依頼③
「いい? おっちゃん。幽霊や自然霊、実態を持たないモノに対抗するには心を強く持つ事だ。月並みだけど、それが一番効果がある。それは多分、
「どうしてそうだと?」
「経験と勘。それに語られてる
◇ ◇
そらの目の前に正座する音葉は閉じていた瞳を開く。
心の中でもう一度、電車で奏と交わした会話を思い出し、覚悟を決める。
「……」
不安そうにそらが音葉の表情を窺っていた。
少しでも安心を与えられるようにとぎこちなく微笑む。
「心配しないでください。すぐに終わりますから」
何も複雑な手順は必要ない。『こっくりさん』の
『紫の鏡』と同じく、かつて大流行したが故に、
深呼吸をし、右手にペンを取る。
以前、音葉を襲った『紫の鏡』は
「目を閉じていて下さいね?」
そう言って音葉はそらの額にかかる髪を優しく持ち上げ、筆ペンの先を触れさせた。
伝わる冷たい感触にそらはびくりと体を震えさせるが、目をきつく閉じて耐える。
「っ……」
その瞬間、周囲の空気が変わったのを感じる。
何か得体のしれないモノに覗き込まれているような、不快な感覚。
直感的にこれが『こっくりさん』の視線だと感じ取る。確かに感じながら、何処からか聞こえてくる『こん、こん』という狐の鳴き声を無視して音葉は筆を動かした。
(五芒星は陰陽道に用いられる図形。陰陽五行説、
そう信じる事で冷静さを保つ。ほんの数日前ならきっと、奏の信頼とは裏腹に取り乱していた事だろう。
けれど今の音葉はオカルトをオカルトとして受け入れる覚悟を決めている。惑う事無く、一筆で五芒星を描ききった。
時間にすればほんの十数秒。シンプルな五つ星、それを描き終えただけで周囲に満ちていた不気味な空気が霧散したのを感じる。
「っ、はぁ……」
音葉は大きく息を吐き、肩の力を抜く。
筆ペンにキャップをして、そらの額に五芒星が描かれている事をもう一度確認してから声を掛けた。
「終わりました。もう大丈夫です」
「えっ、もう……?」
「はい。目を開けてもいいですよ」
恐る恐るといった様子で目を開けたそらはまず両手を見て、その後でぺたぺたと自分の頬や額に触れる。
そして何も異常がない事を確かめて、音葉以上に大きく息を吐いた。
「はぁー……なによ、本当にすぐに終わるのね。怖がって損したわ」
「奏さん、どうですか?」
もう『こっくりさん』の鳴き声は聞こえない。けれど奏の目には何か見えているのではないか、確認の意味で音葉が尋ねると奏は「んー、仕方なしか」と意味ありげに呟いた後で「大丈夫だよ」と頷いた。
「おっちゃんには聞こえてたみたいに、私にも見えてた。白い狐、『こっくりさん』の姿がね。でももういない」
「
「そういう事。これで一件落着――さて、ここからは原因究明の時間だ」
肩を竦めて立ち上がった奏はそらが握りしめていた十円硬貨を取り上げ、指で弾いて弄ぶ。『こっくりさん』が去った今、念の為の処理は必要だが既にそれはただの十円玉だ。
「
「……? それはどういう……」
初めての依頼は滞りなく完遂された。奏の言葉の意味が分からず、音葉は訝しげな表情を浮かべる。
そんな友人の姿に少しだけ眩しさを感じながら、奏は語る。そもそもの原因の話を。
「『こっくりさん』決して理不尽な
「何なのよ……何が言いたいの?」
音葉同様、そらも奏の言っている意味が理解出来ない。けれど奏のそらを見る視線が、口調が、責めるように聞こえて仕方がなかった。
「きちんと手順を踏んだのなら、『こっくりさん』が人に害為す事はない。君が本当にお帰り願ってそれを聞き届けたのなら、今回の事件は起きなかった」
「っ、待ってよ! 私はちゃんと……!」
「本当に? 焦りから、、また自分の意志で指を強引に動かしたんじゃないの?」
「それは……」
ない、とは言い切れない。あの異常な空気に耐え切れず、『こっくりさん』が動かすよりも早く、無意識に自分から動かしていても不思議はない。
だがもう覚えてるはずもない。確かめる事は出来ない。
「勿論、こっちが願ったところで帰ってくれない事もある。けど今回はそれ以前の問題だ。そもそも君は最初からルールを守るつもりなんてなかった。『こっくりさん』の答えを待たずに、自分から指を動かしていたんだから」
「ま、待って下さいっ。見える奏さんや聞こえる私と違って三原さんは普通の子供ですっ。そんな子に
「自業自得で終わるのならそれでいいさ。でもこの子は友達を巻き込んだ。それを子供だから仕方ないで終わらせるのはどうなのかな? これは法の話じゃないよ、おっちゃん」
奏の言っている事は間違っていない。けれどそれを今責めるのは酷だろう。
僅かとはいえ言葉を交わして分かった。そらは優しい子だ。奏が口にせずとも自省出来る少女だ。だからこそ友達を助ける方法を求めて『心霊研究会』を頼ったのだ。今は助かった事を安堵させてあげてもいいじゃないか。音葉は口を噤みながら、視線でそう訴える。
「……言われなくても分かってるわよ、私が悪い事ぐらい。でもだからってどうすればいいのよ! 私には何も出来なかった……だからあなたたちを頼ったの! サイトの管理人ならきっと何か方法を知ってるって思ったから!」
そしてその期待通り、奏は容易く解決策を打ち出した。あっさりと、容易く。
音葉もそらもそう認識していた。だが、奏だけは解決策を提示したつもりはなかった。これは打開策でしかなく、何も解決していないのだと奏だけが認識していた。
「分かってないんだよ。君のその罪悪感、それは誰に対してなのさ。誰に対して悪いって、そう思ってるんだい?」
「そんなの決まってるじゃない、友達と……あなたたちによ。本当に感謝してるの、私みたいな子供の言う事を信じて、此処まで来てくれて……失礼な事を言ったのだって、悪いって思ってる」
初めてそらの口から謝罪と感謝の言葉が吐き出されたが、奏の表情は依然として変わらない。冷ややかな目でそらを見るばかりだ。
これ以上そらに出来る事も、思いつく事もない。どうすればいいのかも分からず、目には涙が浮かんでくる。
溜息を吐き出し、奏はそらに顔を突き合わせた。
「っ、ぐすっ……なによ……なんとか言ってよ……」
いくら見た目が幼くとも、小学生のそらにとっては奏からの無言の圧力は耐えがたいものだった。
浮かんだ涙はついに零れ落ち、部屋に敷かれた絨毯に染みを作る。
「嫌な気分でしょ、無視されるのって。誰だってそうなんだよ。人間もそうじゃないものも」
「……」
「『こっくりさん』だってそうだ。呼ぶ声に応えてやってきて、なのに答える事も許されないで無視されて、あげくに黙って帰れなんて言われたらそりゃあ怒りもする」
そこでようやく音葉は奏が何を引き出そうとしているのか、何に憤りを感じているのかを理解した。
無理もない。被害者でしかなかった音葉にはその視点は見えていなかった。
「奏さん……」
「私は『アンサー』の生みの親だからね。やっぱりどうしたってそっち側の目線になる事もあるよ。法律の問題じゃない。人であるかどうかなんて関係ない。悪い事は悪い事、なんでしょ」
バツが悪そうに、拗ねる子供のように音葉と視線を交わさず、奏は両手を頭の後ろに回してまた一つ溜息を吐く。
「ほら、もう分かったでしょ。謝る相手がもう一人いるって」
「……うん」
ごしごしと目を擦り、赤く腫れた目でそらは何もない虚空を見つめ、ゆっくりと頭を下げた。
音葉の目には何も映らない。奏にも何も見えていない。意味があるかも分からないけれど、それでもそらは心を込めた。
「ごめんなさい、『こっくりさん』」
しんと静まり返った家の中、何処からか『こーん』と狐の声が聞こえた気がした。
◇ ◇
それから、ろくな別れの挨拶もせず、奏は音葉を連れ添って家を出た。
追いかけようとするそらに「子供はもう家で大人しくしている時間だよ」と言い捨てて。
音葉は後ろ髪を引かれる思いであったが、そらに小さく手を振って、これ以上出来る事はないと奏に従った。
夕日が沈み始め、影が伸びる帰り道。無言が続く中で音葉はまとめた考えを奏に投げかける。
「『こっくりさん』の事を思ってだけじゃありませんよね」
「んー?」
「それだけなら奏さんはあんな言い方をしないと思います」
音葉はまだ前を歩く小さな友人の事を多くは知らない。だから確信を持っては言えないけれど、感じた事をそのまま口にした。
「それだけの理由なら、遠回りせず、真実で殴りつけるように三原さんを責めていたんじゃないですか?」
「酷い言われようだな。おっちゃんから見た私ってそんなん?」
その下手な誤魔化しに騙されても良かったが、音葉は奏の口から真相が語られるのを待った。
なんてことはない、音葉はただ友人を信じたかっただけなのだ。多分、恐らく、そんな曖昧な疑念をはっきりと、ばっさりと本人に否定してほしかった。
やがて観念したように奏は「まあね」と頷く。
「別に隠す程の事じゃないけどさ、照れ隠しも多分に含まれてるし、何より良い人ぶってる感じがして敢えて口にはしたくはないって私の気持ちも汲んでほしいんだけど、その辺りどう?」
「お願いします」
「うわ頑固」
やれやれといった様子で、本人の言葉通りの照れ隠しか、奏は前を向いたまま、路傍の石を蹴飛ばし、それを視線で追いかけながら答える。
こつん、こつんと二、三度跳ねた石はそのまま側溝の中へと落ちていった。
「あの子、これからが大変なんだよ。私たちに出来るのは謝って済まない問題を謝って済む問題に変えるだけ。それだって決めるのは当人たちだけど」
「一緒に『こっくりさん』をした、他の三人の事ですか」
それが気掛かりなのは音葉も同じだ。だがそこに踏み入る事は音葉たちには出来ない。彼女たちはあくまでただの大学生。小学生同士の問題に介入するには大人すぎ、子供の問題に口を出すには遠すぎる。
「その為に、謝る事の大切さを教えたかったんですか」
「まさか。それは親とか先生の仕事でしょ。私が言いたかったのは頼る相手を間違えるなって事。もしもの話、おっちゃんが
「それは……」
今更想像もつかない、なんて事はない。幼い頃は何度もそれを願い、夢想したものだ。
当たり前に、普通に生きていたのなら、考えればすぐに答えは出る。
「真に受ける事すらしなかったと思います。三原さんの友人の両親が言っていたように、酷いようなら病院に連れていくように勧めるぐらいしか出来ません」
「うん、それが正解。それで解決した問題なんだと思うよ。世間にとって
奏が何を言おうとしているのか、そこまでは察する事は出来ないがその言葉は音葉にとっても頷けるものだった。
音葉にとって普通に生きるとは見えないものは見えないまま、聞こえないものは聞こえないまま、未知は未知のままであるという事だ。
実際に在るかどうかは無関係に、知らないままで生きる事が音葉にとっての憧れた、当たり前の人生だった。
在ると知っているからこそ避ける。知らなければ避ける事もなく、ただ通り過ぎるだけ。
「私とおっちゃんじゃ事情も違うだろうけど、何も感じない人たちにとっては
「……私たちが関わらない方が良かったんでしょうか」
奏の言う通りなら、『こっくりさん』を
現にそらは『こっくりさん』の姿も声も、その存在を感知してはいなかった。音葉たちとは違う。音葉の目に見える脅威として立ちはだかった『紫の鏡』や『猿夢』とは事情が違うのだ。
その友人たちも豊かな感受性から一時の悪夢に囚われていただけなのかもしれない。考えても答えが出るはずもない。
「そうは思わないけど? そもそも誘ったのは私だし、それに結果は同じだよ。方法は何であれ、『こっくりさん』は終わった。問題は『こっくりさん』からあの子たちのこれからにシフトしてるんだから。私たちの選択は間違ってない、頼り先を間違えたのはあの子の方。だからああして脅かしてやったの」
責任を感じる音葉に慰めの嘘を言っているようには見えない。奏自身が語ったように立ち位置の違いからなのだろう。
そらを被害者として接した音葉と加害者として接した奏の差でしかない。
「
「三原さんは大丈夫でしょうか」
奏は答えない。知る方法はないし、知る必要もない。
後は本人たちの問題なのだから。
「……私が迂闊でした。
考えが及んでいた所で何が出来たかは分からない、しかし音葉の胸には後悔の念が満ちていた。
中途半端だったのだ。法の道を志した者としても、
「これ以上余計な問題を抱え込んだらおっちゃんの方が潰れちゃうよ」
「その時は支えてください」
「頑固」
「そうさせたのは奏さんです。奏さんが私を助けてくれたから、私も誰かを助けたいと思ったんですから」
これからも降りかかるだろう
「だから奏さん、一人で泥をかぶろうとなんてもうしないで下さい」
「……んん? 別にそんなつもりでやったんじゃないんだけど……」
「そのつもりがなくても、友人を悪く見られるのが嫌なんです」
直球のその言葉に奏は一瞬呆け、噴き出した。
そうか、私の友人はこういう人なのか、と。
三原そらとその友人たちの関係がどうなったのか、それを二人が知る事はなかった。決して円満には終わらないだろう事だけは想像出来る。
けれど、まあ。
(生きていればその内良い事もあるさ)
奏は無責任に内心で独り言ちた。
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