩人です。比べる対象が少ないので薄っぺらい言葉になってしまいますが、私の一番大切な人です。もっと早くに出会っていれば、もっと早くに私が意地を捨てていれば、そう思わずにはいられない、大事な友人です」
「あ、う……藪蛇だったかぁ」
そして当然、そんな真っ向からの好意を向けられた経験のない奏ではその気持ちを受け止め切ることは出来ず、頬を赤くして俯いた。
袖にされ続けた経験があるからこそ、その言葉への感激も
「あたし、惚気を見せつけられてます? あたしも彼氏の惚気話していいし?」
「うるさいなっ、そんなんじゃないから黙ってて!」
そんな二人を茶化すでもなく、真顔でそんなことを言う眞由を奏は否定し、音葉は言葉の意味が分からずに首を傾げるだけ。
音葉からすれば常々思っていることを言葉にしただけ、恥ずかしがる理由はなく、邪推されることになるという発想もなかった。
「はぁ……いいよ、分かったよ。おっちゃんが協力するって言うなら私も付き合う。他に依頼があるわけでもないし」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「ただし! こんなくだらない頼みは今回限り! 妙な噂を流してる奴にも伝えておいてよ!」
「はい!」
しかし奏は知らない。
奏の在籍する工学部生から始まった噂の流布は、一部とはいえ既に出所が分からなくなるまで広まっていると。
それも彼女の普段の行いとその容姿、大勢が在籍する大学内においても埋もれることのない優秀さ故ではあるが、ある意味、大学内では彼女自身が
「では話がまとまった所で日時はどうしますか? まだ昼間ですし、さっそく今から……?」
「それは駄目。私、今日はこんな格好だし。ツチノコはともかく虫とか蛇とか出るかもしれないならおっちゃんもその格好じゃ不用心でしょ」
奏の服装は彼女にしては珍しいワンピースだった。
音葉も最近になって好んで着るようになったゆったりとしたポンチョとスカート姿。森ガール風と言えば聞こえはいいかもしれないが、ツチノコが出るという林の中に踏み入るには適してはいない格好だ。
「それじゃあ明日の朝一番! あたし、この後講義入ってるんで!」
スマートフォンを取り出した眞由に急かされながら半ば強引に音葉と連絡先を交換すると、眞由は慌ただしく去っていった。
その後ろ姿を見送り、音葉は困り顔をポテトを頬張る奏へと向ける。
「とてもパワフルな方でしたね」
「ふんだ。私ももっと強引におっちゃんに迫るべきだったよ」
「あんな風な奏さんは想像できませんね」
まだ機嫌が戻り切っていない親友のご機嫌をどう取るべきか、音葉は頭を悩ませた。
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